詩の力
https://www.jiji.com/jc/article?k=2024111900303&g=soc 【「言葉信用しないから書く」 現代詩の可能性を生涯追求―谷川俊太郎さん死去】より
「あの青い空の波の音が聞(きこ)えるあたりに 何かとんでもないおとし物を 僕はしてきてしまったらしい」(「かなしみ」)
谷川俊太郎さん死去、92歳 戦後日本を代表する詩人
平易な言葉で透き通るような叙情を紡いだ谷川俊太郎さん。第1詩集「二十億光年の孤独」から晩年に至るまで、「詩で何ができるのか」と飽くなき追求を続け、現代詩の象徴的存在となった。
「言葉がうまくつながると、通常の論理や意味を超えて活性化する。言葉は生命体みたいなもの」。少年時代から歴史や物語になじめなかったという谷川さんは「生きることと言葉の関係を書く」ため、過剰な意味から解き放たれた「瞬間芸」の詩に自身を託した。
目先にとらわれず、宇宙的とも評された世界観は、三島由紀夫や大江健三郎ら最前線の作家に影響を与え、欧米やアジアの詩人との懸け橋にもなった。「現代詩だけを書いていたら食えない。注文があれば子どもの雑誌でも婦人雑誌でも週刊誌でも書く」。ジャンルや硬軟を問わない仕事は、世代を超えて受け入れられた。
晩年まで意欲は衰えなかった。コロナ下の外出自粛中にも「家でものを書く仕事だから」と苦でもない様子を見せ、非常事態が無意識に及ぼす影響を「詩にするしかない。この年齢になって詩を書くことは『救い』であり、これまでと違うものが書ける期待がある」と前向きだった。
虚実入り交じる情報がSNSなどで飛び交う状況には「言葉がインフレーションを起こし、みんな自分の主体性に関係なく言葉を使っている」と嘆いた。「言葉を信用していないから、詩を書き続けている」。谷川さんならではのスタンスだった。
https://nordot.app/329506813584770145 【【特集】谷川俊太郎さん「詩の持つ力」(2) 人を魅了する言葉はどこから】より
▽自分の中にいる子ども
1月になって開催された「谷川俊太郎展」と谷川さんの講演について前回では取り上げた。その講演の中で谷川さんは自作詩の「さようなら」を朗読した。
「ぼくもういかなきゃなんない/すぐいかなきゃなんない/どこへいくのかわからないけど/さくらなみきのしたをとおって/おおどおりをしんごうでわたって/いつもながめてるやまをめじるしに/ひとりでいかなきゃなんない/どうしてなのかしらないけど/おかあさんごめんなさい/おとうさんにやさしくしてあげて」…。
朗読の後で、谷川さんは次のように語った。「こういう詩を書いていて気付いたのですけれど、子どもの内面を書くということは、自分の中にまだ子どもがちゃんと生きているということですね。木の年輪の比喩になりますが、中心にゼロ歳の自分がいて、だんだんと年輪が増えていくように3歳、5歳…、最後に現在の自分がいる。いつも自分の中心に子どもがいるはずだと思います。そういう自分の子どもの部分を抑圧しないと、大人の社会生活を送れないわけだから、ある程度抑圧はしているわけなのです。われわれ、一種クリエイティブする人間はどこかそういう幼児性をコントロールして自分の表現にしていくことができるのではないかと感じています」
司会進行役の男性から「幼児性をコントロールするとはすごいですね」と言われ、谷川さんは「サラリーマンの人がバーのマダムに甘えたりするじゃないですか。あれだと思いますね」と冗談交じりで語った。
▽解放と抑圧
自分の中にいる子ども。幼児性をコントロールする。講演を聞いていた筆者はこれこそが詩人谷川さんのエネルギー源であり、自ら育んできたものではないかと思えた。60年以上も次々と詩を発表、新たな境地を切り開いていく谷川さんの感性にかかわることなので、こういった話題について本人がこれまでどのように語ってきたか調べてみた。
河合隼雄さん(故人)との共著「魂にメスはいらない―ユング心理学講義」(1979年、朝日出版社)では、谷川さんはこう述べている。「ぼくは詩を書きはじめたころに、詩を書く一番もとになる心的なエネルギーは何か、と漠然と考えたことがあるんです。そのころ思ったのは、それはいわゆる感情というものではない(中略)それは心理と言い換えてもいいのかな。そういう心理によって詩を書くのではなくて、それよりももっと奥のほうの、感動みたいなものによってであると」。
また、谷川さんの対談集「自分の中の子ども」(1981年、青土社)では作家大江健三郎さんとのやりとりで次のように話している。
「子どものための絵本とか童話みたいなもの、あるいは子どものための歌書くときにも(中略)いつでもいちばん考えるのは、結局自分のなかの抑圧されている子どもなんですね(中略)そういう自分のなかの幼児的な部分、あるいは少年的な部分というものを、それを抑えることで大人になりたいと同時に、それをまた解放することでなんか自分を自由にしたい、いつでも両方の心の動きがあるみたいなんですね」
▽長持ちの理由
昨年12月、日本記者クラブで講演したときに「詩歌というものが長持ちする理由」を聞かれ、谷川さんは「言葉がその読者の体に入ってくるときの入り方が、意識下にまで入る、我田引水的な言い方になるんですけれども、意識に入るだけじゃなくて、意識下まで入る。それが長持ちの理由かもしれない」と持論を語った。
この12月の講演ではLINEなどSNSのやりとりについて、浅い共感にとどまって考えが深まらないというのが谷川さんの感想だ。「表面的なところでお互いに同じ感じ方をしているというコミュニケーションが可能だけれど、言語というのはもうちょっと深いところまで下りていかなければいけないわけでしょ?同感して互いに確かめ合うところの次元が何か浅くて、相手の個性とのぶつかり合いを通してつながることは少なくなっている気がします。恋愛なんかもこのごろしなくなってるでしょ」と話したのは印象的だった。
「詩の持つ力」、人を魅了する言葉はどこから生まれるのか、谷川さんをテーマにあらためて特集で取り上げたい。(共同通信=柴田友明)
Facebook谷川 賢作さん投稿記事
父・谷川俊太郎が13(水)の夜に亡くなりました。92歳でした。
私は中国からの公演の帰途についているところで間に合いませんでしたが、妹の志野が急遽NYCから駆けつけてくれて、娘と一緒に最後を看取ってくれました。穏やかな最後だったということです。
多彩な詩で多くの人を魅了し。。。いや、そういう紋切り型ではなく、息子の目から少し
今年三が日が過ぎてから一時的な不調におちいり、その後5月、7月にも一時的な不調時期はあったのですが、そのたびに数日後にはケロッと立ち直り、特にどこか病気ということではなく「自宅で最後まで生活したい」という本人の意思を尊重し、療養というか生活というか、チーフヘルパーのFさんとそのチームの方々と二人三脚で介護してきました。
いつもユーモアとウイットに富んだ人で、好調時は変わらぬ俊太郎節もきけて楽しかった。不調時は「今日はベッドから出ない」なんて言い張る日もありましたが、なんとかなだめすかしベッドから出て車椅子でリビングに移ると、またケロッと機嫌良くなったり😅
それにしても朝日新聞の連載最後の詩が「感謝」だ、なんて。。。ヘルパーさんや私のこまごまとしたことにも必ず「ありがとう」と言ってくれました。感謝しなければいけないのは私を含めた家族全員です。
いつか私がぼそっと「おれはあなたほど売れてないから。。。」と呟いた時「人はそれぞれが、それぞれのところでしっかりやればいいんだよ」とボソッとこたえてくれました。そういうとこも含め歳とっても謙虚な人でした。92歳でもTシャツとGパンが似合うような。
コメント欄は「記帳コーナー」のようにあけておきますが、個々への返信はできません。お許しください。メッセージも同様です。
皆様と同様私も、俊太郎の詩に驚き、感心し、クスッと笑わされ、ほろっと泣かされ、楽しかったですね。
紋切り型ですが、彼の詩はずっと皆さんと共にあります。
ありがとうございました。深く深く感謝申し上げます。
Facebook榎本 了壱さん投稿記事
谷川俊太郎さんがお亡くなりになった。不思議なことに昨日、「自選谷川俊太郎詩集」を手に取って読んでいた。高階秀爾さんの時と同じように、強い信号を感じたのだろうか。1974年「ビックリハウス」創刊の時も原稿を書いて応援してくださった。2005年の「日本文化デザイン会議」で、日本文化デザイン大賞を贈ることになり、恐々お電話したら、「分かりました。よろしいですよ」と受けていただいて、ほっとした記憶がある。いろいろありがとうございました。
Facebook玉井 昭彦さん投稿記事
二十億光年の孤独
人類は小さな球の上で 眠り起きそして働き ときどき火星に仲間を欲しがったりする
火星人は小さな球の上で 何をしてるか 僕は知らない
(或いは ネリリし キルルし ハララしているか)
しかしときどき地球に仲間を欲しがったりする それはまったくたしかなことだ
万有引力とは ひき合う孤独の力である 宇宙はひずんでいる それ故みんなはもとめ合う
宇宙はどんどん膨らんでゆく それ故みんなは不安である 二十億光年の孤独に
僕は思わずくしゃみをした
FacebookAnno Kazukiさん投稿記事
生きる 谷川俊太郎
生きているということ いま生きているということ それはのどがかわくということ
木もれ陽がまぶしいということ ふっと或るメロディを思い出すということ
くしゃみすること あなたと手をつなぐこと
生きているということ いま生きているということ それはミニスカート
それはプラネタリウム それはヨハン・シュトラウス それはピカソ それはアルプス
すべての美しいものに出会うということ そして かくされた悪を注意深くこばむこと
生きているということ いま生きているということ 泣けるということ
笑えるということ 怒れるということ 自由ということ
生きているということ いま生きているということ いま遠くで犬が吠えるということ
いま地球が廻っているということ いまどこかで産声があがるということ
いまどこかで兵士が傷つくということ いまぶらんこがゆれているということ
いまいまが過ぎてゆくこと
生きているということ いま生きているということ 鳥ははばたくということ
海はとどろくということ かたつむりははうということ 人は愛するということ
あなたの手のぬくみ いのちということ
FacebookHiroshi Kaneiさん投稿記事
そのこは とおくにいるその子はそのこは ぼくの ともだちじゃない
でも ぼくは しっている ぼくが ともだちと あそんでいるとき
そのこが ひとりで はたらいているのを
ぼくが がっこうで きょうかしょを よんでいるとき
そのこは しゃがんで じめんを みつめている
ぼくが おふろからでて ふとんに もぐりこむとき そのこは ゆかに ごろんと よこになる
ぼくの うえにも そのこの うえにも おなじそら
ぼくは こどもだから はたらかなくていい おかねは おとなが かせいでくれる
そのおかねで ぼくは げーむを かう そのこは こどもなのに おかねを かせいでいる
そのおかねで おとなは たべものをかう ちきゅうの うえに はりめぐらされた
おかねの くものすに とらえられて ちょうちょのように そのこは もがいている
そのこの みらいのために なにができるか だれか ぼくに おしえてほしい
--- 谷川俊太郎
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世界の子どもが、もし100人だったら 16人は働いています。
10人は、けがや病気の危険にさらされています。
心に傷をおう子どもも、すくなくなく ほとんどが学校に通っていません。
『世界がもし100人の村だったら 子ども篇』より
https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=C-PmcDVsYiI&t=0s
Facebook平沼 載彦さん投稿記事
『ふくらはぎ』(1991年)
ふくらはぎ 俺がおととい死んだので 友だちが黒い服を着こんで集まってきた
驚いたことにおいおい泣いているあいつは 生前俺が電話にも出なかった男
まっ白なベンツに乗ってやってきた 俺はおとつい死んだのに
世界は滅びる気配もない 坊主の袈裟はきらきらと冬の陽に輝いて
隣家の小五は俺のパソコンをいたずらしてる おや線香ってこんなにいい匂いだったのか
俺はおとつい死んだから もう今日に何の意味もない
おかげで意味じゃないものがよく分る もっとしつこく触っておけばよかったなあ
あのひとのふくらはぎに
谷川俊太郎氏に合掌🙏
https://www.youtube.com/watch?v=Y9eibMKTqvo