マーラー 交響曲第3番スコア読み
まだ確定ではないのですが、来年末にマーラーの交響曲第3番を指揮する機会が有るかもしれないとのことで、スコアを読み返しています。
コンスタンティン・フローロス「マーラー 交響曲の全て」(前島良雄・前島真理 訳)にも目を通していますが、交響曲第3番の作曲に当たってのマーラーの宇宙観についての記述の部分において気に留めておきたい箇所があったので…
「第3交響曲を作曲しようとした発端は、この世に生を受けた想像されたものたちのヒエラルヒー(植物界、動物界、人間界そして天使の世界)についての考え、また、愛こそがそこから世界を静観することができる一番上の階層に位置するのだという考えから、マーラーが霊感を受けたことにある。彼の愛に対する考えは、ヘルマン・ベーンに宛てた手紙からも明らかなように、地上的なものではなく、永遠のものとしてとらえた愛であった。(中略)彼は愛を「至高の真実──すべての生あるものの根源」と了解していた。」
またマーラーはバウアー=レヒナーに宛てて
「これはもはや音楽と言うべきものではなく、自然の響きそのものと言ってもいいだろう、生命のない物質から生が出現していく過程は不気味で(それゆえこの楽章を〈岩山が私に語ること〉と名付けようと思ったほどだ)、次第にほころび出てきた生あるものは一段階ごとにより高度な生命体、花や動物や人間と言った形態に発展していき、生後には精神の領域、つまり「天使たち」にまで到達するのだ。」
これを読み返していて、私は仏法の十界論に似ているなと…。十界論では地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天・声聞・縁覚・菩薩・仏と生命の状態を表し、最初の地獄界から天界までを六道と言い、感情が主体で通常その中を行き来(六道輪廻)していくのですが、次の箇所での
「「まだ結晶化していない無機物の、生命の無い自然」の重苦しい影が、(動物たちが私に語ること)の楽章の終わりに現れてくる事について、マーラーは「それはここでは地上最高の生き物である人間の精神領域への大いなる跳躍を前にして、自然のより低い存在である動物的形態に逆戻りすることを意味しているのだ」」
を読んだときに、(仏法の下、生命は平等でありますが)これは六道輪廻と同等とみても良いのではないかと考えました。長い第1楽章が本来これに当たるとは思うのですが、第2楽章で花、第3楽章で動物となります。ここまでを含めても良いかもしれぬと考え始めています。
そこから先、第4楽章で人間、第5楽章で天使たち、最終楽章で愛となるのですが、声聞・縁覚・菩薩・仏に合致し、仏法での最上位である仏界の慈愛こそが、マーラーの考えた永遠なる愛と合致しているようにも思えます。
このように違った角度から作曲への想起を見、またスコアを読み返すことによって、深まるものが有るかもしれぬと、ちょっとワクワクしているこの頃なのです。