信じるものを見る
Facebook加藤隆行さん投稿記事 【本当に分かり合ってる?】
「分かり合う」という言葉の意味を結構な方が、カンチガイをして使っています。
どんなカンチガイかというと「分かり合う」という言葉を「同じ考えに合意する」
というよう意味で使っていたりします。
あなたと私が分かりあったのだから2人は同じ意見、考えである、という意味です。
「俺たち分かりあってたじゃないか!?」とか「100%分かり合えることはない」とか
よく聞くセリフですがこういう使い方をしているときはまあほぼ間違っています。
本当は「分かり合う」とは「人として互いを尊重し 理解しあう、認め合う」という意味です。だから「同じ意見」ではなくてもいいのです。
お互いを尊重し「そうなんだ、 あなたはそう思うんだね」とお互いの意見や価値観が”違う”
ということをお互いで理解し認め合う。
これが「分かり合う」。意見が同じであればもちろんいいんですが、意見の違いを分かり合って、尊重はするけどこれは近くにいたらよくないわと思ったら戦わずに「離れた」り、
ルールを設けてお互いを侵害しないように「住み分ける」。これも「分かり合い」。
あなたも私も一緒で私たち分かり合ってるでしょ?みたく思って使っているのとは
全然違う、大人の対応。で、今度は似たような言葉に「分かち合い」ってのがある。
これは「”同じ”意見やモノ」を複数人で共有することを言います。
だからこっちが多くの人が「分かり合う」だとカンチガイしている方の意味。
「分かり合って」から「分かち合う」もあるし「分かち合って」たら「分かり合える」ってものある。あたま混乱してきた?このへんがよく分かんなくなってる人は人間関係の境界線がごっちゃになってて勝手に踏み込んだり踏み込ませたりしてるかもよ。なんにせよ人間関係は
「そうなんだ、 あなたはそう思うんだね」とまず本当の「分かり合い」から。
そんな大人の対応できてますか?人間関係荒れてる方は要チェックでっせ(^ω^)
Facebook津留晃一の世界投稿記事 信じるものを見る
人にとって目に見えないものを信じるという事はなかなか難しいことのようです。
誰も自分が確信できないものを信じようとはしません。
しかしこの思考パターンを少し変更せざるを得ない現実が最近確認され始めました。
その最たるものが量子物理学の世界です。量子のミクロ世界では、見ようとする対象物は必ず見る側の影響を受けるというものです。
我々人間の目は光で物を識別認識しますが、ミクロ対象物はこの光により大きくゆがんでしまいます。
即ち見ていないときと見ているときでは全く別の形を呈していることになります。
ということは、我々が見ているものは、我々が見ていないときの物とは全く別の物であるという事です。これまで我々は一体何を信じてきたのでしょう。
目にした物しか信じようとしなかったのに、見ているものは真実を表してはいないという事になります。
アインシュタインが言っているように我々人間はエネルギーそのものです。
そしてそのエネルギーは、人の個性通り別個のエネルギーを持っています。
私が社員Aを見るとき、社員Aは私のエネルギーによって影響を受け、変化しています。
そして社員Aの友達が社員Aを見るとき、今度はその友達のエネルギーが社員Aに影響を与え、そこには社員Aの友達から見た社員Aが誕生します。
即ち社員Aは見る人の数だけ存在し、絶対的社員Aなる者は存在しないということです。
このことを認識していない社員Aの同僚二人が社員Aについて議論しているところを想像してみて下さい。その議論がかみ合わなくて当然です。そして常日頃我々はこういう不毛の葛藤を
体験し続けています。あなたに知っていただきたい事は、あなたが見ている世界はあなた独自のユニークな宇宙空間であり、二つと同じ宇宙は存在していないのです。
あなたが認識している世界はあなただけの世界であり、そしてあなたの前にいる社員Aは、あなたの世界とは全く違う別宇宙の存在であるということをしっかり骨の髄までしみ込ませて欲しいのです。
この三次元物質世界に存在する全ての物は、互いにまわりの物から影響を受け合います。
あなたの前にいる全ての人は、あなたの影響を受けたあなた独自の人物です。
あなたの奥さんはあなたによって変形認識された奥さんであり、奥さんそのものとはかけ離れた存在であることに気付いて下さい。
気に入らない奥さんがいるとしたら、それはあなたのエネルギーが創り出したあなたの宇宙にのみ存在する奥さん像であり、実体ではありません。
たとえそれがどんなに
リアルに見えたとしても・・・。
あなたの前に
無能な社員がいるとしたら、
それはあなたが創り出した
虚像であり、
実体ではありません。
そう見えている自分の
見方に注意を払って下さい。
無能な社員を
なんとかしようと
考えるのではなく、
自分の見方、とらえ方に
意識を向けて下さい。
虚像である社員を
あなたが変えることなど
出来ません。
あなたに可能なことは、
自分の認識の変更です。
社員の欠点を発見している
自分に気付いて下さい。
本当の意味において、
あなたが目にしている社員は、
あなたの認識が描き出した
幻影であることを信じて下さい。
あなたの前にいる人は
どんな人もその本質において
光そのものです。
大いなる光が
ただあなたの意識の進化を
手助けするためにのみ、
あなたの前に
姿を変えて現れます。
あなたの意識の進化を
サポートする全ての
虚像の在り方を信じて下さい。
あなたを困らせようと
意図する人は誰もいません。
深い意味において
あなたは誰かから
傷つけられることは
絶対にありません。
あなたに見える全ての存在、
あなたに聞こえる全ての言葉は、
ただあなたを進化へと
誘うためにのみ存在します。
この世界は
あなたが信じたものを
見る世界です。
あなたの観念が
あなたの世界を
創造しています。
人は
創造エネルギー
そのものです。
あなたは毎瞬毎瞬
あなたの空間を
創造し続けています。
あなたが、
「いや俺はこんな世界を
創り出した覚えはない」
と言ったとしても
それが事実です。
あなたの潜在意識にしまっている
あなたの先入観念が、
現実を作り続けています。
どの瞬間も休み無く。
あなたが存在し続ける限り、
あなたの創造作業は
無意識のうちに
永遠に続いています。
なんと素晴らしいことでは
ないでしょうか、
この現実が全て
自分で生み出している
物だとすれば、
自分の思い通りの世界を
自分で生み出すことが
出来るということになります。
見たものしか信じない人は、
今の自分の現実から
自分の限界を認識します。
見たものしか信じない人が、
自分の意識が
世界を創り出していると
認識することは
なかなか難しいことでしょう。
自分の無意識が現実を創り、
自ら生み出した幻影を見て
自分の信念を持ち、
その新たな信念がさらに
限定された現実を生み出し、
その現実を見てさらに
自分の考えを確信していきます。
そしてますます見たものだけを
信じるようになります。
自分が制限された存在であると
信じ切っている人は、
その制限の中で自分のベストを
尽くそうとがんばります。
制限された人間は
がんばらなければ
何もできないと
確信しています。
がんばらなければ
何もできないと
確信している人は、
がんばらない人間を
だめな人と感じます。
だめな人という認識が
人を裁きます。
そしてその人を裁く不快感が、
ストレスを生み出し、
体内に蓄積され続けます。
その不快感は
だめな人が
いるからだと勘違いして、
その人を遠ざけるか
自ら逃げ出そうとします。
ストレスが生じるのは
他人のせいだとしか
考えられないためです。
本当の原因は
自分の誤った認識にあります。
がんばらなければいけない
という価値観です。
しかし私がそう言っても、
このがんばらなければいけない
という価値観を
人は捨てる事が出来ません。
それはがんばらなければ
自分もだめになってしまう
と感じるからです。
自分の中にある価値観は、
他人に向かっても使い、
そして、自分に向かっても
使われるからです。
人は自分の信じたものを
見ています。
自分の信念が
その心の立体鏡として、
現実という
幻影を生み出します。
ですからあなたが
その考え方を変えた瞬間から、
あなたの現実は
変わり始めます。
実はあなたが見ているものは
実体のない幻影にすぎません。
あなたの机に確かな堅さという
手応えがあることも
たんなる錯覚にしかすぎません。
目に見えない世界からの
インスピレーションを
私はたんに信じてみました。
そして今、
私は大きく変わり、
私の世界は様変わりしました。
この世界は
膨大な見えない
世界にささえられた
結果の世界のようです。
意識を、
見えている物から
その奥にある
見えない世界に向けて下さい。
そこから
あなたの変容が始まります。