磐座のうからやからや冬紅葉 高資
磐座のうからやからや冬紅葉 高資
— 場所: 日光二荒山神社
色変えぬ杉や難斗米の実の点る 高資
大国殿(重要文化財・世界遺産)・大国田道間守
— 場所: 日光二荒山神社
卑弥呼あるいは垂仁天皇が常世国に派遣した難升米(難斗米・田道間守)が右手に非時香菓(不老長寿の仙薬)を持っていました。橘(非時香菓)は黒田家の替紋にも用いられています。黒田の黒も大黒に由来するのかもしれません。たしかに筑前守ですから筑紫の日向の橘とも関係ありそうです。写真は、東照宮大鳥居の石柱(一部)で黒田筑前守藤原長政が寄進したものです。
大国殿のすぐ近くに何と高天原もありました。三柱は造化三神でしょう。
高天原は日本の原風景ですから色々なところにあって良いのだと思います。もちろん、佐々木さんがお好きでない阿頼耶識にもです。二千年以上も言い伝えられていることの不思議です。
五島 高資
Itoさん、おはようございます。良き一日を!!
10年前
中川 洋子
五島先生大変な勘違いをしてしまいました(≧∇≦)このお方は大国主命様ではないのですね。てっきりお姿がそうだと思いました(^_^;)柑橘系の木だとは思いましたが橘ですか。ありがとうございました✨
10年前
五島 高資
Yoko Nakagawaさん、日光二荒山神社の主祭神は大己貴神すなわち後の大国主命(大黒様)ですから習合されているのかもしれません。
10年前
Michiko Naito
おはようございます。
点る実は橘なのですね。... さらに表示
10年前
編集済み
五島 高資
俣江さん、そうお菓子の神様になっています。甘党の私にはありがたいです。徐福伝説の逆バージョンですね。良き一日を!! 古代は薩摩も日向の一部でしたから、日向は宮崎県には限りません。日向とは日の向かうところ、つまり西の方角だったようです。橘がたくさんある薩摩や五島も西海に面しています。そういう意味で祝詞にある筑紫(九州)の日向(西方)の橘の小門とは東シナ海にあったのではないかと考えます。難斗米は徐福後裔の里帰りだったのかもしれません。
10年前
五島 高資
池田さん、おはようございます。この難斗米が持っている橘の実はまさしく西九州と関係していると思われます。天子が南面して右に位置する橘の方向は西です。良き一日を!!
10年前
編集済み
佐々木 淑文
コンパクトな高天原宿でございますね。_(._.)_
10年前
五島 高資
佐々木さん、高天原は日本の原風景ですから色々なところにあって良いのだと思います。もちろん、佐々木さんがお好きでない阿頼耶識にもです。二千年以上も言い伝えられていることの不思議です。
10年前
裕明 古沢
おはようございます^o^…今日も、よろしくお願い致します✌️
10年前
五島 高資
古沢さん、おはようございます。良き一日を!!
10年前
Biyou Utashiro
おはようございます♪m(__)m
お勉強になります!(😊)
10年前
五島 高資
歌代さん、おはようございます。良き一日を!!
10年前
川岡 末好
まさにこれから壮大な物語が始まりそうですね。
10年前
川岡 末好
国つ神も神つ神も出てきて高天原も出てきました。
10年前
五島 高資
末好さん、おはようございます。これは氷山の一角です。とにかくこの一帯は八百万の神々の世界でびっくりしました。
10年前
辻村 麻乃
魏志倭人伝の難斗米は記紀の登美毘古だと知りました。
橘は香りの消えない木として、万葉集や古事記にも出てきますよね。... さらに表示
10年前
北野 和良
手に持っている実のついた枝は仮のものでしょうか?銀印(ぎんいん)青綬(せいじゅ)を象徴しているのですか?
10年前
五島 高資
辻村さん、記紀に出てくる登美毘古と多遅麻毛理(田道間守)は時代的に離れていますが、たしかにいずれも出雲系先住民を祖とするのではないかと思います。
10年前
五島 高資
北野さん、多遅麻毛理(田道間守)は、卑弥呼が魏に使わした難升米(難斗米)とも考えられますが、記紀では、垂仁朝のとき非時香菓を招来したと記されており、大国殿の前に立つ田道間守が持っているのは、その際に持ち帰った橘(矛八矛)ではないかと思います。橘のある九州と金属器の流通と深い関係のある日本海沿岸とのつながりも覗われます。
10年前
編集済み
純子 松井
ゆるい神様♪
10年前
佐々木 淑文
和邇(わに)・・・サメのことらしいですが、ウサギが渡るために騙して、丸裸にされる・・・そこを通りかかって「どうしたんだい?」って言う神様ですから確かに緩い神ですね。松井殿<m(__)m>
10年前
純子 松井
いなばの白うさぎの?
そなのね
10年前
佐々木 淑文
大国=大黒なんですな。どういうわけか
10年前
五島 高資
マハーカーラとの習合ですね。しかし、二度死んでも生き返るすごい神でもあります。日本神話では少名毘古那と共に医業の神様です。
10年前
編集済み
佐々木 淑文
ヒポクラテス派?でしたかwwwそれなら治療は朝飯前か夕食後<m(__)m>
10年前
Michiko Naito
辞書や検索を駆使して、皆さまのコメントを解読させて頂いています。學びをありがとうございます✨(^^)
10年前
五島 高資
佐々木さん、おはようございます。ars longa, vita brevis ですから、畢竟、死苦を良く知るものこそ弱者の視点に立つことが出来ます。それが医療者に必要ということかと思います。大物主神から大国主命への再生がスサノオや八十神による試練やを経てこそ可能だった所以と考えます。
10年前
編集済み
五島 高資
俣江さん、日本神話は荒唐無稽だからこそその奥深さがあります。記紀は分かっているようでまだ解明されていないところが多々あるから面白いです。
10年前
中山 慧一
恥ずかしながら、日光二荒山神社に詳しくないのですが、近くには神が高天原よりお渡りになる際の舟形が有りそうにも思えるのですが如何でしょうか?
10年前
中川 洋子
五島先生✨やはり宇都宮は宇宙の宮ですよね(*^^*)中山様がおしゃる様に私は決まった所でクラウドシップさんにお会いします✨すみません割り込んでしまいました(≧∇≦)
写真の説明はありません。
10年前
五島 高資
中山さん、舟形は見かけませんでしたが、田道間守の前に大きな玉石がありました。