新世界紀行 エジプトの旅14 神殿到着 2024.11.23 06:56 朝8時、アブシンベルの街へ足を踏み入れた時、ぼくの目を引いたのは、砂塵にまみれた看板だった。「神殿案内」の文字が、不意に胸の奥をざわめかせる。――もうすぐだ。道中の車窓から眺める景色は、無限に広がる砂漠と、ところどころ現れる乾いた植物の影。やがて駐車場に差し掛かると、そこはミニバス、大型バス、そしてチャーター車の混雑でごった返していた。一大観光地という言葉さえ、この喧噪には控えめに思える。運転手の黒人男性がぼくらに告げた。「出発は10時だ。」つまり滞在時間は1時間50分――余裕はない。ぼくは急ぎバスを降り、早足で歩き出した。神殿へ続く道沿いには、観光客相手の露店が並んでいる。飲み物を扱う店が特に目立つ。日本の冬の朝といえども、ここでは砂漠特有の乾燥した熱気が喉を渇かせる。ぼくは鞄の中のペプシボトルを確かめ、昨日の残り半分がまだあることに安堵した。同じ宿に泊まっていた20代の日本人男性が、露店の前で飲み物を買うか迷っている様子だった。ぼくは値段だけでも聞こうと足を止めて店員に尋ねると、その値段はカイロの数倍ほどだった。随分とふっかけてくるな・・・。日本人男性はその値段を聞いて、買おうとしていたのに諦めてしまった。もしかすると貧乏旅行なのかもしれないと思い、急に親近感がわく。ぼくもまた、貧乏旅行者の誇りを胸に、首を横に振って通り過ぎる。トイレに30円を払い、ようやく心構えを整えると、チケットカウンターへ向かった。20人ほどの列ができていたが、ツアー客たちはすでにチケットを手に入れているらしく、隣の入場ゲートを次々と通過していく。ぼくの前には、同じ宿の大柄な台湾人男性がすでに並んでいた。彼は振り返り、ぼくに苦笑いを向ける。「チケット売りが遅くてやってられないね。」「エジプトではどこでもこんな感じですね。」ぼくは応じた。その時だった。列の途中で一人のアラブ系男性が割り込もうとしたのだ。男は自身を「ガイドだ。」と言い、「客を連れているからここに入らせてくれ」と言って後方に立つ白人夫婦を指差した。だが、台湾人男性は一歩も譲らず、「後ろへ並べ」と突っぱねた。その毅然とした態度に、ぼくは密かに感心した。それでも自称ガイドは「頼む」と食い下がったが、台湾人男性は「だめだ、後ろへ並べ」と言い放った。その自称ガイドは、さらに前方へ行って別の客に頼み込んでいたが、突っぱねられたいた。1分でも急ぎたいところだ、ぼくとて断固拒否していたろう。列に並ぶこと15分、ようやくチケットを手に入れ、神殿への道を急ぐ。この時点で残り1時間半。アブシンベル神殿――その名はぼくの中で夢物語のような響きだった。このアブシンベル神殿は、ナイル川の毎年の氾濫を防ごうと計画されたアスワンハイダム建築に伴い、水没してしまうことになり、貴重な歴史遺産をなんとか守ろうとユネスコが協力し、「世界遺産」の第一号として認定され、神殿丸ごとの移築を行った末に現在に至っている。そして、その移築の方法は、神殿を2m四方づつほどに豆腐のように全て切り裂いてブロックとし、すぐ上の高台で組み直し、それを岩山に見立てたドームで覆うというものだった。 切り分けられた石が、時を超えてこの地に甦る。それを想像するだけで、心が躍る。正面に岩山のようなドームが現れた。海沿いの歩道を進むと、目の前に広がる青空がぼくを包み込んだ。 ――ここだ。普段、ぼくはどんな感動もほとんど口に出さないつまらない性格だ。だが、この時ばかりは、抑えきれなかった。「おお!! アブシンベル神殿だ!!」 叫ぶ声が砂漠の風に溶け込む。幾度も、同じ言葉を繰り返すぼくは、我を忘れていた。日本では迷惑極まりない言動だろう。だが、ここは日本ではない。広大な砂漠の大地では、ぼくはただ一人の人間であり、自由だった。旅人の1人であった。「やっと来たぞ!」その声は、誰に向けたものでもなく、ぼく自身の魂に響いていた。なんて人生は素晴らしいのだろう。ほんの少しの覚悟と行動で、輝かせていけるのだ。