建速須佐之男命(七)
九州に残る須佐之男の伝承は日本武尊が河上タケル征伐前に訪れたと云われる鞍手の古物神社にあります。
古物神社(剣神社)
八幡宮の縁起に曰く、
古門村は神代の昔、スサノオの命が高天原より出雲国に行く時の旧跡である。
十握(とつか)の剣とスサオノの命を昔から祀る神社で、剣神社と号す。
この神社にはもう一つ伝承が残っていて
剣神社の縁起に曰く、「天智天皇の御世に、僧・道行が熱田神宮の神剣を盗んで、新羅に行こうとした時、剣がにわかにその袋を突き破って空に飛び去り、筑前の古門に落ちた。
その時、光が放たれて、数里四方まで輝いて見え、土地の人が驚いて見ると、剣だった。
みんなこれは神のものだと思って、穢れのないようにと、相談して小さな祠を作ってこれをおさめた。
朝廷がこれを聞いて草薙の剣だと分かり、使いの官吏を派遣して熱田に戻した。これよりその剣が落ちた所を「降物」と言った。剣が自ら降りて来たという意味で、今「古門」と言うのはなまりである。
剣は熱田神宮に戻ったとはいえ、神霊はなお古門に留まっていて、魔を払い、災いを消すということで、万民が崇敬した。」
つまり天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ、あまのむらくものつるぎ)別名 草薙の剣が自然に降ったと考えるよりもスサノオか日本武尊が置いていったか新羅の僧がここに隠したかという場所なのです。
一方 天日鉾は国東半島の姫島から出航しアカル姫を追って難波に入ろうとしたが、住吉に阻まれ入れなかったという伝承を残します。
比売語曽神社
九州での須佐之男の伝承はこのぐらいですが、本州には多くの伝承が残っているようです。
それはまた別の機会に・・・・
建御雷神
しかし何故阿蘇の一族の名前(例 建御雷神(たけみかづちのかみ)健磐龍命)のように名前に建・武が付くのかは須佐之男に関係があるようです。