第25番札所 泉山釈迦堂(いずみやましゃかどう)
●入り口
大大公孫樹下の口屋番所入口の対面(南側)路地を下る
鬢毛川に掛かる小橋を渡り、10m先の左手にある
●札所堂宇公孫樹下の口屋番所入口の対面(南側)路地を下る
鬢毛川に掛かる小橋を渡り、10m先の左手にある
●札所堂宇
●安置仏
本尊(中央)釈迦如来
脇尊1.(左脇)弘法大師
脇尊2.(右脇)不明
●歴史
この札所は、1990年に完成した有田光明新四国88か所巡りの1番札所でした。
札所脇の登り道は金毘羅山への参道で、すぐ上に庚辰碑が立っています。
●漢字
この漢字を、ガイド本巻末の チェックシート「25番」の所に、順礼の証しとして、書き写していきます。
●近くの見どころ・施設
1.金毘羅山
場所
札所愛護の石段道を100m上る
由緒
山頂部に愛宕社(1726年)と金毘羅社[1880年)の石祠あり
江戸期から上皿山地区の防災と商売繁盛の神として崇められた
参道脇に10余尊の石碑・石仏が祀られている
2.泉山防災広場
場所
札所から南へ50m
設備
泉山大駐車場、体験工房ろくろ座、泉山体育館、有田町弓道場
歴史
この地に1900年、佐賀県工業学校有田分校が創設され、後の有田工業高校となる
有田工業高校は後に、有田焼史を彩る陶画工や芸術家を輩出した
1956年に桑古場へ移転し、その後に有田タイル株式会社の本社工場用地となる
1990年代に泉山防災広場となる
3.上の番所跡公園
場所
札所の北側。町道へ戻って横断してすぐ
設備
駐車場と休憩所
由緒
江戸期は有田皿山東部の口屋番所が置かれていた
口屋番所は、皿山人の出入りと、陶石の搬出を監視していた
1992年に土地・家屋の寄贈を受けて、有田町営事業で観光施設として整備
4.大公孫樹と弁財天社
場所
札所の北側。上の番所公園から路地を70m
設備
天然記念物の大公孫樹、弁財天社、泉山区公民館
由緒
大公孫樹の樹齢は1000余年とされる
初代李参平公らが陶石鉱を発見した16116年の時点で樹齢は600余年
弁財天社は江戸期に法光庵があり、庵主の僧侶の墓碑には1733年の刻字が残る
●第26番札所への道案内