良き風を届けよう
Facebook近藤裕子さん投稿記事 ☘️命とは生きている時間☘️
「◯△□」丸 三角 四角
人は皆 心をもち。感覚を持ち。物質としての体をもっています。
仏教語としては 〇は宇宙を表し、悟りや真理、△は「三角は座禅の形で 仏と一体になることを表し、 □は、「枠に囲まれ、とらわれた心を表しているのだそうです。
「私」という囚われた心からは エゴが働き、嫉妬や執着、争いが生まれ、自らを苦しめる〈もと〉にもなり得るのです。
今日は「11月11日」1111という数字は、人生の転換期や新たな章の始まりを告げるサインとして、古来より世界中で認識されてきました。(引用)
私は「原点に戻って自分の心をリセット」する日にしています♡。
上に三角、左に丸、右には四角。「悟り」とは、 私たち自身の、 その本質を知ること。。。
(私見です♡)
Facebook近藤裕子さん投稿記事 ☘️良き風を届けよう!☘️
「風は見えねどかぜはある」
風は見えないけれど、なびく草や 揺れる木の枝で存在に気づきます。
冬には冷たい風を感じ、春には心地よい風を感じます。時には強かったり弱かったり、私達の周りには常に自然の風が流れています。
そして風と同じように 私達は周りの見えないものに影響を受けています。
「風を読む」「風を起こす」「風穴を開ける」「風の吹き回し」など、、、。
私達は、様々な風を起こして生きています。
喜びも、悲しみも、苦しさも、全てが「風」なのです。
だからこそ「今日も誰かを幸せにする〈よき風〉でありたい」と願わずにいられません。
FacebookSammaditthi Asakuraさん投稿記事
「仕事で失敗しませんでした。働かなかったからです。」
「人間関係で失敗しませんでした。人の輪に入らなかったからです。」
彼の人生は完全で、そして最悪だった。<アドラー>
何かに果敢にトライすれば失敗はつきものです。
失敗をすると心は凹んでしまうものですが決して悔いてはいけません。
仏教では失敗を悔いることを 間違った反省法(kukkucca後悔)として捉えます。
失敗を未来に活かすには、正しい反省法である
四正勤(cattāro sammāppadhāna)を釈尊は説かれています。
四正勤とは、「既に生じた悪(失敗)を除く」ように勤める
「新たな悪(失敗)を生じない」ように勤める
「新たな善(成功)を生じる」ように勤める
「既に生じた善を(成功)増す」ように勤める
この4項目を瞑想で得た深い気づき(sati)によって具体的に生じた悪(失敗)、新たな悪(失敗)、
新たな善(成功)、生じた善(成功)を見極めます。
四正勤によって得た結果を強い決意で実践し勤めます。
そして、今に最善をつくして生きることが仏陀が説かれた未来の礎を築く失敗の活かし方です
Facebookアナンド チャラムさん投稿記事
「決心することでのみ、あなたはますます意識的になる
決心することでのみ、あなたはますます結晶化するようになる
決心することでのみ、あなたは機敏になる
さもなければ、人は怠惰になる 」インドの神秘家OSHO
*チャラムのメタファー解説
決心とはきっかけの行動だあなたが何かを決め動き出すとき0.01に99.99が反応する
結晶化とは0.01の99.99を使ったクリエイトだあなたが0.01としての使命を果たさないことを
怠惰と呼ぶ LOVE Charam(スピリチュアル講座での解説参照)
ディヤン ムディト
56、愛より大きなチャレンジはない
<OSHOの講話より>
決心することでのみ、あなたはますます意識的になる。決心することでのみ、あなたはますます結晶化するようになる。決心することでのみ、あなたは機敏になる。さもなければ、人は怠惰になる 。
人々はグルを渡り歩く、師を渡り歩く、寺院を渡り歩き続ける・・・彼らが偉大な求道者だからではなく、彼らは、決心することが出来ないからだ。だから、彼らは渡り歩く。これは、関わりもつことを避けるための、彼らのやり方だ。
他の人間関係でも、同じことが起こる。ある男が女を渡り歩く、変え続ける。人々は、彼のことを素晴らしい愛の人だと思う。彼は、少しも愛の人ではない。彼は、避けている。
深く関わることで、問題に直面しなければならないし、多くの痛みを味わわなければならないから、彼はどのような深い関わりも、避けようとしている。
だから人は、安全を第一に考える。誰かに深く立ち入り過ぎないように、心掛けている。深く行き過ぎたら、あなたは簡単には戻って来られないかもしれない。
そして、もしあなたが誰かに深く立ち入ったら、他の誰かも、あなたに深く立ち入るだろう。それは、常に比例している。
もし私が、あなたにとても深く入るとしたら、あなたにもそれと同じ深さだけ、私に入ることを許すしかない。それはギブアンドテイク、それは分かち合いだ。そうなると人は、あまりにも巻き込まれ、逃げるのは難しく、痛みは大きいだろう。
だから人々は、どうすれば、安全第一でいけるかを学ぶのだ。ただ、表面だけを出会わせればいい・・・当て逃げの恋愛だ。自分がつかまる前に、逃げる。
これが、現代の世界で起こっていることだ。人々は、とても幼稚になった、とても子供っぽくなった。彼らは、成熟をすべて逃している。
成熟は、あなたが、自分の存在の痛みに直面する用意がある時にのみ、訪れる。成熟は、あなたが、チャレンジを受け入れる用意がある時にのみ、訪れる。
そして、愛より大きなチャレンジはない。他の人と幸せに生きることは、世界における最大のチャレンジだ。
独りで穏やかに生きることは、とても簡単だ。他の誰かと穏やかに生きることは、とても難しい。なぜなら、ふたつの世界がぶつかるからだ、ふたつの世界が出会うからだ・・・まったく違う世界が。
どうして彼らは、惹かれ合うのだろう? それは、彼らがまったく違っていて、ほとんど正反対、対極だからだ。 関係性の中で、穏やかでいるのは非常に難しい。だが、それがチャレンジだ。
もしあなたが、それから逃げたら、あなたは成熟から逃げる。あなたがすべての痛みと共に、その中に入り、なおもその中に入り続けたら、その時は、徐々に痛みは祝福になる、呪いは祝福になる。
徐々に、衝突、摩擦を通じて、結晶化が生じる。もがくことで、あなたはもっと油断しなくなり、もっと気づくようになる。
相手は、あなたにとって鏡のようになる。あなたは相手の中に、自分の醜さを見ることが出来る。相手は、あなたの無意識を誘発する、それを表面にもたらす。
あなたは、自分の存在の隠された部分を、すべて知らなければならないだろう。そして、もっとも簡単な方法は、関係性の中で、鏡に映されること、反映されることだ。
より簡単だと私が言うのは、他に方法がないからだ・・・だが、それは辛い。それは辛く、骨が折れる。なぜなら、あなたはそれを通じて、変わらなければならないからだ。
あなたがマスターのところに来ると、さらにもっと大きなチャレンジが、あなたの前にある。あなたは、決心しなければならないし、その決心は、未知なるものに対してであり、その決心は、全一で絶対的、取り消せないものでなければならない。
それは、子供の遊びではない。それは、引き返すことの出来ない地点だ。だから、多くの衝突が生じる。だが、絶えず変え続けてはいけない。
なぜなら、これは自分自身を避けるやり方だからだ。そして、あなたは柔らかいままだろう、赤ん坊の様なままだろう。成熟は、あなたには起こらないだろう。
未知なるものだけが、あなたにとって、魅力あるものであるべきだ。あなたはまだ、それを生きたことがないからだ。あなたはまだ、その領域に入ったことがない。動くがいい! 新しい何かが、そこで起こるかもしれない。
いかにリスクがあろうとも、常に、未知なるものへの決心をしなさい。そうすれば、あなたは絶えず成長するだろう。
だが、既知なるものへの決心をし続けたら、あなたは過去と共に、何度も何度も堂々巡りをする。あなたは、それを繰り返し続ける。あなたは、録音されたレコードになったのだ。
そして、決めなさい。早く、そう出来れば出来るほどよい。引き延ばすのは、まったく愚かだ。明日にはまたあなたは、決めなければならないだろう。そうであれば、なぜ今日ではいけないのか?
それにあなたは、今日よりも明日の方が、自分はもっと賢明になっていると思うのか? 今日よりも明日の方が、自分は元気だと思うのか? 今日よりも明日の方が、自分は若い、今日よりも新鮮だ、と思うのかね?
明日の方が、あなたは年を取っている。あなたの勇気は、少なくなっている。明日の方が、あなたは経験を積み、あなたの狡さは増している。明日の方が、死は近づいているだろう。あなたは震え出し、もっと怖くなるだろう。
けっして、明日に引き延ばしてはいけない。そして、誰に分かるかね? 明日は来るかもしれないし、来ないかもしれない。
決めなければならないのであれば、まさに今、あなたは、決めなければならない。
OSHO:Dang Dang Doko Dang より抜粋