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赤坂一期一会プロジェクト(万葉ロマン塾)

一期一会の挽歌

2024.11.09 09:04

9月、当団体の設立当初から活動に参加されていた田村喜一さんが逝去されました。享年89歳でした。メンバー3名による追悼文を挽歌として掲載します。


① 代表 及川廣子

田村さんにお会いしたのは8年前のことでしょうか?

チャレンジコミュニティ大学修了と同時に3Aクラブの会員になった時からでした。

第一印象は何にでも果敢に挑戦する元気な方。

ある時、赤坂・一期一会プロジェクトにお誘いすると一つ返事で「いいですね」と、

万葉ロマン塾でのイベントには万葉衣装を着て朗唱も参加してくださいました。

旅行は外国、国内の旅先での写真撮影のみならず趣味も多彩。そして俳句も嗜む。その句をラインに写真と掲載し友人に送信していました。

日記代わりに毎日1句。それらが元気の源と仰っていました。私もライン友だちの一人でした。

田村さんはファッション関係のお仕事をされていたこともあり、お洒落な方でした。

旅先での写真にはトレードマークの赤いマフラーをしていましたね。

とてもお似合いでした。田村さんからは色々なことを学ばせていただきました。ありがとうございました。

心からご冥福をお祈りいたします。

ライン句は日記代わりと田村さん写真を添えて友に送りき

100迄は生きると言いし田村さん卒寿を前に幕を閉じたり

田村さんどの星だろうと空見上ぐ「愉しんでますか? 吟行の旅」


② 事務局長 川上利春

つい最近、彼の訃報に接し驚きを隠せなかった。

彼は常に“生涯現役”を貫き、健康の秘訣を披露していたモデルではなかったのか。

なにしろ港区が好きでわざわざ本宅の横浜から青山へ仮転居してまで港区を楽しもうとされたその意気込みには感服!

特に旅が好きだったようで青山の仮宅を訪ねた時、部屋いっぱいにファイルされた写真や思い出の品が飾ってあったことを思い出した。若き頃から最近の旅までずらりと分類された光景は、まるで図書館の書棚を連想したものである。

印象的なできごとで記憶に残るのは、赤坂地区の歴史めぐりのスタップラリーを開催したと

き、旧乃木邸のスポット地点では単なるスタンプ押印だけでなく、ガイド役として訪れた人たちにユーモアを入れながら楽しそうに弾んで話をされていた映像が頭に残っている。

彼は他人の悪口にはいっさい触れなかったね。いつもその人のいいところを見つけては褒めていた。簡単そうですが、なかなかできるものではない。そこが彼の魅力の一つでもあった。

さて、そうした彼の行動スタイルと万葉集で語られる挽歌を重ねてみると、挽歌は死者を弔う歌であるため、日常の暮らしには重々しくこころ暗くなる印象がある。

でも、個人を弔うことは人としては普遍的であたりまえの自然情感である。

どこかで必ず遭遇する世界なので、今回の事例を機会に考えてみた。

だれしも各々の価値観や死生観があるため私の気持ちで語ってみると

「人はだれでもいつかは確実に生涯を閉じることになる。このことは誰にでも必ず訪れるという前提で、今後どのように生きるかを考える前向きな思考となる。今をいかに生きるかに目をむけることは人生の最期を豊かなものにするきっかけになるはず」

実際そのように考えるとなにかサッパリとした新鮮な気持ちになれる。私自身、現在終活中で死生観も理解できる。

田村さんのよいところを評価すると、①生涯現役 ②何でも興味を持ちチャレンジする好奇心 ③健康オタクであったと思う。

それを確認し敬意を表しながら、私自身も大いに参考にし手向の献杯としたい。

ありがとう、田村喜一さん!


③ 巻島大樹 

「よ、千両役者」

3年前、私が人前で初めて万葉集の朗唱をした時のこと。緊張のあまりうまくいかず、落ち込んでいた私を一番に褒めてくれたのが田村さんでした。本当に嬉しかったです。今後「千両役者」という言葉を聞くたびに田村さんのことを思い出すでしょう。

田村さんは俳句が好きでした。毎日のようにLINEで画像付きの俳句を送ってくれました(笑)。煩わしいと思う時もありましたが、来なくなってしまうと寂しいものです。

一つ悔いが残ることがあります。田村さんから「田村式解(ほぐ)し体操」なるものを撮影してほしいと頼まれていたのですが、叶えることができませんでした。

「年配者が元気で暮らすために、自分がやっている田村式解し体操を形に残し伝えたい。朝起きてそのまま体操を始め、用具なしで、場所も選ばない。我流で続けられる楽しさが大事なんです。自分の都合に合わせ、旅先など何処でも、我流身体解しであります、こんな思いです、よろしく。」(田村さんからのLINEより)

文章を読み返してもどのような体操なのか、全く想像がつきませんよ(笑)。あの世でお会いした時に教えてください。

右から2番目が田村喜一さん(2022年7月撮影)