偉人『樹木希林 第2弾 死生観』
2018年9月15日この世から旅経って早4年、彼女の残した言葉が現代人の心を掴んで離さない。歯に衣着せぬ発言の裏にある彼女の考え方を知れば知るほど確信をついてくるその言葉や生き方に奥深さ感じハッとさせられるのである。
彼女の言葉で繰り返し出てくるいくつかの言葉がとても気になっている。その中で最も気になった言葉が『成熟』である。彼女の意味する成熟とは一体なんであろうか。私が勝手に彼女の熟成を解釈するのならば、細かいことに拘らず物事の本質を見抜き悟りの心境に達することである。樹木希林という一人の人間の指し示す成熟はどんなことであろう。
彼女には何が起ころうとも、予期せぬことが身に降りかかってこようともそれを真正面から受け止め飄々としてやり過ごしてしまう凄さが存在し、そして何事にも自分自身の見解を持ちバッサリと一刀両断するブラックユーモアがある。彼女に関係する人々は彼女に自分自身の本質を見抜かれることやブラックユーモアで鋭く突かれることを恐れていただろう。しかしその鋭い眼差しを頼りにしていたことも間違いなさそうである。彼女の本質を見抜く力や的を得た発言と精神的な強さはどこから生まれてきたのであろうか。実は彼女は自閉症を抱えて成長していたそうである。そして小学校の時に経験した多くの事柄が彼女の強さを形成したのは間違いない。彼女は自分を俯瞰し自分自身の中にブラックホールを抱えていたと語っていたそうである。常にその抱えきれないものを満たすものを探していたという。そしてそのブラックホールを埋めてくれるでろう人物に出会ったのだ。それが問題を次々と起こす夫の内田裕也である。一度暴れ出すと手につけられない夫でありながら死を迎える直前まで頭の片隅には常に夫がいたのだ。第三者的には問題児である夫であるがその夫を最後の時まで考えていたのは事実であろう。そしてその夫の中にある光を見ていたのも本質を見抜ける力を持っていたからこそだと考える。彼女がそことについて語った言葉を考えてみる。
1、「私はなんで夫と別れないのとよく聞かれますが、私にとってはありがたい存在なのです。ありがたいというのは漢字で書くと『有難い』、難があると書きます。人がなぜ生まれたのかと言えば、いろんな難を受けながら成熟していくためなんじゃないでしょうか」
壮絶すぎる夫婦関係であったことは「家族といる時が一番緊張する」という彼女の言葉に裏付けされている。次から次へと問題を起こす夫に嫌気はささないのだろうかと思うが彼女は上記のように答えたのである。また「どうしてお父さんと別れないのか」と娘から問われた時に「一筋の純なものがあるから」と答えたそうである。どんな夫であってもその中に存在する美しい部分を見つけ出すことができるとはなんと懐の深い人物なのだろうか。
そして彼女はこうも語っている。
2、「誰かに添って生きるってことが人間が成熟していくために必要なことだと思うの」
誰かに寄り添っていくということはその人物も人物が起こす騒動も丸々受け止めていくことであり、そのことが実は自分自身に磨きをかけ味わい深い人物になるということを彼女は知っていたに違いない。良い旦那や良い子供を持っただけでは自分自身を成熟させることはできないとさえ語っている。その彼女の意見には賛同出来る。なぜなら人間は清濁合わせのみ込んだ時に悟りを開くことができ、成長するタイミングであると過去の偉人たちの生き方にも共通することだからだ。他人と比べずありのままに生きていく、水が流れ落ちる如く全てを受け流す彼女の生き方は容易に真似することはできないが、困難の中にある人々には彼女の言わんとしていることが共感できるに違いない。別の見方をすれば、恵まれている人々には成熟するチャンスがないと言っているように聞こえるかも知れないが、人の一生を考えた時に生涯波風が立たず恵まれている人などいやしない。外から見て恵まれている環境にある人でもその内情は頭の痛い種は必ずあるものだ。人様から見て到底理解できないことも抱えているのが人間の生涯かも知れぬ。しかしどのような状況に陥っていようとも自分自身の魂に磨きをかけることができれば、成熟した人生を持って人生を終わらせることができると彼女の人生間から学びとることができるのだ。
また彼女はこうも語っている。
3、「歳をとると人間が成熟するとは大違い、不自由になった分だけ、文句が出るの」「人のせいにしていると、なかなか成熟しない」
歳を重ねていけば誰しも人間が成熟するとは限らないと語ったこの言葉は痛いほどわかる。私が5、6歳の頃に実は大人でありながら子供じみた考え方しかできない大の大人や相手の優しさや気遣いを敵意として受け取る大人もいた。大人の顔の表と裏や本音と建前に気づいた時から私はこの人物は本物の大人なのかを虎視眈々と見抜く術を身につけてしまった。樹木希林という女性のブラックユーモアが私のかなで°直球ストライクで入り込んでくるのも、これまた子供の頃に似たような体験をしたからに違いない。成熟というものが平等に与えられるものではないことそしてそれを撮りに行った人物だけが入手できることを肝に銘じなけれなならない。歳を重ねるたびに自分磨きをしていけば不平や不満を口にせず、自分らしく成熟することができるそう彼女が語っているのである。本物の成熟とは自分自身の心の持ち方に責任を持ち人に迷惑を掛けないよう磨きを掛るということなのかもしれない。
樹木希林という大女優は実は30代にして自分自身の死生観を打ち出していた。
4、「自分は見事な魂になって、世を去るために生きている。後に残された人のためにも、この人は十分に生きて、納得して死んだと思わせたい」「死に様も含めてみてもらいたい。それが私の願いだ」
幼い娘にも身近な人や知人の通夜にも連れて行き人の死に様を見せていたという。娘はその行動を振り返ると幼いながらに怖かったと後々語っておられたが、樹木希林の死を家族で看取った孫たちにも大きな変化が現れたという。人が人生を閉じるということはその真逆にある生きるという意味がどのようなものなのかを考えさせたかったのではないだろうか。おそらく樹木希林という女優は自分の最後の命の終焉を孫たちに見せることにより、精一杯生きることの意味を伝えたかったのではないだろうか。自分の命を最後まで使い切ることに意味を見出していた女優の最後の晴れ舞台だったと言える。
自分自身の最後が見えてきた彼女は歳をとると病気以外に不自由になると語り、またそれでいいのだと語り最後にまた成熟という言葉を紡ぎ出している。今回は彼女の言葉で締め括り彼女の言わんとしていることを自分自身の中に自分自身の解釈で落とし込んで欲しいと考える。