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秋の風

2024.11.18 05:52

毘盧遮那の涙は胸へ秋の風  高資


https://ranyokohama.amebaownd.com/posts/2965503/ 【自己実現の旅】


https://kigosai.sub.jp/001/archives/3308 【枯芒(かれすすき)三冬】より

【子季語】枯尾花、芒枯る、枯薄、尾花枯る、冬芒

【解説】

枯れ尽くした芒。葉も穂も枯れ果て、茎の部分が風に揺れる姿は寂寥感の極み。枯れ尽くした芒も野原一面に群れると美しくもある。雪や風の中に見るのも風情がひとしお。芒は秋の季語。 

 【例句】

ともかくもならでや雪の枯尾花  芭蕉「北の山」

枯きつて風のはげしき薄かな   杉風「木曾の谷」

枯尾花野守が鬢にさはりけり   蕪村「蕪村遺稿」

水際の日に日に遠しかれを花   暁台「暁台句集」

土になれ土になれとやかれ尾花  一茶「七番日記」

空也寺や町から見ゆる枯尾花   梅室「梅室家集」

落柿舎のひとむら芒枯れにけり  村上鬼城「定本鬼城句集」

路傍の石に夕日や枯すすき   泉鏡花「鏡花全集」

枯尾花日光富士を消しにけり   渡辺水巴「水巴句集」

日にとくる霜の白さや枯芒     原石鼎「花影」

 

https://haiku-ashita.sakura.ne.jp/zuisou76.html 【第 76 回  人生の秋を詠む句】より

行く我に残れる汝に秋二つ   正岡子規

冒頭の句は、正岡子規の句であり、畏友の夏目漱石が松山中学の英語教師として赴任した後、子規が上京する際に詠まれた句です。詠んだ子規も、「残れる汝」の漱石もまだ青年の域を脱しない時期の句です。従って、秋の句ではありますが、まだ人生の秋には至っていない時期の句と言えます。しかし時が秋であれば、人生の秋に至っていない人も、秋の中ではふと自らの人生の秋を思うことはあると思います。

今回はコロナ禍が継続する中で再び巡って来た秋に人生を詠む句を考えてみようと思います。

いささかの異論や違和感はありますが、人生を100年とするならば25歳までが春、50歳までが夏、75歳までが秋で100歳までが冬になろうかと思います。しかし実際には各季節の長短は多少異なっていて、長い春や短い夏もあると思われますし、寒い春や、暑すぎる秋もあるので、春や夏に歓喜し、秋や冬に哀愁を感じるとは限りません。しかし大きな流れや枠組みとしては、このような区分は存在するものと思われます。

一方季節において、春の草花が気温の上昇と日脚の伸びに伴って南から北へ、そして山裾から山頂へと咲いていくのに対し、秋の草花は気温の下降と日の短さに伴って北から南へ、山頂から山裾へと咲くものが多くなります。春から夏、夏から秋はあたかも山登りの上りと下りにも似た変化を見せると言っても良いかと思われます。そして秋の草花は小ぶりで濃い色のものが多く、その根底に滅びの美学を持ち合わせているように思います。そのような草花が咲き、秋冷からそぞろ寒、やや寒、そして夜寒から降霜と進む季節の中、その先を思わずにいられなくなります。それは老若男女に共通する感覚かと思われます。それ故秋にはものを思い、来し方行く末を考えるのだと思います。

丁度連載が終わったばかりの日経新聞朝刊の伊集院静氏の小説「ミチクサ先生」は文豪・夏目漱石の生涯を、その人生の中で出会った様々な人達との関わりを軸に描いています。彼らが生きた明治から大正の初めまでの時代には今の時代と同様に様々な人が生きていて、事件を起こしたり、友情を育んだり、外国との交渉をしたりしていました。この小説には漱石が出会った正岡子規や高浜虚子、寺田寅彦、森鴎外等との交流が描かれ、そのディテールに向かうほど、人々の生活や息遣いが見えてきます。表舞台に出て歴史にその名を刻む人がいる一方で、その人達と直接的にも間接的にも関わりながら、歴史に名が残らない多くの一般の人々がいます。小説やドラマは、時にそのような歴史上では端役になる人や一般の人達にスポットライトを当てて生き生きと描いてゆきます。

ホームビデオの普及で誰でも動画を撮ることが出来るようになった今、幼稚園や小学校の運動会や学芸会には両親はもとより祖父母が大挙して押し寄せ、ハンディーなビデオカメラでお目当ての子や孫を撮影しています。持ち帰って自宅のTVに映し出された動画の主人公は例外なく自分の子であり孫になっていて、たとえ徒競走でビリであっても、学芸会ではちょい役であっても、その動画では撮影者の視点から間違いなく主人公になっています。

同様に、時代という時間軸の中のスポットライトは、気まぐれとしか思えない神様の一存で、時に意外な人物に当てられることがあります。スポットライトが当たると、アバタもエクボに変わり、軽率は明るさに、ドタバタは軽妙に、失言も肝の座ったユニークな発言に変わります。そういうケースを実際に見てきましたし、ささやかではありますが、自ら体験したこともありました。しかしスポットライトを当てる神様の手許はいつも気まぐれで、あっという間に別の人に当てられることになり、その瞬間から好循環は悪循環に変わります。

秋は、そんなスポットライトの行方を気にする季節の終わり、またはさほどスポットライトが当たらなくなる季節のように思われます。そこではスポットライトが燦燦と当たった人も、殆ど当たらなかった人も、おしなべて終わりに向かって静かなフェードアウトになります。あたかも様々な方向に拡散した人流がまた元の状況に収束するように…。

ここで人生を詠み込んだ俳句の中でもスポットライトの外側から詠んだような句をご紹介します。

後戻り出来ぬ人生秋の蝉   小山愛子   人生といふ細き綱谷紅葉   熊谷愛子

人生に句読点あり秋の風   塩川雄三   人生に四季は過客や渡り鳥  滝青佳

人生の台風圏に今入りし   高浜虚子   定年は人生途上寒菊挿し   古舘曹人

真砂女的人生春の虹二重   黒田杏子   鰯雲人生長しとも思ふ    高田風人子

人生は放課後がいい水芭蕉  飯田安江   栗の花人生の午後濃く匂ふ  丸山嵐人

天高く人生なんと恥多き   鈴木真砂女  絵双六人生戻ることできず  宇咲冬男

実に様々な視点から人生を詠んでいます。地球上には70億人の人が生きていて、70億通りの人生があると思えば当然のことかと思います。それ故、季節の秋や人生の秋に自らの人生の秋を詠むとしても、必ずしも冬に向かう季節としての秋や残り少ない人生の秋を詠む必要はないように思います。この2年間に及ぶコロナ禍から学んだことは、常識の変革であり、柔軟な発想で禍を福に変える行動の必要性でした。様々に拡散し弾け、時にまばゆいスポットライトを浴びた人達がまた元の穏やかな状態に収束する秋。季節を表す色で言えば、古代から、春は青、夏は赤、冬は黒、そして秋には白が配当されています。そして白はまた、いかようにも染められる色でもあります。

自らに目を向ければ、晩秋から初冬に向けて歩みはじめている時期に当たるかと思っています。しかし、すでに仕事上の重責からは少し離れ、趣味の方に軸足を移動しながら、自由な時間を楽しめる今は、むしろ今こそが青春ではないかと思っています。能天気の誹りを受けるかも知れませんが、コロナ禍を経験した今、秋の白を自らの思いによって青や赤に染めても良いのではないか等と思っておりますし、そんな秋の句、そんな人生の秋の句を詠んでみたいと思っております。

二毛作の人生ありぬ帰り花     秀四郎


https://mitikusa.lekumo.biz/blog/2015/09/post-ab42.html 【ススキの話その5/枯れすすき・ススキの登場する曲】より 

ススキの話の最終回。 

本「身近な雑草の愉快な生きかた」(ちくま文庫)からまたまた引用します。 

風に揺れるすすきの穂は秋の風物詩であるが、ススキにとっても秋風はとても大切である。

というのもススキは風によって花粉を運んでいるのだ。

お月見に飾られる穂先のそろったススキの穂は、まだつぼみの状態である。

しかし、雄しべと雌しべを出して花が咲きだすと、穂が四方に広がる。

こうして、風を受けやすくして、自分の花粉を風に運ばせながら、一方で風によって運ばれてきたほかの個体の花粉をキャッチするのである。

花が終わると広がっていたススキの穂は閉じて、ふたたびそろう。

種子が熟すまでのあいだは、風によって痛まないようにやり過ごすのだ。

やがて種子が熟すと、ススキは再び穂を四方に広げる。こんどは、風に乗せて種子を飛び立たせるためである。 (228p) 

穂はこのような動きをしていたのですね。確かめたくなります。今年の秋はススキにこだわってみますかね。こんな映像がありました。ススキが種子を飛ばす映像です。こんなのを生で見てみたいです。

https://www.youtube.com/watch?v=wZP-sX2_Fj0&t=11s

引用を続けます。 

こうして風にさらされて種子を飛ばし終えたススキは、秋の終わりとともに枯れてしまう。

しかしケイ酸質を多く含むススキは茎がかたいので、枯れても立ち尽くしたままである。  

〽おれは河原の枯れすすき その立ち枯れたようすは、そう歌われた。 (228p)  

「枯れすすき」はよく聞く言葉。その理由は”ケイ酸”だったのですね。

しかし、「河原の枯れすすき」はススキではなくオギかもしれませんね。

※参考:ここでも道草 ススキに似ているが、ススキではないもの(2007年11月18日投稿)   

ちなみに「おれは河原の枯れすすき」は

「船頭小唄」(野口雨情作詞/中山晋平作曲 大正10年)の歌い始めでした。