小さな種はやがて芽を出しいつしか大きな木となる:yoga sūtra
今、やっていることにはどんなことにも私は意味があると思っている
一見、無駄だと思われることだったとしても、どんなことだって意味がある
全て何かに繋がっている。
それはすぐ目に見える結果や形として分かりやすいものであるかもしれないし、
何につながっているかなんてすぐには分からない果てしないものかもしれない。
yoga sūtraを学んで、私のグルであるシュリニバスjiがとてもいいことを言った。
小さな種はやがて芽を出す。
土を被して水をやって手をかけて大事に大事に育てたら芽を出す
あるときは虫や動物から守ったり。。。
そしてその芽はやがて何年もかけて大きな木になる。
最初はとても手がかかったとしても、木になったら手はかからない
それだけでなく、今度は私を守る存在となる。
雨風から、私を守ったり
時には犬をつないで置くことだってできる。笑
この話、つまり何がいいたいかと言うと、
ヨーガsūtraを学ぶことは小さな種を植えていること。
ゆっくりでも勉強することで芽を出し
やがて、こうやって学んだことは知識、知恵として私の中で育って
生活上、日常においても
この知識、知恵が活用できて、さらにはこの「知識」は私を守ってくれる。
私は感じたんだ。
これ(ヨーガの勉強すること)は私にとってとても必要なことで、
そして一見、意味のないことのように思うけれど
私にとってはきっといつか身(実)になると。
意味を見出したような感じがしてとても嬉しかったんだ。
この話を講義の冒頭に聞けただけで私は救われた気持ちになった
というのも、、、、
新しいことを学べる環境や素晴らしい先生に出会えたことにとても感謝している。
でもそれと同時に私の行動を理解しない人も存在してて。
いろんな考えの人が存在することはとても自然なことだけれど
身近な家族が理解しない、いい顔をしないのがとても残念に感じていたし
それを説得させるだけの理由や証拠を私は持ち合わせてなかったの。
だからどこか自信のないというか何か引っかかっていた気分で。
でも、それも踏まえた上で、私は自分の選択していることに自信が持てたの。
先生の言葉によって。
ありがとう。
人間て素晴らしい生き物だと思う。
だって、イマジネーションを持ってて、信じることができるんだから。