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鳳の雲と発ちてや山眠る 五島高資

2024.11.09 12:12

時の概念はとても大事です。

和多志は ティーリッヒの「永遠の今」の影響を受けました。火の鳥伝説も 心を揺さぶるものでした。若き日 ニヒリストであった和多志は ニーチェがツァラトウストラとして語った「死後の世界はない」という言葉に安堵の息をつきました。

然し霊魂不滅(エネルギー不滅の法則)とも知るに至りました。

中学生の頃、和多志は生きる意味を探し続けても得られない故、ニヒリズムの淵に落ち込んでしまいました。生きることも死ぬこともできない必死のあがきの中で 「生きる意味を問う」ことを放棄し 生かされているものとして 創造主の意志に沿うものとして「生き方を問われるものになろう」と決め 啓示宗教であるキリスト教に掛けて人生を歩み続けました。

しかし、キリスト教の時の概念が直線であることに疑問を持ってしまいました。

聖書改ざん説を読んだこともありますが イエスを殺そうとしたアウグスティヌスに原因があるとは驚きです。

(下の記事は お亡くなりになったマイミクさんの記事です)世界の前と後ろを

切り離すとはどんな意味でしょう?ローマ帝国だけが世界だったからでしょうか?

異次元のものをこの世にもたらす役割とは啓示を受ける祭司の役割だということでしょうか?

「円環の生命観」とはあの世にこの世が包含されているということでしょうか?

神道はあの世(あめ)とこの世(うつしよ)を分けますが「ま」を至るところに見出しあの世とこの世を一つとして考えていたのでしょうか?どなたかお考えを聞かせてください。

まんだらやさん(マイミク)の日記

密教タロット:1手品師【円環の世界か直線の世界か?】

手品師は机の上に自分の道具を広げて、これから何かをしようと考えています。

左手の棒(杖) は、より高い世界から流れてくる情報の受信機。帽子の形は、無限のマークです。キリスト教の 世界では、アウグスティヌスが世界の前と後ろを切り離し、単一の宇宙像を作りました。そのため に時間は直線的なものとなりました。

個人の主体は絶対であるという考え方は、直線時間の思想 から生まれました。

大きな楕円を、知覚(視野)を狭めて切り取ると、その部分はあたかも直線のように見えます。

連鎖する円環の生命観である、ヒンドゥー教や密教的な世界観では、死は転生の始まりになります。手品師は、異次元からもたらしたものを、この世にもたらす商人です。

その前のカードの愚者が、 探究者であれば、入口の内側に居る存在です。

修験道の山伏も、都から日本中を回り、マレビトとして村の人々に迎えられました。

彼は情報提 供者でもあります。修験者は山師と呼ばれ、一発当てるために山に登っていたのです。空海は、唐に行く渡航費用をこれで賄ったに相違ありません。

愚者が、探究者として金(貴重なもの)を掘り当てる錬金術師の一つの役割ならば、それを火にか けて製錬する役割が手品師の仕事です。そして私のソウルカードが、この手品師です。

チベット・ラダックという僻地で発見したものを、日本の人々に伝える役割をしています。

資本主義が崩壊するといわれている昨今、新しいパラダイムを

どこからか見つけてきたいですね!! 


https://ameblo.jp/toru-nishida/entry-12755608931.html 【運がよくなる「鳳凰の写真」〜この夏「鳳凰の時代」が加速していく!】より

愛する魂の冒険者たちへ

賢者たちいわく、、、人は、不死鳥、火の鳥、フェニックスのごとく、不滅の魂が、生まれ変わりを繰り返している。

それは、、、生きて、死んで、また生まれて、生きて、死んで、、、といういわゆる「輪廻転生(りんねてんしょう)」だけじゃなく、今回の人生の中でも、誰もが経験しているんだ、と思うんですよね。

新しい自分になっている。それは毎朝、新しい自分になっている、っていうのもあるし、

一瞬一瞬、新しい自分になっている、っていうのもある、、、そして、、、どうしようもなく、しんどいこと、苦しいこと、悲しいことを体験して、それを乗り越えていった時にも、、、「死と再生」が起きている。

「あの人はまるで別人のようになった」(いい意味で)ということがあると思います。

自分自身もある時期に、体験したような気がします。灰の中から再生する、火の鳥のように、

さらに力強く、さらに輝いて、さらに大きく、羽ばたく。その光が、他の誰かの歩く道を照らす。かつての自分と同じように悩んでいる人の希望になる。

そういうことがあると思います。ちょっとスピリチュアルな話になりますが、

不死鳥、フェニックス、火の鳥、などと似た、翼を持つ神的な存在として、

「鳳凰」(ほうおう)というものがあります。(起源は同じだという説もあるようです)

中国では古くから「聖天子(せいてんし)が現れる時に、鳳凰が出現する」っていわれてるんですよね。

聖天子、っていうのは「徳の高い王」、というような意味らしいんです。

僕は、この「聖天子」っていうのは、今という魂の時代を生きている、一人一人のことを指すんじゃあるまいか、って思っているんです。

自分の内側に、全ての人の内側に、神聖なる神様のひとしずくが燃えていることを知り、

自分を大切に、人を大切に、命を大切に、楽しく、喜びを持って生きることを選んでいる人すべて、「聖天子」なんじゃないだろうか、って。

もっといいますと、愛で生きることを選んでいる「あなた」のことを指すんじゃあるまいか。

このブログの読者の方はこの地球にやってきた愛と平和のメッセンジャーだと勝手に僕は思っています。

で、僕もずいぶんと、お世話になっているある霊的な能力者は何年も前から、「これからは、鳳凰が大活躍する時代がくる」って言ってたんです。

それで面白いのが、鳳凰っていうのは、「のびのびと自分らしく自己表現をすること」

の象徴だとも教わっているんです。

自己表現っていうのは自分らしく日々を生きる。大好きなことをする。自分のうちなる愛を表現していく。多くの人が自分らしく自己表現をしていく、「鳳凰の時代」がくる。

僕も全くの同感です。空を見ても、龍のエネルギーと、鳳凰のエネルギーを感じることがよくあります。

こちらは、鎌倉の材木座海岸にて撮影させていただきました。

大きな翼のように見えて、うわあー!と声が出そうになりました。秋分の日の翌日でした。

こちらは八ヶ岳の朝日。鳳凰(ほうおう)のように広がるお日様の光。

その両わきに、虹のような彩雲が出ています。

こうした風景や写真を目にした時は、よいことが起きる、人生の次元が一つ上がる時だと

教わっています。

そしてこちらが本日、材木座海岸にて。ライオンズゲート期に入って、巳の日の夕方。

鳳凰が群舞しているようなエネルギーを感じました。

上述の通り鳳凰は「自己表現」「自分らしく生きる」「大好きなことをする」エネルギーを司っているそうですよ。

これから、自分の内側にあるキラキラしたものを、存分に表現していける時代になる。

その時に、、、うれしいことも、悲しいことも、自分なりに乗り越えていった体験が、

多くの人の歩く道を照らし出す。

もし、その人がそう望むならば、そうやって力強く、羽ばたいていける時代になっていくんだと感じています。その応援を、大自然がしてくれている。

そのサインが、鳳凰のエネルギーを感じる風景なのだと思います。

山にも鳳凰💓 海にも鳳凰💓 あなたにここからきっと、ますますいいことがたくさん起きると思います。

それでは引き続きすてきな夜を、そして素晴らしい朝をお迎えくださいますように。

今日も命にありがとうございます。

西田普にしだあまね