南方熊楠・熊野
https://www.sankei.com/article/20190730-EQIFDVTD2BPBDJOX5VHWSE2LXQ/ 【南方熊楠記念館など国登録有形文化財に 和歌山】より
国の文化審議会は、和歌山県内の南方熊楠記念館本館(白浜町)など計13件を登録有形文化財(建造物)とするよう文部科学相に答申した。
南方熊楠記念館本館は、世界的な博物学者、南方熊楠の偉業を広く後世に伝えようと昭和40年に完成。総工費3千万円あまりの約8割が寄付でまかなわれ、熊楠が残した標本や遺品などを保存・公開してきた。
記念館本館は鉄筋コンクリート2階建て。建築家、野生司(のうすす)義章が設計した。2階部分に重厚なひさしを設け、内部にはらせん階段も設けている。近代建築史を研究する上でも貴重な建物とされた。
紀州漆器の生産を支えた県内随一の規模を誇る田島漆店旧工場5件(海南市)も今回、答申された。
このほか県内で答申された建造物は、豊原家住宅2件(かつらぎ町)▽的場家住宅3件(同)▽神野阿弥陀堂(同)▽旧神田家別邸(串本町)。
https://wakayama-rekishi100.jp/story/057.html 【「知の巨人」南方熊楠とその研究を支えた熊野の人々西牟婁 人物】より
明治時代
人並み外れた記憶力に、およそ10カ国に通じる語学力。自然科学・分野のみならず、民俗学や民族学、宗教学など多くの分野で大きな功績を遺した「知の巨人」といえば、和歌山県出身の南方熊楠です。若い頃から海外へと飛び出し、アメリカやイギリスで知見を広めた彼は、明治37年(1904)に田辺に移住。後半生の37年間を、植物の宝庫といわれたこの地で過ごします。田辺に来た当初、彼は仲間たちと連日のように飲み歩いていたそうです。状況を見かねた友人・喜多幅武三郎は、闘雞神社の宮司・田村宗造の四女を熊楠に紹介。これが後に妻となる松枝で、熊楠は松枝との間に一男一女をもうけました。特に娘の文枝は、松枝とともに晩年の熊楠を助け、植物採集や『菌類図譜』の作製などを手伝ったとされています。また神社合祀の反対活動を行うなど、現在の自然保護活動の先駆者としても知られる熊楠。実はこの活動の背景にも、彼に共鳴した多くの田辺の人びとの助力があったことを忘れてはなりません。熊楠が駆け回ったフィールドをめぐり、彼自身や彼を支えた人々について知識を深めてみれば、偉大な「知の巨人」が実は我々と同じ等身大の人間であったことに、きっと思い至るはずです。
田辺に移住した熊楠が「熊野植物研究の中心基礎点」に据えていた闘雞(とうけい)神社の仮庵山。熊楠の妻は宮司の四女で、熊楠とは非常にゆかりの深い神社といえます
https://www.youtube.com/watch?v=iTSdoAiEuXg
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ワイルドライフ
つながる小さな命たち 牧野富太郎と南方熊楠が見つめた日本の自然 2024年7月1日(月)19時30分からBS1チャンネルで放送
身近な自然にも驚きがあふれている。
その面白さとかけがえのなさを伝えたのは、今から100年ほど前、日本の植物、菌類、粘菌を熱心に見つめた2人の学者。
身近な草花を丁寧に見つめ「綿密に見れば見るほど新事実」と書いた牧野富太郎。
そして森の生態系を観察し「世界にまるで不用のものなし」と書いた南方熊楠。
2人の足跡をたどりながら、現代の研究者たちとともに、最新の撮影技術も駆使して小さな命たちの世界へ潜入する。
https://www.nhk.jp/.../ts/XQ57MQ59KW/episode/te/YMWP5R871Z/
本の説明
百科事典を丸ごと暗記、二十以上の言語を解したなど虚実多くの伝説に彩られた南方熊楠。その破天荒な生涯をたどり、思想と業績を紹介。