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源法律研修所

高校は義務教育にあらず

2024.11.25 06:45

 以前、高校を受験したところ、定員割れなのに不合格になったのは、教育を受ける権利の侵害だと主張して、人権救済を申し立てたという記事を採り上げた。

 驚いたことに、下記の記事によると、定員割れなのに不合格になった人は、「東京や大阪、北海道、埼玉など9都道府県はゼロだった」そうだ。

 この記事には、「点数がほとんど取れていなくても定員内であれば入学許可を出す。高校は学力が十分でなくても、入学後、社会に出ていく力をつけられるようにしっかり指導しなければならないと認識している」、「入学を希望する人を定員内なのに不合格にする理由はない。県として県民のニーズに応える」とある。


 はぁ〜???

 高校は、義務教育ではないのだが。「社会に出ていく力」は、中学卒業までに身に付けさせるのが教育委員会や小中学校の仕事であって、自らそれができていない、職務怠慢だと自白しているようなものだ。

 学力不十分で「社会に出ていく力」が身に付いていないのであれば、中学を卒業させずに、勉強をやり直させるのが筋だろう。


 結局、不合格になった未成年者が非行に走ったりしないように、高校を受け皿代わりにしているだけではないのか。刑事政策として合格させているようなものだ。

 この生徒たちは、登校拒否や退学にならずに、「社会に出ていく力」を身に付けて、無事に高校を卒業しているのだろうか。データーを開示しろ。


 人は、生まれながら平等ではない。不平等なのだ。この冷厳たる事実に目を瞑(つぶ)って教育ができるか。

 本来、学力不十分で不合格となるべき受験生を合格させ、お手手つないで仲良く高校へ進学させ、授業料を無償化するなんて、悪しき平等主義に他ならない。費用対効果も期待できない。


 このような愚かな運用をしているから、学校現場が混乱し疲弊しているところを教育実習生が間近で見るので、学生の教員離れがとまらないのだ。教育委員会が教員不足の元凶なのだ。

 政治が行うべきなのは、いつでも誰でもいくつになっても学べる環境を整備することだ。

 高校を不合格になって、「社会に出ていく力」が身に付いていないのに、社会に出て働くようになったとしても、やはり勉強したいと思ったときに、手を差し伸べ、勉強できるようにする。

 大学や高校を卒業して社会人になって、もっと勉強したいと思ったときに、勉強できるようにする。

 年老いても、勉強したいと思ったときに、勉強できるようにする。

 このようにいつでも誰でもいくつになっても学べる環境が整えば、教室には年齢も職業も異なる生徒で溢れ、学び直しが恥ずかしくなくなり、入試に失敗することなんて些細なことになるのだ。