第24番札所 岩切り観音(いわきりかんのん)
●入り口
先人陶工の碑の南側にある石場展望台から、水路沿いの散策路から入ります。
遊歩道を緩やかに登り、30mです。
●札所周辺
石場神社境内の奥に立つ陶祖李参平公堂の奥に、札所表示があり、その先は落石・落盤の危険防止で入れません。
札所表示の真向いの陶石岩壁の上部に、小窓が切ってあり、その中に磁器製観音像が安置されています。
●安置仏
本尊(岸壁上部の小窓の中)
観世音菩薩:白磁坐像
●歴史
日本の磁器文化は、1616年に朝鮮陶工がこの地で陶石鉱を発見したことに始まります。
石場神社はそれ以降、陶石砕石場内に祀られてきた13の山の神を合祀するために創建された、と伝わります。
この観音像は、1900年に有田工業学校創設期の校長を務めた寺内信一の作です。
観音像は、陶石砕石場で殉職した陶石掘り工たちの、霊を鎮めているようです。
●札所漢字
この漢字を、ガイド本巻末の チェックシート「24番」の所に、順礼の証しとして、書き写していきます。
●近くの見どころ・施設
1.石場神社
場所
札所の境内
由緒
創建時期は不明だが、」江戸期の絵図にその姿が描かれている
社殿には、磁石場中に散在していた山ノ神13尊が合祀されている
境内の社殿南脇には1996年に川久保正幸(有田窯大教授)制作の陶祖李参平公磁像がある
境内の北側には、高麗神と八幡宮が祀られている
2.有田磁石場
場所
札所の東側一帯
由緒
朝鮮陶工の李参平公らが、1616年にこの地で陶石鉱を発見し、ここから有田焼、即ち日本の磁器文化が始まった
江戸期は坑道掘りで砕石されたが、1880年に露天掘り砕石に変更された
現在、国指定の文化財
3.白磁が丘公園相撲場
場所
有田磁石場の東側
管理者
有田町教育委員会
由緒
相撲場がここに造成されたのは1949年
この時、この土俵に上がった力士に、力道山光浩などの名が、当時の番付盤が残る
その後1950年には横綱:羽黒山、照国ら
1956年には横綱:鏡里ら
1991年には横綱:旭富士や幕内:若花田・貴花田らも
4.歴史民俗資料館
場所
札所から200m東側に戻る町道(2車線)沿い
歴史
1979年に建築
内容
有田焼に携わる町民生活文化史料を展示
有田焼窯跡から出土した陶片を整理した陶片図書館も併設
4.歴史民俗資料館
場所
札所から200m東側に戻る町道(2車線)沿い
歴史
1979年に建築
内容
有田焼に携わる町民生活文化史料を展示
有田焼窯跡から出土した陶片を整理した陶片図書館も併設
6.コミュニティバス停「石場」
場所
札所の西方300m
行き先
中樽行き/JR上有田駅方面
管理者
有田町役場
●第25番札所への道案内