北の十字軍1-聖女ヤドヴィガの繁栄後
2019.01.17 08:38
さてその頃東欧でも大事件があったのだ。ポーランドではカジミェシュ大王のもとで、ユダヤ人を受け入れ繁栄を達成し、1370年に崩御する。隣国リトアニアでも、41年にゲディミナス公が亡くなり、プロイセンのチュートン修道騎士団が攻め込む混乱の時代を迎えた。ポーランドでは後継者も80年に亡くなり、10歳の王女ヤドヴィカが王位についた。
リトアニアはゲディミナスの孫、ヤギェウォが即位、2国はチュートン騎士団に対抗するため結婚することにしたのである。リトアニアはカトリックに改宗、王妃ヤドヴィガは神聖ローマ皇帝ヴェンツェルに近付き、ドイツとの地位のお墨付きをもらった。そんな外交手腕のあった王妃は99年26歳の若さで亡くなった。さあたいへんだ。
ヤギェウォはこのとき51歳、改宗してヴワディスワフ2世と名乗っていた。彼は皆の要請を受け入れてそのままポーランド王として留まった。そして自分のライバルだったヴィタウタスをリトアニア公として、ポーランド・リトアニア連合王国ヤギェウォ朝が成立した。王は熱心なキリスト教信者であり、リトアニアを積極的に改宗させた。
しかし、んなことをチュートン騎士団が認めるわきゃない。改宗は偽装だインチキだ。だいいち承認するおおもとの教皇が分裂しているのである。そしてこの大きな連合王国を周辺諸国も警戒した。1409年、プロイセンはボヘミア王ヴァーツラフ4世(ヴェンツェル)、ハンガリー王ジギスムントのダメ兄弟と同盟を組んで、十字軍を発布し、宣戦布告を行った。
下はヤドヴィガとヤギェウォ像。ヤドヴィガは1997年ヨハネ・パウロ2世によって列聖