五島観光歴史資料館
風澄んで鏡のうらの常世かな 高資
爽籟や鏡のうらに常世あり 高資
五島藩主・五島大和守盛成(本家)より当家へ下賜された蓬莱文白銅鏡(銘天下一中嶋和泉守貞次)。向かって左側にある「丸に花菱」が五島家の家紋です。先日、京都国立博物館に寄託してきました。
中嶋和泉守貞次は、十七世紀を中心に活動した鋳鏡師で特に和泉守貞次は、尾張徳川光友夫人千代姫輿入れの際の国宝「初音の調度」の蓬莱鏡 http://www.tokugawa-art-museum.jp/.../img_past_h21_11.jpg(徳川美術館蔵)など、当時の最有力者層の調度鏡も担当し、青家と並んで京都でも筆頭格の鏡工房であった(解説「京都国立博物館」)と言われています。
場所: 五島観光歴史資料館
日と月と剣と具足(そだ)る七日かな 高資
打出の飛竜を鎧ふ淑気かな 高資 当世具足(伯父・松本操八寄贈)
幼い頃、伯父の家に遊びに行ったらこれが飾ってありましたが、今は管理が大変なこともあり市の五島歴史資料館に寄贈しました。丸に花菱は五島家の家紋です。
本来、五島家の始祖は、平家盛とされていますが、後世、武田家の血筋が入った際に源姓と武田菱を取り入れたのが花菱の由来だと聞いています。その他、多々良浜の戦いにおける戦功にて足利尊氏から二つ引龍紋も頂いています。
私の家は分家筋ですから大したことはありません。もっとも、父親の両親、母親の両親、そのまた上の両親というように代々溯れば、現在の自分が生まれるために戦国時代までには五千人が必要らしいですから、ほとんど人類皆兄弟だと思いますよ。
歴史は勝者の都合の良いように書かれたものが多いそうですね。その昔、瀬戸内海を支配した水軍、渡辺党は源氏で、九州方面の松浦等党は平氏だったようですね。勝者へなずらったと云う事でしょうか。
確かに壇ノ浦の戦いで、松浦党は平家方ですね。いずれにしても、毛利も松浦も五島も元をただせば海賊上がりですからね。
海賊というとイメージ悪い(逆にワンピースの影響でかっこいい?)かもしれませんが、要は海の民ですよね。百姓だってひどいことされれば一揆をやったんだから海の民の海賊行為もある程度生きていくためには致し方なかったのでしょう。
五島 高資 おっしゃるとおりですね。平戸で生まれた鄭成功なんかは台湾を占拠していたオランダ人を追い出すなどの功績もありますね。
鄭成功は魅力的な人物です。当時は今のように中国が・・・とか韓国が・・・とか言わない鷹揚さがいいですね。それに出身地というより利害関係(志?)で動いていたから今よりずっと国際的ですね。
初期の倭寇の頃に、中国から観た対馬の印象が有るそうです「(対馬)には広き所なしと。海に益を求めるしかなく、それが時を経て回族となったのでしょうね。
五島 高資 ある意味、自由な時代でしたから、逆に義が重んじられたということはあると思います。一衣帯水の歴史を顧みるべきですね。
良く言えば、実力行使の海外貿易だったんでしょうね。
先日、五島福江島の中須で写真のような掲示を見つけました。ここから先は浅いので座礁の危険があると中国語で書かれていました。何と大らかな国柄かと感心しました。
写真の説明はありません。
ものごとを国境線のない海から見たら今のような尖閣問題や竹島問題もなくなるのでしょうけれどねえ。
五島 高資 海賊も義を以てすれば武士道へと通じますからね。もっと高い次元に立つべきですね。
台風の時は、ここの中須湾に100隻もの中国船が避難して来ます。国際法で避難船は受入れなければなりませんが、上陸は抑止されています。掲示は湾内に入らないような警告でしょうね。
五島 高資 百艘とはすごいですね。国境の島という実感がありますね。この堤防のあたりでもけっこう湾奥ですよね。
100隻も集まると、つい間直です。海上には海上保安署の監視艇が停泊し、陸上ではパトカーがパトロールしています。
以前、上陸した台湾の漁民が福江の繁華街で飲んでいて騒動になったとタクシーの運転手さんから聞いたことがあります。その台湾人いわく「日本人も同じように台湾の港に上陸しているから何が悪いんだ」と。真偽の程は分かりませんが。
ヘトマトの草鞋に玉の稲積めり 高資
蓬莱やかがみの舟に稲の魂 高資
ヘトマト(国指定重要無形民俗文化財)の大草履とわら玉— 場所: 五島観光歴史資料館
https://www.tabirai.net/sightseeing/column/0008233.aspx 【へトマト|長崎・五島に古くから伝わる奇祭!大きな草履が街を歩く/五島】より
長崎県五島市にある下崎山地区で、2020年1月19日(日)に「へトマト」が開催されます。
古くから伝わる小正月の民俗行事で、国の重要無形民俗文化財に指定。毎年1月の第3日曜日に「豊作」「大漁」「子孫繁栄」をまとめて祈願します。
白浜神社で奉納相撲を始め、羽根つき、玉蹴り、綱引き、大草履の練り歩きを繰り広げます。見どころは、長さ約3メートル、幅約1.5メートル、重さ約300キロの大草履の練り歩き。最後に山城神社へ大草履を奉納し、神社に向かう際、大草履に見物の未婚の女性を載せて胴上げを行います。
イベントを盛り上げるのは、顔や身体に「へぐら」と呼ばれるススを塗った若者。周辺の見物客に「へぐら」を塗る事もあり、悲鳴と歓声が広がります。
https://omatsurijapan.com/blog/hetomato/ 【長崎県・五島列島のなぞ過ぎる奇祭「へトマト」に行ってみたら、お姫様抱っこの勇者がド派手に現れた件】より
長崎県・五島列島のなぞ過ぎる奇祭「へトマト」に行ってみたら、お姫様抱っこの勇者がド派手に現れた件
どうも。奇祭ハンターのMacです。今回は、その由来に関して定説がなく、何のためにやっているのか意味不明のなぞ過ぎる奇祭「へトマト」の謎に迫ります! 神秘のヴェールに包まれるにも程があるぜって感じで、これぞ奇祭中の奇祭という感じがしますよね。早速、ミステリーを解き明かしに会場の五島列島へと行ってみましょう。
この日のために貯めたマイルを使って、羽田から長崎空港へ。
さらに長崎港からフェリーで約3時間(ジェットフォイルだと約1時間半)。五島列島の福江港をめざします。
フェリーの甲板に上がった後、船内で売っていたカップラーメンなんか食べていると映画「天気の子」の冒頭シーンを思い出しますね(あれは神津島→竹芝港までのフェリーでしたが)。
夜8時着という遅い到着でしたが、ありがたいことに福江港まで宿のオーナーが迎えに来てくれました。今日はゲストハウスに前泊。明日の午後13時からの祭りに備えます。
翌日、午前中は奇祭まですることがなかったので、バスツアーで福江島観光に行きました。何と言っても五島列島は長崎の「潜伏キリシタン関連資産」で世界遺産に指定されていますからね。
福江島に点在する数ある教会の中でも、井持浦教会は「ルルドの聖水」で有名。どんな難病も治ると言われる奇跡の水を本家フランスのルルドから運んできているので、要チェックです。祭りを見に来て、まさか聖水を飲むことになるとは思いませんでした。
ランチは港近くの食堂で五島牛入りの五島うどん(肉うどん)をゲット。聖水で清めた体のままいよいよ午後からの祭りに向かいます! ここでようやく目次がドーン!!!
これが祭りのスタート地点となる白浜神社。小さな境内ですが、土俵があります。祭り当日の13時頃、境内には相撲目当ての観客が多数集まってきました。
ズボンをはかない男たち。安心してください、下はフンドシです。
どうやら相撲の出番を待っているようです。
これが白浜神社での「奉納相撲」。子どもや中学生の部に続いて、地元の青年団VS消防団のガチンコ対決が行われました。ここから青年団VS消防団の三本勝負が始まります。今は青年団と消防団が主体となって行われていますが、昔は東地区VS西地区の対決だったそうです(なぜに東VS西?)。
新妻対決!「羽子板」
青年団VS消防団の次なる対決の前に少しコーヒー・ブレイク。着飾った新婚の奥様2人が酒樽に乗って「羽つき」を行いました。出演者は新婚の嫁でないといけないそうで、羽根つきの数が続くほうが豊作・豊漁となるのだとか。
今回、羽子板勝負を行った新妻のおひとり。記念に一枚パシャリ。お正月らしいお祭りっぽくていいですね。
この辺から「ヘグラ」と呼ばれるススを体中に塗りたくった若者が待機。彼らに捕まると観光客と言えど、顔にススを塗られます。これは見ている観客もたまったもんじゃあ……。
!!! いや、ノリノリかよ!
青年団VS消防団➁ 「玉せせり」
ヘトマト 玉せせり
青年団VS消防団の二回戦はその名も何と「玉せせり」。縄で巻き取柄のついた藁玉を激しく奪い合うナゾの球技です。最初はどうやったら勝つのかまったく意味不明でしたが、どうやラグビーのように球が相手チームのラインを超えれば勝ちのようです。
「この球技は宋家二代 羅 愚美(ら ぐび)が創始し、英国に伝わってラグビーの起源となったという説が支配的である」(民明書房刊「スポーツ起源異聞」より)という感じで、「魁! 男塾」にも出てきそう。妄想が止まりません。
冗談はさておき。玉せせりの奇妙な玉の形は鯨の目を模しているとも言われ、昔は勝った方が鯨の分配量を頭付きで取れたため、熱の入れようがすさまじく、刃傷沙汰が絶えなかったそうです(その後、鯨が捕れなくなったことや戦争で祭りを行う青年がいなくなったことから一時廃止され、現在は復活。もちろん今は捕鯨も分配もしていません)
https://www.city.goto.nagasaki.jp/gotowebbook/040/020/010/020/20190221123140.html 【ヘトマト】より
開催時期は?1月中旬の日曜日
開催場所は?五島市下崎山町
始まったのは?不明
由来 「ヘトマト公開調査」市教育委員会昭和54年調査
『中通島小串(現在の新上五島町小串郷)の正月16日の的射(マトイ)の行事があり、12才以下の男の子二人を選んで前日の15日に的射を行い、16日に的やぶり(アトマト)の行事を行った。その小串の的射の行事のアトマトが長年かかって変化し、ヘトマトとなった』
五島史と民族」著者平山徳一氏
『ヘトマトの語源は未だ定説はないが、各地方によく見られる正月行事をまとめて催すところに語源の秘密があるように思える。
この地区で行われていた的射がすんだ後で的を破る役割だった「アトマト」から由来。
祭りで使う草履の形が女性を表すことに関するものから由来。
泳ぎに行くとき、魔よけとして釜についたへぐら(すす)を体に塗っていたが、このヘトマト祭りでも若者は全身へへぐら(すす)を塗っていることから、釜(へ)と的(マト)の重言ではないか。』
お祭りの内容は?
奉納相撲 白浜神社で、幼稚園児~大人まで相撲をとります。
羽根つき その年に結婚した女性が俵の上に乗って行います。
玉せせり
勝った方が鯨の分配量を頭付きで取れるため、熱の入れようがすさまじく、刃傷沙汰が絶えなかったことや、鯨が捕れなくなったこと、戦争で祭りを行う青年がいなくなったことから一時、廃止されましたが、現在は、復活しています。ただし、鯨を捕ることや分配などはしていません。
城山神社に奉納
長さ3メートルの大草履に観衆の中から見つけた娘さんを乗せて町中を練り歩く
ヘトマトの草鞋に玉の稲積めり 高資
蓬莱やかがみの舟に稲の魂 高資
ヘトマト(国指定重要無形民俗文化財)の大草履とわら玉
— 場所: 五島観光歴史資料館