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今を生きる

2024.11.16 06:11

FacebookSammaditthi Asakuraさん投稿記事

過去にとらわれて、いつまでも怒ったり憎しんでいても、自分の傷が深まるばかりです。

サラッと心を切り替えて今を生きましょう。切り替えが出来ない時は瞑想をしましょう。

「過去は追ってはならない、未来は待ってはならない。ただ現在の一瞬だけを、強く生きねばならない。」-仏陀の言葉より-

Facebook相田 公弘さん投稿記事「引きずらないこと」

田坂広志氏の心に響く言葉より…

何年か前、人間の「不動心」について、興味深い心理学的実験が行われました。

最近、座禅の修行を始めたばかりの若者と、永年、禅寺での修行を積んだ禅師の二人に、脳波の測定実験を行ったのです。

最初、二人同時に、座禅による瞑想状態に入ってもらい、その脳波をそれぞれに測定したところ、二人の脳波は、いずれも、整然とした「アルファ波」を示しました。

そこで、二人を驚かせるために、突如、大きな音を立てたところ、二人の脳波は、いずれも、大きく乱れた波形を示したのです。

結局、永年厳しい修行を積んだ禅師も、決して「不動心」ではなかったのです。

しかし、実は、その後の二人の脳波が、大きく違いました。

若者の脳波は、音が静まった後も、いつまでも乱れ続けたのですが、禅師の脳波は、すみやかに、もとの「アルファ波」の状態に戻ったのです。

この興味深い実験結果は、「不動心」の本当の意味を、教えてくれます。

「不動心」とは、「決して乱れぬ心」のことではなく、「乱れ続けない心」のことなのです。

◇『自分であり続けるために』PHP

肚(はら)が座っている、とか、どっしりとしてうろたえない、という「不動心」は、何も驚かない、何も感じないということではない。

人は、感じることや、驚き、を失ったら、機能や効率だけを追求するロボットと同じになってしまう。

喜怒哀楽も同じで、喜怒哀楽の振幅の少ない人の方が、人間ができているように思うが、そうではない。

本当は、喜怒哀楽の幅の大きい人が魅力的なのだ。

うれしいときには大喜びし、義憤を感じたら涙を流して憤慨(ふんがい)し、悲しいときは大泣きし、楽しいときには呵呵(かか)大笑する。

しかし、大事なことは、喜怒哀楽を引きずらないこと。

「今泣いたカラスがもう笑った」という、子どものような柔軟な感性が必要なのだ。

色々な感情を、「引きずらないこと」、「とどめないこと」は、とても大事だ。

※【人の心に灯をともす】より

Facebook加藤隆行さん投稿記事【ゆるしてあげる】

「かとちゃんの投稿読むと なんだか気持ちがラクになるんですよね」

「朝一で気持ちがリセットされてよしやろうって気になるんです」なんてよく言われます。

ボクの投稿って最近のでも遡ってもらえばわかりますが、実は、「いいよ」と言ってるだけです。「怒っていいよ」「不安でいいよ」「イヤって言っていいよ」「泣いていいよ」「もっとラクしていいよ」「好きことしていいよ」「人の役に立たなくていいよ」「ちゃんとしなくていいよ」「しっかりしなくていいよ」「無理しなくていいよ」「負けてもいいよ」「迷惑かけてもいいよ」「やめてもいいよ」「やってもいいよ」だいたいこれを手を変え品を変え

書いてるだけです。なぜならばみんながそれを「禁止」することで苦しんでいるから。

「怒っちゃダメ」「不安になっちゃダメ」「イヤって言っちゃダメ」「泣いちゃダメ」「ラクしちゃダメ」「好きことしちゃダメ」「人の役に立たなきゃダメ」「ちゃんとしなくちゃダメ」「しっかりしなくちゃダメ」「無理してでもやらなきゃダメ」「負けちゃダメ」

「迷惑かけちゃダメ」「やめちゃダメ」「やっちゃダメ」ダメ、ダメ、ダメ。

あなたの今のお悩みはなんだろね。なにをダメって言ってるのかな。

みんながそうやって自分に厳しく「禁止」をして自分の想いや行動を否定しているから

ボクが変わりに「いいよ」と「許可」しているだけなのです。無責任に(笑)。だからラクになるんです。だからリセットされるんです。

その「禁止」どこで拾ってきたんだろね。誰の言葉なんだろね。

ラクに生きてる人自分を否定しない人はみんなそれを「許可」してるだけだよ。無意識にも。

「怒っていいよ」「不安でいいよ」「イヤって言っていいよ」「泣いていいよ」「もっとラクしていいよ」「好きことしていいよ」「人の役に立たなくていいよ」「ちゃんとしなくていいよ」「しっかりしなくていいよ」「無理しなくていいよ」「負けてもいいよ」「迷惑かけてもいいよ」「やめてもいいよ」「やってもいいよ」生まれたときには人は「ダメ:禁止」なんて持ってない。全部OK、全部「許可」。

そこにいっぱい「ダメ」をつけてきて苦しくなって、身動き取れなくなって今は、それを外していくタイミング。

人生は自分で縛って「禁止」したものを自分で緩めて「許可」していく自作自演の旅。

もうそろそろラクに生きてもいいよ(^ω^)

【怒ってもいい】

「怒ってもいい」といつもお伝えしてます。でもよくこの言葉は誤解されるので、今日はその意味をちょっと詳しく書いておこかなと思います。

「怒ってもいい」というのは、「怒りの”感情”はあっていい」という意味です。

「怒りの”行動”があっていい」という意味ではありません。

みんなマジメなので意識的にも無意識にも「怒ってはいけない」と怒りやイライラに✕を付けて”抑圧”してしまいます。

抑圧した分、怒りやイライラのエネルギーが胸や腹に溜まりどんどん大きくなってそのうちドカンと爆発しまた強く怒ってしまいます。

するとそんな自分に強い罪悪感や嫌悪感後悔の念を感じ「ああ、またやってしまった 今度こそ怒っちゃいけない」とまたさらに抑圧し続ける。そんな永久ループの中にいる人が多いのです。だからまずはその永久ループから抜けるためアナタ自身をゆるす言葉が「怒っていい」

なのです。自分に怒りがあることに嫌悪や罪悪感を感じなくていい。

怒りは自分を守るための感情。だから自分を守ろうとしてとっさに怒ってしまっただけ。

余裕がなかったから怒っちゃったよね。必死だったから怒っちゃったよね。頑張りすぎちゃったから怒っちゃったよね。

分かってもらえなくて悲しかったから怒っちゃったよね。そりゃあ怒るのも当然だ。怒るのもわかるよ。そうかそうかと自分を「理解」し「共感」し怒りの感情に✕をつけず抑圧ループにハマってより怒りを大きくしない。

もう人を傷つけたくないのに無意識に大きな怒りで傷つけてしまう自分をつくらない。

そのための、そーいう意味での「怒ってもいい」なのです。

積極的にどなっていいとか他人に当たり散らしていいとかいう「行動」面に「いい」と

言っているのではなく、自分を怒りの抑圧と罪悪感から「開放」してあげるための言葉なんです。

カウンセリングの現場では昔、父親や母親に理不尽な「怒り」をぶつけれらてきたような過去がある人がたくさんいます。

そんな人は当然のこと、「怒ってはいけない」と無意識にも怒りを嫌悪し抑圧しています。

でもあんな母親にならないあんな父親にならないと思っていたのに、自分の子どもや大切な人たちに怒ってしまい愕然としてしまう。

でもそれはあなたが子どもや大切な人たちを愛しているからこそ「怒っちゃいけない」「傷つけちゃいけない」と強く思うからこそ怒りを抑圧してしまうのです。

だからもう怒る自分をゆるしてあげてください。「怒っちゃう私がいていいんだよ」悲しかったもんね、イヤだったもんねもっと大事にしてほしかったもんねそうだよね、わかるよ。

怒る自分をゆるせたときもしかするとあの怒っていた親御さんのこともゆるせる時がくるかも、しれません。「怒ってもいい」はあなたを長年の呪縛から解放する、大切な大切な言葉なのです。

***

【今を生きるため~その1】       

夏のある日 らん(犬)は階段をあがれなくなりました。どんなに努力しても足に力が入らなくなったからです。悲しい鳴き声を上げましたが 階下にらんの寝る場所を用意すると 黙ってそこで寝ることに決めました。

自分の死期を悟り、受け入れたからだと思います。

それまでは雷が鳴るとぶるぶる震えていたのに 全く動じなくなりました。

何も怖いものが亡くなったという感じです。

それからは散歩に行っても道の真ん中で伏せこんだり・・・・・何も食べられない日が一日。

次の日、和多志が外出中に命を引き取っていました。

まるで家族の帰りを待ちわびるがごとく、玄関先で遺体となっていました。

「寝ているのか?」と思い、身体に触ると冷たく硬直していました・・・・・

らんの魂は 古い身体を脱ぎ捨て 新し命を得る準備をしているのでしょうか?

「奇跡の脳」の著者ジル・ボルト・ティラーさん(左脳出血から立ち直った神経細胞 学者)は  人間の脳は左脳が鎮まるとき「人生の思い出から切り離され、神の恵みのような感覚に浸り、 心が和んでいきました。」「意識は悟りの感覚、 あるいは意識と融合して『ひとつになる』ところ まで高まっていきました。」「心地よいのです。」と 語ります。

考えと感情が止まることは 左脳が鎮まることを意味します。

「メメントモリ」は「死を覚えよ」という意味の修道院での挨拶です。

シナイ山の麓のカテリーナ修道院には 頭蓋骨だけが沢山おさめられた部屋があります。 

死を覚えて生きるとは いつ死んでも悔いのない生き方を志向するということです。

人生への未練から切り離されるということでもあり 死の瞬間にも 左脳が鎮まった 『ひとつに戻る』安らぎと心地よさを 失わないということです。

いつ死んでも悔いのない生き方を志向するため死のワークショップを企画しました。

次の投稿予定にします。