歴史を守るといいながら創作する国
<韓国の歴史は「国民が守るべき」対象なのか?>
ソウルの中心部、光化門広場の通りには、「2019年は3.1運動と大韓民国臨時政府樹立100周年です」と書かれた横断幕や幟(のぼり)があちこちに掲げられ、そのスローガンとして、국민이 지킨 역사 (国民が守った歴史) 국민이 이끌 나라 (国民が引っ張る国)という標語があちこちに見える。(写真は光化門広場から見た政府ソウル庁舎と道路脇の幟)
「国民が引っ張る国」とは、いかにもローソク集会という民衆パワーに突き動かされて成立した文在寅政権らしく、その体質をよく表わしている。しかし「国民が守った歴史」とはどういう意味だろうか?「歴史」とは国民が守るべき対象なのか。国民が守らなければ歴史は消えてなくなったり、改められたりするものとして、韓国では受け止めているのだろうか?
(写真は政府ソウル庁舎に掲げられた幕)
ことし100周年を迎える3.1独立運動については、去年9月の南北首脳会談での平壌共同宣言で、3.1独立運動100周年記念行事を南北共同で行うことで合意していた。韓国の主要日刊紙が1月17日、一斉に報じたところによると、韓国側は、この日に合わせ、金正恩国務委員長のソウル訪問を実現させる方策を検討しているという。韓国政府関係者は、「金委員長が『3.1独立運動』記念日に合わせてソウルを訪れれば、歴史的にも、民族的にも意味がある。大統領府青瓦台もこうした案を検討している」と述べたという。
KBS国際放送のニュースによると、文大統領は去年7月の3.1独立運動および大韓民国臨時政府樹立100周年の記念事業推進委員会の発足式で、「南北が独立運動の歴史をともに共有することになれば、互いの心もより近づくだろう」として、南北共同の記念事業の企画を提案していた。金委員長が3月1日にソウルを訪れれば、「3.1独立運動記念日」に北韓の指導者の初めてのソウル訪問という歴史的な意味がつけ加えられると、KBSもその意義を強調する、しかし青瓦台の当局者は、3月1日の金委員長ソウル訪問の案は、検討したことも、計画したこともないといい、実際、それに向けた動きは何も確認されていない。単にマスコミの希望的な観測なのか、レーダー照射問題や徴用工判決で対立が深まる日本に対して、南北は歴史問題や戦後賠償問題で共同戦線をはり日本に対抗すると威嚇する心づもりがあるのではないか、という分析もある。歴史の節目を利用して、反日で盛り上がるまさに、いま話題の「2019年問題」である。
<えぇ!市民の歴史運動で「三韓征伐」を葬ったって?>
「国民が守る歴史」といえば、在日韓国人向けの新聞「民団新聞」2018年11月28日号に「市民運動が覆した「三韓征伐」の神話」という記事が掲載されていた。韓国大使館領事部に行った際、たまたま手に取った新聞の記事なのだが、これを目にしたときは、正直びっくりした。記事には「神功(じんぐう)皇后が古代の韓半島南部を支配したとされる「三韓征伐」。日本書紀が完成した720年から1200年以上にわたって語り継がれ、近代以降は日本人の常識ともなってきた。この言説がここ20,30年で覆されたのはなぜか」として、早稲田大学教授で朝鮮史が専門の李成市在日韓国人歴史資料館館長の解説が紹介されていた。それによると、日本書紀や古事記には、神功皇后が馬韓(後の百済)、弁韓(後の任那・加羅)、辰韓(後の新羅)を攻め、降伏させたという記述があるが、こうした言説は江戸時代の浄瑠璃や歌舞伎を通じて大衆に広まり、幕末から明治期にかけては日本人の戦意高揚に向けた錦絵の題材として使われ、朝鮮半島への経済進出を図った大正期にかけては神功皇后の肖像画が紙幣にも登場した、としたうえで、記事は次のように述べる。「この『根強い神話』は70年以降、市民による歴史運動によって覆されいく。李教授は「72年以降の高松塚古墳の壁画発見や広開土王碑改ざん説が決定的な契機になった」と強調。(中略)これが後の「東アジアの古代を考える会」の結成につながり、古代の日朝関係史の再検討を学会に問うことになった。『70年以降の市民による歴史運動が、近代歴史学によって国史という国民的物語として共有されていったものを解体していった』(李教授)」。要するに「三韓征伐」という話は、日本で語り継がれてきた根強い神話であり、日本の朝鮮半島侵略を正統化する道具に使われたから、けしからんという話らしい。
しかし、ちょっと待ってほしい。「東アジアの古代を考える会」という団体がどの程度の勢力を持っていたかはまったく知らないが、日本社会の片隅で生きる在日の人たちの「市民運動」ごときものの声で、「歴史」は簡単に書き換えが可能だとでもいうのだろうか?「三韓征伐」の話は、日本書紀や古事記に書かれているだけでなく、高麗時代にまとめられた彼らの正史である「三国史記」や高句麗の好太王(広開土王)碑文にも記述があり、さらには中国の正史「宋書」にも詳しく書かれているまさに世界史レベルの歴史的事実なのである。好太王碑文については、彼らは日本軍による改ざん説を盛んに吹聴したが、日本軍よりも前に採られた拓本が見つかり、彼らの嘘は完全に暴露された。つまり彼らの歴史運動とはその時点で完全に挫折していたのである。
韓国の歴史教科書は、朝鮮半島南部の任那・加羅が大和朝廷の実質的な支配地であったことを認めず、いっさい無視するだけでなく、楽浪郡や帯方郡など「漢の四郡」が中国の直轄地であったことにも全く触れていない。3.1独立運動から100周年の標語「国民が守る歴史」とは、まさに自分たちの勝手で作り上げたまさに「ウリナラ(我が国)史観」を守る国民運動のことを指しているに違いない。
「3.1独立運動」の後にできた亡命政府「大韓民国上海臨時政府」の樹立は、韓国の現在の憲法では、これをもって大韓民国の建国と規定しているが、その実態がどうだったか、まさに現代の「建国神話」の中身ついては、稿を改めて論じてみようとおもう。
<世界遺産だって勝手に創作してしまう?>
ところで、歴史を守るといいながら、勝手に創作までしてしまうという韓国の歴史感覚を示す建造物が、世界遺産にも登録されている「慶州歴史遺跡地区」に現れたと最近、話題になっている。
韓国政府は900億円の予算で新羅の首都だった「慶州(キョンジュ)」の遺跡を復元する工事を行っているが、復元対象となった新羅時代の「月精橋」という橋は、文献などから分かっていたのは石造りのアーチ型ということだった。ところが、完成したのは何と中国の清時代に造られた木造の楼閣の橋をそっくりコピーしたものだった。歴史遺産の真実などどうでもよく、「国内には華麗な楼閣の橋が無いから」という理由で、観光客が集まるドラマセットのような壮大な建造物を、復元ではなく創作してしまうということらしい。(シンシアリーのブログ「1000年経っても」を参考)
写真は、光化門広場の3・1独立運動100周年記念行事のイベント紹介テントと広告塔