【参考】木次線 乗車記 2024年 秋
島根県から広島県の中国山地の山間に向かうローカル線・JR木次線。コロナ禍を機にJR各社が問題提起している“赤字路線(区間)のあり方”に関して、今年5月にJR西日本から協議開始を打診されたこの鉄路を全線乗車し、ローカル線の“観光利用”について考えた。
JR西日本が管轄する木次(きすき)線は、汽水湖である宍道(しんじ)湖の南東端に位置する宍道駅(島根県松江市、標高4m)を起点に、中国山地の脊梁内の三井野原駅(同奥出雲町、標高727m)から県境を経て、山間のターミナル・備後落合駅(広島県庄原市、標高446m)を結ぶ、路線距離81.9km、駅数18のローカル線だ。*下地図出処:国土地理院「地理院地図」(URL:https://maps.gsi.go.jp/)色別標高図より、筆者にて加工(文字入れ、路線線画)
また木次線は、三江線(江津~三次、108.1㎞)が廃止(2018年4月1日)された後、唯一の広島県と島根県を結ぶ鉄路(陰陽連絡線)となっている。*参考:雲南市「祝 木次線開業百周年」
この路線を一躍有名にしたのが、昭和を代表する小説家・松本清張の「砂の器」。殺人事件のカギとなる“カメダ”という言葉から、担当刑事が沿線の亀嵩(かめだけ)地区にたどりつき事件を解決してゆく。*参考:奥出雲町観光協会「松本清張「砂の器」記念碑」
沿線は神話「ヤマタノオロチ伝説」の舞台で、2023年11月までトロッコ列車「奥出雲おろち」号が運行され人気を得ていた。そして、このトロッコ列車も走行していた急こう配を克服するために設けられた「三段スイッチバッグ」(出雲坂根駅~三井野原駅間)など、木次線には観光資源が多い。*下図出処:(左)西日本旅客鉄道㈱「Blue Signal -西日本の美しい風土-」vol.143 2012年7月号「沿線点描」木次線 URL: https://www.westjr.co.jp/company/info/issue/bsignal/12_vol_143/area/index.html / (右)出雲の國・斐伊川サミット事務局「出雲の國・斐伊川サミット」トロッコ列車「奥出雲おろち号」URL: https://www.hiikawa-summit.info/orochi/index.html
しかし、木次線は山間の県境区間の輸送密度が極端に低く、JR西日本管内でワースト2位になっており、今年5月23日にJR西日本から『木次線の出雲横田(島根県奥出雲町横田)-備後落合(広島県庄原市)間の沿線自治体と公共交通の在り方を協議する意向』を示された。*出処:山陰中央新報 2024年5月24日「木次線在り方 協議の意向 JR西、沿線自治体と 出雲横田-備後落合」URL:https://www.sanin-chuo.co.jp/articles/-/580089
ちなみに、この木次線が接続する広島県側の芸備線・備後神代~備後庄原間は、“JRと自治体による話し合い”を越え、国が設置する当該赤字区間の再構築協議会が今年の3月から始まっている。*参考:国土交通省 中国運輸局「芸備線再構築協議会について」
木次線はダイヤも、利用状況によって複雑に区分されている。宍道~木次間は本数が多いが、“在り方”を打診されている出雲横田~備後落合間は常時3本で、只見線の会津川口~大白川間と同じになっている。*下図出処:交通新聞社「JR時刻表 2024年11月号」
この木次線については、只見線が「平成23年7月新潟福島豪雨」被害で区間運休となった後に、JR東日本が示した「只見線について」という資料の「路線別ご利用状況」の中で、全国のご利用の少ない路線の表に只見線とともに掲載されていた。*下図出処:東日本旅客鉄道㈱「只見線について」(PDF )(2013年5月22日)
この資料で利用の少ない路線(JR)については、以下の路線が廃止もしくは廃止予定となっている。
岩泉線:2014年4月1日廃止
三江線:2018年4月1日廃止
留萌(本)線:2016年12月5日 留萌~増毛(終点)廃止、2023年4月1日 石狩沼田~留萌廃止
*2026年4月1日 深川(起点)~石狩沼田廃止予定
木次線は只見線同様に、県境を越える路線で収益が相当悪いが観光資源が豊かな路線ながら、現在は「奥出雲おろち」号を失い、定期運行の観光列車が運行されない路線になっている。今回は、木次線を全線走破し、沿線の観光資源や車窓の風景を見て、JRから“在り方”について協議を打診されている鉄路の可能性を考えた。
*参考:
・木次線利活用推進協議会 URL: https://kisuki-line.jp/
・庄原芸備線・木次線利活用推進協議会 URL: https://www.shobara-geibi-kisuki.jp/
前日、出雲市に入って宿泊。今朝は、早起きしレンタカーを借りて、日本海に突き出た日御碕に向かった。日の出には早かったが、車を停めて岬に行くと、穏やかに波打つ磯の向こうに、綺麗な朝焼けが見えた。
日御碕にやってきたのは、“日本一”の石積灯台「出雲日御碕灯台」を見るため。宮本輝氏の「灯台からの響き」(集英社 )を読み、訪れたいと思っていた。
1903(明治36)年4月1日に点灯を開始した、高さ43.65mの白亜の巨塔は美しく品があった。綺麗に真っ白い塗装がされていたが、石積みであることははっきりわかり、竣工から100年を越えても凛として立ち、役目を果たしている堅牢さと、当時建設に携わった職人の“100年仕事”に感服した。
周辺を散策し終える頃にだいぶ明るくなり、白亜の「出雲日御碕灯台」を見る事ができた。敷地を取り囲む壁も真っ白で、門柱も太く立派だった。
(正門前案内板より引用)
出雲日御碕灯台 ~世界100選のっぽ灯台~
この灯台が建設されたのは、日清戦争直後の海運振興のため各地に大型灯台が集中的に建設された時期で、1900年に着工、1903年4月1日(明治36年)に3年の歳月をかけて完成し、島根県では1898年に建設された馬島灯台(浜田市)・美保関灯台(松江市)に次いで3番目に建設されました。
石造りでは日本一ノッポの灯台で、地上から頂部まで43.65mもあります。構造は地震に耐えるため外壁が石造り、内壁がレンガ造りの二重になっており、外国にはない日本の頂点の技術が使われています。
光源の一等レンズは、全国5か所の灯台にしかない貴重なものです。
歴史的価値の高いこの灯台は、国際航路標識協会(IALA)が提唱した「世界灯台100選」の一つにも選ばれており、地元でも日御碕のシンボル「東洋一の灯台」として親しまれ、2017年には恋する灯台に認定されました。
・光の強さ:480,000カンデラ
・光の届く距離:21.0海里(約39㎞)
・光り方:複合群閃白赤互光(20秒間に白い閃光2回と赤い閃光1回を発する)
・管理事務所:第八管区海上保安本部 境海上保安部 交通課
「出雲日御碕灯台」の次は、「出雲大社」に向かった。
駐車場に到着すると、東側から強い光が差し始め、朝陽が昇ってきた。
早朝(7時前)にも関わらず、多くの参拝者が往来していた。
写真で何度も目にしたことはあったが、人生で初めて「出雲大社」を訪れた。太く立派な注連縄を仰ぎ見て参拝した時は、感慨深かった。
「出雲大社」での参拝を終えて、出雲市駅近くにレンタカーを返却し、駅舎に向かった。
8:39、乗り込んだ山陰本線・米子行きの列車が、出雲市を出発。
8:57、木次線の起点である宍道で下車。
木次線は3番線だった。向かい側の廃ホームの下には、木次線の起点を示す「0キロポスト」が立ってた。
停車中の列車には2人の先客があったが、出発まで客が増えることはなかった。
車内には、「斐伊川堤防桜並木」を映した大きなステッカーや、「ヤマタノオロチ伝説」、「たたら製鉄」のイラストが描かれた丸いステッカーなどが見られた。
「たたら製鉄」は、アニメ映画「もののけ姫」のモデルとなった国重要有形民俗文化財「菅谷たたら山内」が、沿線自治体の雲南市内にある。*参考:雲南市「菅谷たたら山内・山内生活伝承館」/ 日本遺産ポータルサイト「出雲國たたら風土記」
9:11、木次行き下り列車が宍道を出発。特急「いずも」のために伯耆大山駅-西出雲駅間が電化されている山陰本線から離れ、列車は南に進んだ。
100m前後の低山の間に続く、宅地と田畑が点在する細長い場所を進むと、南宍道に停車。乗降は無かった。
まもなく、列車は低山の森の中を進み、松江市から雲南市に入った。
森を抜けると、再び低山に挟まれた狭隘地を進み、列車が西に進路を変えると住宅が増え、まもなく加茂中に停車。ご婦人が1人乗り込んだ。
駅周辺には、旧加茂町の市街地が広がっていた。
列車は南東東に進路を変え、斐伊川支流の赤川右岸の直線部を駆けた。幅広の田んぼが左車窓から見られ、結果、ここは木次線の中で“平場の田んぼ”が見られる貴重な場所だった。
幡屋に停車。待合室内のベンチに座っていた、高齢の男性が1人乗り込んだ。
赤川を渡ると、左前方に見える雲南市立病院近づき、出雲大東に停車。宍道・加茂中・幡屋から乗車していた客3人が下車した。駅を出て市道を渡った先にある市立病院に向かう方々のようだった。この光景は、地方のローカル線駅に隣接した、病院の価値を考えさせられた。
只見線沿線にある県立宮下病院(三島町)は、只見線・会津宮下駅ではなく国道沿いへの移転が進められている。車社会で当然ともいえる選択だったが、会津宮下駅に近い場所に立て直されたならば、病院を核とした地域住民の只見線利用機会の増加も達成されたのではなかったと思った。
西に進路を変えて進んだ列車は、南大東に停車。客の乗降は無かった。
この後、住宅が増えてきて、再び南に進路を変えた列車は、減速し広い駅構内に入っていった。
9:45、この列車の終点・木次に到着。ホーム地表には、観光列車「あめつち」号の停車位置を示す案内が描かれていた。
「あめつち」号は、2018年7月に出雲市~(山陰本線)~鳥取間で運行を開始したが、トロッコ列車「奥出雲おろち」号が廃止されたことにともない、2024年4月から米子~(山陰本線・木次線)~出雲横田間にも乗り入れられた。しかし線内の停車駅は木次駅だけで、出雲横田駅から先に行く事はなく「三段スイッチバッグ」にも乗り入れないということで、乗客が木次線の魅力を感じられる機会が減少している。*参考:木次線利活用推進協議会「観光列車「あめつち」木次線運行開始」
駅舎側の1番線ホームには、JR西日本の正規の駅名標の脇に、“き♡”と記されたピンク枠のものが立っていた。
“きすき”の“すき”を“好き”とし、“♡”に転化させたものだが、なかなかのアイディアだと思った。
また、ホームには「ヤマタノオロチ伝説」に関連し、木次線の線形を龍の姿で現した看板や、ヤマタノオロチ(八岐大蛇)を退治したと言われる須佐之男命とその妻・稲田姫が仲良く並ぶ石碑も立っていた。
そして駅舎の中には、木次線の春夏秋冬を描いた絵が並べられていた。
改札を抜け、表に出て駅舎を眺めた。古い木造駅舎だが、JR西日本の木次鉄道部が併設されていることもあってか、一部がリフォームされているようだった。
駅周辺を少し見て回りホームに戻ると、出雲横田行きの列車が1番線ホームに停車していた。
乗り込むと、客はおらず、結局出発まで誰も乗り込んでこなかった。
10:18、出雲横田行きの列車が木次を出発。
5分ほどで日登に停車。真っすぐ延びるレールと、1面ホームと駅舎の木の柱に旅情を感じた。
日登を出てまもなく、列車は斐伊川支流・久野川と交差しながら、狭隘部を登り進んだ。
この先、坂を下る列車用に、レールの外側に脱線の被害拡大を防止する安全レールが敷かれている場所があった。
狭隘部に入ってからの列車は遅く、30㎞/h前後の速度が続いた。
登坂は続き、谷も狭まり久野川右岸が近付いた。
10:34、「火の谷踏切」に差し掛かった。珍しい名だと思った。
この直後住宅が見えなくなり、列車は森の中に突入。短い区間だったが、久野川の渓谷を見下ろせた。
そして短い「天狗山トンネル」(64m)を抜けると、「第六久野川橋梁」を渡った。
この後、“第七”、“第八”、“第九”とたて続けに久野川橋梁を渡ると、下久野地区の住宅が見え始めた。
まもなく、下久野に停車。かつては列車が交換が可能な駅で、大きな島式ホームが当時の面影を残していた。
下久野を出た列車は、“第十一”で最後の久野川渡河をして、東から南に進路を変えた。そして、木次線最長の「下久野トンネル」(2,241m)に入った。
そして、出雲八代に停車。映画「砂の器」(1974年公開)では、“亀嵩駅”として、このホームが使われたという。
駅舎は映画「砂の器」では使われなかったというが、木製の改札などは風情があった。
「天谷トンネル」(236m)を抜けると建物が多くみられるようになり、斐伊川が姿を見せ、市街地が現れた。
そして駅が近づくと、交換待機中の上り列車が見えた。
10:48、出雲三成に停車し、下車した。ホームには「大国主命」(おおくにぬしのみこと)を描いた絵と、地方史学者・藤岡大拙氏による説明板が立てられていた。
木次線内の加茂中~三井野原の14の各駅には、神話(古事記・日本書紀)ゆかりの愛称が付けられていて、木次駅(八岐大蛇)を除き同様の絵と説明板が置かれているという。
出雲三成駅は合築駅舎(2001年竣工)で、現在は奥出雲町観光案内所と農産物などの直売所「仁多特産市」が併設。JR職員が配置されていない駅だが、簡易委託で乗車券などを販売する窓口が直売所側に置かれていた。
奥出雲町観光案内所には、たたら製鉄に関する展示や、地元特産品が並べられていた。
観光案内所では、レンタルサイクルを行っていた。私は「三成ダム」と「亀嵩駅」を訪ねるため、駅から300mほど離れた奥出雲町サイクリングターミナルで自転車を借りる計画を立てていたが、変更しここで借りることにした。
自転車は電動アシスト付き(Panasonic社製「VELO‐STAR」)で、私が借りたのは“すさのお”号だった。
11:15、自転車にまたがり、出雲三成駅を出て斐伊川に沿う国道314号線を東に進んだ。
まずは、“日本最初のアーチダム”で土木学会の選奨土木遺産に認定されている島根県営「三成ダム」に向かった。*参考:(一財)日本ダム協会「ダム事典」p13 ダムの種類
閉じられた門まで行き、「三成ダム」を見下ろした。1954(昭和29)年竣工で、今年で稼働から70年を迎えているが、斐伊川中流域の砂防と発電を担っている。堤頂高42m、堤頂(天端)長109.7mの外観は風景に溶け込んでいた。
門の脇には、土木遺産認定の青銅板が埋め込まれた石碑とダムの説明板が立っていた。発電は水路式で、出雲三成駅から国道314号線を700mほど進んだ場所に発電施設があった。
11:32、国道314号線を1㎞ほど引き返して右折し、国道432号線を東に進み「亀嵩駅」に向かった。
11:41、電動アシスト付き自転車は快調に進み、3.4km離れた木次線の亀嵩駅に10分とかからず着いた。
亀嵩駅の全景。小説「砂の器」で、犯人を追う今西刑事は出雲三成駅で列車を降りて警察署に行き亀嵩地区まで警察のジープで移動したため、この駅に降り立つ事は無かったが、原作者の松本清張氏は実際に訪れたという。
駅頭には、「砂の器」で被害者が亀嵩駐在所に勤務していたということで、警官の顔出しパネルが置かれていた。その手には、「砂の器」の台本が広げられていた。
この亀嵩駅は、駅舎内に店を構える「扇屋」の蕎麦が有名で、看板や幟が駅周辺に数多く立てられていた。
しかし、今日火曜日は「扇屋」の定休日で、蕎麦を食べることはできなかった。木次線内を観光列車「奥出雲おろち」号が運行していた時は、ホームで蕎麦の立ち売りが行われ、その様子を収めた写真が壁に掛けれれていた。
駅舎内は、観光地らしく掲示物が多かったが、開業当時のままの設えだった。「砂の器」のテレビドラマ(1977年、2019年)では、この駅は“亀嵩駅”として使われたという。
「亀嵩駅」の神話にちなむ愛称は「少彦名命」(すくなひこなのみこと)。医療・穀物・酒造・温泉の神様として有名な小人神で、駅から北東に3kmほど離れた亀嵩地区の中にある湯野神社に、大国主命とともに祀られているという。
列車が来ない時間帯ということで、ホームに入らせてもらった。
生垣やツツジは剪定され、ホームの向かいは除草され、ホームにはゴミ一つ落ちていなかった。無人駅ということで、地域の方々によって綺麗に整備されているのだろうと思った。
「亀嵩駅」を後にして、出雲三成駅に戻った。
コンビニで昼食を調達し、駅に戻りレンタルサイクルを返却し、併設された「仁多特産市」で日本酒などの名物を購入した。そして、ベンチに座り備後落合行きの列車の到着を待った。
列車の入線時刻が近づき、待機中の上り列車を見ながらホームに行くと、まもなく2両編成の下り列車がやってきた。
列車に乗り込むと、ラッピングされた後部車両に3人、先頭車両に8人の客の姿があった。その出で立ちや様子から、大半が観光客のようだった。
12:36、備後落合行きの列車が、出雲三成を出発。
「仁多特産市」では、“東の魚沼、西の仁多”ともいわれる仁多米のパックご飯と、横田地区に酒蔵がある簸上清酒合名会社の「七冠馬」純米酒を購入した。
12:44、進路が東から北東東に変わった列車は、亀嵩に停車。
亀嵩を出た列車は大きく右に曲がり、進路を南東に変え山中を駆けた。
しばらくは、県道156号(木次横田)線と並行して切通しのような狭隘な場所を進んだ。そして「反谷トンネル」(660m)に入り県道を別れ、抜けると、再び右に大きく曲がりながら森の中を進んだ。
森を抜けた後、左に大きく曲がり「第一斐伊川橋梁」を渡り、“第二”、“第三”で渡河するとまもなく、左車窓に横田地区の市街地が見えてきた。
12:57、出雲横田に停車。ここで後部車両が切り離された。
出雲横田駅舎は社殿造りで、1934(昭和9)年の開業当時のままの外観だという。入口の頭上には、地元住民による手作り出雲大社に倣った太い注連縄が張られていた。*参考:木次線利活用推進協議会「沿線の駅」出雲横田
13:11、出雲横田を出てまもなく、南に進路を変えた列車は田んぼの間を南進し、八川に停車。
ここは、映画「砂の器」で駅舎が“亀嵩駅”として使用されたという。
八川を出た列車は、斐伊川の支流・下横田川と室原川の谷間を進んだ。登り坂の傾斜も増し、ディーゼルエンジンが蒸かされる音が車内に響いた。
13:33、木次線の目玉である、スイッチバッグが始まる出雲坂根に停車。
進行方向は、行き止まりになっていた。
ここではスイッチバッグの準備があり、停車時間が9分と長く、列車から降りて駅周辺を見てみた。2010年4月に新築された駅舎は大きく、目の前には国道314号線三井野道路が通り往来する車は多かった。ただ駅構内には「延命水」という湧き水があるのだが、失念して飲むのを忘れてしまった。*参考:奥出雲町観光協会「延命水」
ホームに戻ると、運転手が後部運転台に移動したようで、ヘッドライトが点いていた。
列車に乗り込み、スイッチバッグで進むレールを見た。*(左)出雲横田方面、(右)スイッチバッグの引き込み線
13:42、ポイントが動き、信号が変わり、列車は出雲坂根を発車した。その際、運転手は車内放送で『これからスイッチバッグのため、800mほど後退します』と告げた。
列車がポイント上を通過。左に本線に見ながら、右のスイッチバッグの引き込み線を進んだ。
1分ほどで、列車はポイント上の雪覆い(スノーシェッド)を通過。
そして折返し開始から2分ほどで列車が停車。100mほど前方は、行き止まりになっていた。
必要な操作を終えた運転手は、再び前方運転台に移動した。
運転手が運転台に座ってまもなくディーゼルエンジンが蒸かされ、信号が変わったのを機に、列車はゆっくりと前進した。
再び、スノーシェッド内のポイントを通過。右にスイッチバッグの引き込み線を見ながら、左の本線を進み徐々に速度が上がった。
路線の傾斜があるようで、列車のディーゼルエンジンの音は大きく長く続いた。
「第三坂根トンネル」(626m)を抜ける頃にディーゼルエンジンの音は少し弱まり、列車は木々の間を駆けた。
路線は室原川の渓谷を巻くように馬蹄形を描き、「第七坂根トンネル」(87m)を抜けると、右車窓から、「奥出雲おろちループ」(国道314号線三井野道路)の巨大な三井野大橋が見えた。*三井野大橋:上路式アーチ橋、橋長303m、総鋼重1,928t、完成1991(平成3)年
14:00、三井野原に停車し、木次線最大の見せ場である、「三段スイッチバッグ」区間を終えた。このスイッチバッグを体験するために乗車したと思われる4人の方が降りた。
「三段スイッチバッグ」は、直線距離が1.3kmしかない出雲坂根~三井野原間が、標高差162mもあるために設けられた。これにより駅間は直線距離の約5倍の6.4kmとなり、18分かけて登坂している。ちなみに、三井野原から出雲坂根に下る場合は17分と、速度制限があるためか、ほぼ同じ所要時間になっている。*下図出処:GoogleEarthの3D地図から作図
国土地理院の地理院地図で、色別標高図にすると同地の地形が良く分かり、開業当時(1937(昭12)年)の土木技術で、「三段スイッチバッグ」と大きなループカーブを採用し敷設した苦労が偲ばれた。*下図出処:*出処:国土交通省 国土地理院「地理院地図」URL: https://maps.gsi.go.jp/ *色別標高図に筆者にて木次線の出雲坂根~三井野原区間を線引き
*参考:(一社)中国建設弘済会 アーカイブス 土木遺産 島根県No28「Z字型に方向転換しながら急勾配を登る三段式スイッチバック」(PDF) URL: https://chugoku-archives.jp/heritage/pdf/s_swichback.pdf
三井野原を出発した列車は、下り坂ということもあり軽やかに駆け、まもなく県境を越え広島県(庄原市)に入った。そして、しばらく進んだ後に油木に停発車。
分水嶺となる中国山地は越えたが、なぜか日本海にそそぐ江の川の支流・西城川に沿って下った。
江の川(ごうのかわ)は、中国地方最大の一級河川で、この西城川を含め支流の多くが中国山地の南側に源流を持つが、本流(江の川)は中国山地を貫き、日本海側に河口を持っている特異な河川。これを『脊梁山地の隆起以前からの流路を流れる古い歴史をもつ「先行河川」』と呼ぶのだという。*出処:島根観光連盟「しまね観光ナビ」江の川
*上図出処:国土交通省 河川局「江の川水系河川整備基本方針」(平成19年11月) p15
URL: https://www.cgr.mlit.go.jp/miyoshi/gounokawa/gounokawa_plan/pdf/gouno.pdf#search='江の川+河川整備基本方針'
列車が西城川沿いを快調に南進し、左大きく曲がると右車窓に芸備線のレールが現れ、まもなく前方には広い駅構内が見えてきた。
14:25、木次線の終点・備後落合に到着。木次線の旅が終わった。
平日の乗車だったが、出雲大東駅に隣接した雲南市民病院に行くと思われる数名以外は、地元の方の生活利用は少なく、大半が観光利用の客だったという印象を受けた。特に、沿線自治体がJR西日本から“在り方協議”を打診された出雲横田~備後落合間は観光客だけが乗車していたようだった。おそらく、休日にはこの傾向が顕著になるのではないかと思った。
言うに及ばず、木次線も沿線住民の日常利用より、観光利用の客を増やさなければ、全線の維持は難しいと関係者は考えているはずだ。そうであるなら、専用の観光列車である「奥出雲おろち」号が引退してしまったのは、大きな痛手だった。
現状、木次線にも乗り入れている「あめつち」号が、性能的に「三段スイッチバッグ」を走行できない事を考えると、「奥出雲おろち」号と同等の運用が可能な専用観光列車の導入が必要ではないだろうか。 そこで、JR西日本が『木次線で新たな観光列車の導入は困難』(第3回木次線観光列車運行検討会 2021年10月13日)という考えを持っている以上、沿線自治体が費用を工面した上で、JR西日本の運行上の協力を得て、新たな専用観光列車導入を目指すのが妥当ではないだろうか。基金を設け、5年程度で改造列車で実現させる目標を立てれば、無理はないだろうと思う。
木次線は谷間を駆け、狭い田畑を持ち点在する家々が車窓から見られることが多く、のどかで平穏な景色が続く。特に、東京や大阪などの大都市を訪れたインバウンドにとっては日本の原風景を知る機会にもなり、そこに「ヤマタノオロチ伝説」など出雲地方に伝わる神話、アニメ映画「もののけ姫」のモデルにもなった「たたら製鉄」等のコンテンツを絡めれば、日本人にとっても乗車の楽しみを得られるだろう、という感想を持った。木次線には、「三段スイッチバッグ」というキラーコンテンツがあり、他路線・観光列車との差別化ができ、訴求力は一層高まる。
更に、木次線は、国内の神社の中でも圧倒的な知名度を誇る出雲大社の観光を含めた旅の提案ができるという強みもある。そして、瀬戸内の観光地である広島市や岡山市への鉄道でのアクセスも可能で、より幅のある旅行のプランも考えられる。
木次線は広域観光の導線ながら、日本の風景を乗客に提供し、ホッと一息つける観光客にとっての移動空間となり得る、と感じた。
今回の旅を通し、木次線の可能性を感じるとともに、車窓の景色や沿線の観光資源一定程度の観光力がある場合は、当該鉄路に観光列車を導入し観光地として育てることが必要であり、その文化を醸成・確立することが日本にとって必要だと思った。
コロナ禍での鉄道収入減少で、JR各社は不採算路線(区間)の収支を積極的に公開し、冒頭に記したように“在り方”についての話し合いを提案したり、国が定める再構築協議会に臨むなどしている。この流れはJRが民間企業である以上やむを得ないが、私は、赤字ローカル線の中には秀逸な車窓からの景色や、魅力的な物語をもっている路線があり、その路線は文化面や国民の精神衛生面から税金を投入して残すべきだ、と只見線を繰り返し乗車に思うようになったが、今回木次線に乗車し、その考えに確信を持った。
もちろん、税金を投入するからには公的な支持が必要で、その必須要件が地元の住民の熱意であり、それに基づいた継続的な活動が必要だ。
だが、木次線では昨年11月23日に車両の老朽化により最終運行を迎えた「奥出雲おろち」号の後継列車(「あめつち」号)が運行されたが、肝心のスイッチバック区間には乗り入れられず、木次線への乗り入れも日が限定されているということで、頼りの観光面で苦境に立たされている。木次線利活用推進協議会などの団体や、沿線の木次線を残し地域振興に役立てたいと考えている住民にとっては、JR西日本が“木次線を残す!”と表明するまでは相当の活動が必要で、存続となった場合はたゆみない木次線の魅力訴求と、関係者の日ごろの乗車が必要になるだろう。
これは、只見線にも当てはまることで、専用観光列車の導入には巨費が必要で時間が掛かる事を考えれば、復旧区間を上下分離で保有する福島県が「只見線利活用計画」を着実に履行し、沿線住民を中心に旅好きの県民が意図的に只見線を利用し、“持続可能な鉄路”の強固な地盤を作り維持する努力が必要だ、とこの木次線乗車の旅を通して痛感した。
木次線乗車後は、新見に行くため芸備線の列車に乗り換えた。
前方、向かい側のホームには、芸備線の列車が2台(新見行きと三次行き)停まっていた。
備後落合駅は、芸備線と木次線が通るターミナル駅だが、周囲には民家の無い山間の閑散駅だ。訪れるのは2度目で、周辺の雰囲気は変わっていなかった。
庄原市は、広島県最大であるばかりでなく、近畿地方より西側で最も広い面積(1,246.49㎢)を持ち、全国1,741自治体(市町村+23特別区)でも13番目という広さを誇る。備後落合駅は、庄原市の中心地から北東に約20km離れた旧西城町小鳥原(しととばら)地区にある。
小さな駅舎に入ると、壁一面に列車や駅関連の写真が飾ってあった。
「備後落合駅傘寿記念写真展」なるコーナーもあった。
14:42、乗り込んだ新見行きの列車が、備後落合を出発した。
備後落合駅から伯備線と接続する備後神代駅までは、冒頭に記した国による再構築協議会の対象区間だ。確かにこの区間の乗降は少なかったが、沿線の風景はや駅舎など、木次線沿線以上の長閑で平穏な、日本の現風景だった。
『あっ!』と思うような、皆が車窓に顔を向ける風景には出会わなかったが、谷間の細長い空間にある田畑や、緑の中に点在する切妻や寄棟屋根を持つ日本家屋は見ていて落ち着いた。
また、山間に田畑を切り開き代々受け継がれ、都市化や高速交通網の整備の恩恵に与れず今に至るこの光景を、ゆったりゆっくりと列車に揺られながら見られるというのは文化的な価値があるとも感じた。
このような景色が続く車窓を持つ路線は、観光列車を走らせる価値はあると感じた。出雲市~宍道~(木次線)~備後落合~(芸備線)~新見~岡山、または備後落合~(芸備線)~広島という、山陰‐山容ルートに観光列車を走らせても、訴求力が高く面白いのではないかと思った。
18:05、列車が終点・新見到着し、木次線関連の旅を終えた。
この後、16年振りに訪れた駅の周辺を少し散策したの後、伯備線を走る特急「やくも」号の新型車両に乗り換え、岡山を経て、瀬戸大橋線を渡り宿泊地である高知に向かった。
(了)
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【只見線関連情報】
・福島県:只見線ポータルサイト
・福島県・東日本旅客鉄道株式会社 仙台支社:「只見線全線運転再開について」(PDF)(2022年5月18日)
・福島県:平成31年度 包括外部監査報告書「復興事業に係る事務の執行について」(PDF)(令和2年3月) p140 生活環境部 生活交通課 只見線利活用プロジェクト推進事業
・NHK:新日本風土記「動画で見るニッポンみちしる~JR只見線」
・産経新聞:「【美しきにっぽん】幾山河 川霧を越えてゆく JR只見線」(2019年7月3日)
・東日本旅客鉄道株式会社:「只見線について」(PDF)(2013年5月22日)/「只見線(会津川口~只見間)の鉄道復旧に関する基本合意書及び覚書」の締結について(PDF)(2017年6月19日)
・福島県 :只見線管理事務所(会津若松駅構内)