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詫び寂びを感じられるような顔相になったら、いっちょまえだな

2019.01.17 06:37

数日にわたって何度も胸を去来する、久しく会っていない友人のことを思っていた。

やり取りがあるわけでなく、なのにこんなに思い出すのだから「そのとき」なのだろう、と思って

実に数年ぶりとなる連絡をしてみた。

「元気?変わりなく過ごしていると思うけど、最近めちゃくちゃAくんのことを思い出すので連絡してみたよ」。すると間を置かずしての返信に、

「元気!今青山一丁目。くる?」マジかー。

「行く!外苑前から行く!」と即レス。ちなみに外苑前と青山一丁目の駅は隣接している。

こういう、得も言われぬタイミングというのを切実に大切にしている。

photo by Bev Goodwin

んでもって、時計をみるとあんまり時間がない。おそらく駆け付けても会って数十分もいられない。

もちろん顔をみたいだけなので問題ない。

取るものもとりあえずというのはきっとこんな感じね、などとひとりごちながら往来に出てタクシーをつかまえ、息せき切って駆け付けた。カフェのなかにそれらしき面影を探すと、造作もなくその姿を発見できた。

遠巻きにその姿を眺めていたら、

「わー、Aくんおじさんになったなぁ!」と小さく驚嘆する。わーこれって、私も立派なおばさんに見えるってことだよな、うん。とこれまた小さく小さく落胆したりする笑。

大きく手をふって、Aくんからも私を確認できたところで再会を祝う私たちは、

聞き手と語り手がほぼ同時進行しながら、さながら時短スタイルともいえそうなやり取りで互いの今を説明する。


その前にA君という人のことを少し説明する必要がある。ある?w

15年ほど前に勤務していた広告代理店時代からの数少ない友だちだ。「同僚」でもなく、「上司・先輩」でもなく、まして「仲間」でもない。文字通りのシンプルな意味での友だちは実に貴重だ。

年齢も雇用上の立場も同じ、いつしか私たちはよく二人で呑むようになった。しかしそれも彼が家庭を持ち、家庭第一となるまでなんだけど。そこではいつも、「がんばっている自分らを解放する」ことをモットーとしていて、要するに仕事上の自分たちの共通する点として、社交的で意欲にあふれる快活なリーマンだったんだけど、24時間全方位的にそんな自分でいられるわけがなく、仕事上そういう人間でいることが必要だと考えていたからに過ぎない。ある種の身だしなみに近かった。

それなので、二人で呑むときはまったくがんばらない。互いに気をつかわない。

本来の後ろ向きで引きこもりな素のままの自己で接する、それだけで解放になった。

性格は似ていないのに、仕事をする姿勢とか仕事観みたいなものが、口にしなくてもその仕事ぶりから共通していることがありそうで気が合った。互いに転職活動の報告などもしあって、なんだかんだ会社を変わりながらずっと友だちでいられた。


そんなAくんとの再会だ。

特段約束をして会う仲じゃない。生活動線のなかで運よく互いのタイミングがあったときにでも、「よっ!」と言い合えればいい。

正面に座して改めて見る彼の顔には、正直者が誠実に生きるなかで相応に苦難に出逢ったり、喜びに相好を崩してきた結果としての細かいしわが走っている。

なんていい顔してんだろう、こいつ。心からそう思った。

ちきしょう、こんな顔になりてーなー、と思わずして品のよくない言葉で言いたくなる心からの思いを抱いた。


そして蛇足ではあるが、テレビ、ラジオ、マーケ、いろんな専門的な仕事を偶発的に、後半戦は意思的に務めてきた彼は、その過去のすべてが自ずと拓いたであろう新たな活躍の道の上にいる。

なんてこと。それこそが祝福といえるべきもの。

無理を強いて切り拓いたのではないその道は、誰よりも真摯に愚直すぎる人間を選んで開拓されたといってよい。

「んじゃ私、帰るわ!」と席を立ったのは再会してから20分後。

まったく問題なかった。時間じゃないんだな。

いつの間にか、鈍色になっていた冬の空の下、片手を挙げてタクシーを呼ぶ自分の胸のなかはどこまでも爽快であり、全身に一陣の風が通り抜けていったような感覚が残されていた。