ある心配性な受験生の、センター試験の物語
また、今年も雪が降った。
余裕を持って早く出てきてよかった。あとから会場に来た友達に聞くと、予想通り、駅のバス停には長蛇の列ができていたらしい。
そんなところで焦ると余計なエネルギーを使ってしまう。何かあるとすぐにお腹が痛くなる僕にとっては、いかにスムーズに会場に辿り着くかはとっても大事なことだった。
やっぱり心配性なのかな。今日の朝、受験票や生徒証をちゃんと持っているか鞄の中を何度も確認したし、マーク用の鉛筆や栄養補給のためのバナナやチョコはだいぶ多めに持ってきたし、いきなり今日だけ早起きして身体がビビらないように、一ヶ月前から同じ時間に起きるようにしてきた。
それに、お前どんだけ飲むんだよ、と突っ込みを入れながら水筒とペットボトルを持参。トイレが怖いから多分そんなに飲まないんだけど、気持ちは安定する。時計も壊れたときのことを考えて予備のものを持ってきた。温めグッズも完璧。備えあれば憂いなしだ。
もちろん、マスクもしている。ここは菌とウィルスの巣窟だ。僕にとって、センター試験は始まりに過ぎない。いくら大事だからといって、ここで倒れるわけにはいかない。僕の受験は、人生は、続いていく。
トイレにはもう2回行った。場所も把握して、万が一のときにも休憩時間に駆け込めるようにシミュレーションは完璧だ。人が少ないうちに教室の中をぐるりと回って、なんとなくのHOME感も醸し出しておいた。
席の確認ももちろんオッケー。ちょうど真ん中ぐらいの位置だ。悪くない。前のホワイトボードもちゃんと見える。隣の人も普通の人そうで安心だ。もしもの場合(隣の人がうるさい等の場合)、手を挙げて監督の人に申し伝えるイメージもできている。遠慮なんてする気はない。
僕は今一度周りを見渡して、一つ大きく息を吸って吐き出した。緊張している。でも、緊張は悪いことじゃないと塾の先生は言っていた。「緊張は、いいパフォーマンスをしようとしているってことだよ」そんな風に先生の大好きな木村拓哉が言っていたらしい。もう一度深呼吸。
僕の近くには、心強い味方がいる。何度も、何度も、繰り返した単語帳や問題集たちだ。苦しかった日々は、頑張ってきた日々は、確実に今日の僕の心の支えになってくれている。
さぁ、闘いのときだ。想像の中で僕は、天空へと堂々拳を掲げる。「今までの頑張りをぶつけてやろうぜ!やってやろうぜ!お前なら、大丈夫」自分の全細胞に向けて、強く前向きな言葉をかける。冷静さを失わぬように、静かに、やさしく、鼓舞する。
現代文を教えてくれた先生がいつか言ってくれた言葉を思い出す。「僕らは神様じゃないから、予期せぬ事は起こるよ。君が予期してなかったら、周りに人も予期してなかったってことだから大丈夫。それに、そう知っておくだけで、手が止まらずに済むからね」これで手は止まらない。
色んな人に助けられて、やっとここまで来た。きつくて、へこんで、挫折ばっかりの日々だったけど、成長感もある。その成果を、今日発揮するんだ。なんて風に思ったら、少し震えてきた。いけない、いけない。
「会場に行って弱気が顔を出したら見ろよ」と友達から合格鉛筆と一緒に貰った手紙を確認する。「敵は自分だ。ベストを尽くせ」そうだった、これは誰かとの闘いじゃない。自分との勝負だ。なんだ、こんな弱っちい自分に勝つなんて、とっても簡単じゃないか。思わず笑みが溢れる。
その笑みの向こうに、ふわんと母親の顔が浮かんだ。
女手一つで、僕を育ててくれたお母さん。お金なんてないのに、塾にも行かせてくれたお母さん。夜遅くまで仕事なのに、早起きに付き合ってくれたお母さん。「駄目だったって死にゃしないんだから、気楽に受けておいで。だけど、食べなきゃ死ぬから、はいこれ」って、おにぎりをやっぱり多めにくれたお母さん。心配性は、遺伝かな。
「お母さん、いつも美味しいご飯ありがとう」
誰にも聞こえないぐらいの声で小さく呟いて、僕は前を向いた。
センター試験が始まる。
本日もHOMEにお越しいただき誠にありがとうございます。
全国のすべての受験生が、各々のベストを尽くせますように。心から応援しています。