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「宇田川源流」【日本万歳!】おにぎりという「携帯食文化」を持った日本の強み

2024.11.17 22:00

「宇田川源流」【日本万歳!】おにぎりという「携帯食文化」を持った日本の強み


 毎週月曜日は「日本万歳!」をお届けしている。日本人のすばらしさや、日本人を称賛している記事などを見つけ、その内容を皆さんに紹介し、そのうえで、皆さんの毎日の行動に、日本人としての誇りを持っていただくということを目的にして、記事の連載を行っている。

 日本人のすばらしさというのはいったい何であろうかということを考えたことがあるだろうか。実際に、様々なところがあげられると思うであろう。「規律の正しさ」や「まじめさ」「勤勉さ」などから「やさしさ」なども挙げられる。もちろんこのようなことを書くと、「そうはない」という例を挙げて反論する人がいるが、逆に、わざわざ希少な例を挙げて反論しなければならないほど、そのような特性がしっかりと日本人の中に根付いているということになるのではないか。ここに書いたような中で「箸にも棒にも掛からぬ」というような特性を挙げているとすれば、そのような例を挙げるまでもなく、特性の中にはないというようなことになり、多くの人から反論が来るに違いないのであるが、そのようなことにはなっていないのである。

 さて、そのような特性もあるが、あえて今回は「清潔さ」ということと「日本人の同じレベルである」というようなことを挙げてみたいと思う。

 日本人のすばらしさの中に「清潔さ」を入れることは特にそうではないというように思う人も少なくないのかもしれない。しかし、本当に日本は海外のどの都市に比べても清潔であるという気がする。もちろん清潔であるということは「水がきれい」ということもあるし「きれい好き」という性質もあるのではないかという気がしないでもない。しかし、そのような特性が、同時に「同じような価値観を持っている日本人が多い」ということがあげられるのではないか。

 そのような内容派「食事と食材に対する信用」という意味でも同じなのではないか。

<参考記事>

「パリでは600円はします」 フランス人が堪能した日本食 価格に衝撃を受けたものとは

11/7(木) Hint-Pot

https://news.yahoo.co.jp/articles/b0a36bf7610f7c0f65ca70c0b6964bafcfbc5368

<以上参考記事>

 先日外国人の方々と話をする機会があった。その時に「日本の文化は何が素晴らしいのか」ということが話題になった。もちろんその外国人の方々は日本のことが好きで、日本語も流ちょうに話すことができる。

さて、ここで皆さんに聞きたいのは「あなたにとって日本とは何か」ということである。もちろん外国人の方が来て「どこか案内してほしい」と言えば、その外国人がはじめてに近い人であれば、東京ならば「浅草」とか「秋葉原」とか、または「ディズニーランド」とかそういった観光地を案内することになる。そして、もう少し何回も着て「少し玄人好みする場所を案内してほしい」というようになれば、多分「谷根千」のあたりの下町風情の残る場所を案内するか、相手の趣向に合わせて昭和な感じの場所を案内することになるのかもしれない。

では、そのようにもっと詳しく日本を知りたい人に、ようするに、例えば日本が好きで日本に住み始めた外国人に日本を知るために日本を教えてほしいといわれれば、何を教えてあげるのであろうか。もう、どこか観光地を案内するというような話ではなくなってしまっており、日本人としての生活や、日本人としての日常を教えることになるのではないか。

そう、要するに「日本」とは「日本人そのものであり日本人の日常」であるということになる。

私はこの時に「まずは日本語、そして次に日本の生活習慣を体験してください。一つ一つの日本語に意味がありますから、その言葉の中に日本人の奥深い思想が入っています。また日本の食事や生活習慣には、日本人の環境と、食べ物そして食べ物をくれた神々への感謝が現れています。そのようなことを感じながら食事をしてみてください」というように伝えている。

さて「おにぎり」である。

そもそも、日本の食事は懐石料理など正式な料理では「ごはん」は最後に出てくる。おかずの品々で足りない分を補うという形になり、主食は最後にするということになる。その意味ではおにぎりや丼物のように、主食とおかず(具)が一緒に提供されるというのは、日本人の正式な食事形態からすると邪道である。しかし、忙しい時や旅先など正式な食事をできない場合に、おかず(具)と主食を一緒に食べるということで、双方を味わうことのできる「時短」メニューが昔からできている。

当然にそれらが正式な食事と同じではないにしても、その食事に関して食に関する感謝などは全く変わるものではない。単純に値段が安いということは、日本で日本食を食しているのであるから他の文化圏で味わう事とは全く異なるということで、値段の話などをすることはないが、そのような「携帯食」であっても、日本の場合は「安全に提供され、基本的に食事の信頼を失わない」ということが大前提に存在する。そして、その中に握らrて言える「具」に関しても、安全だけではなく、こだわりや主食との相性などがしっかりと研究されていることになるのである。

そして、もっとも言いたいのは、「そのような食事を作る日本人の心」と「日本人の習慣」こそが、最も重要なのではないか。今後そのような日本人の心や習慣をより一層深く紹介してゆきたいものである。