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今を生きる

2024.11.26 10:17

aribaba@1819aribaba

わたしは今を生きる姿を花に見る 花の命は短くてなど嘆かず今を生きる

花の姿を賛美する ああ 咲くもよし 散るもよし 花は嘆かず今を生きる 坂村真民


和み 🌿(23tweet︎*.。︎)@nagomu_toki

人の命は呆気ない 急に手の届かない所へ 行ってしまう そんな理不尽で残酷なもの

この一瞬が奇跡に等しい 奇跡を掴みとって 今ここに立っている 誰もが自分の人生を

楽しむ権利がある どうしたら幸せになれるか どの道が正しいか 先のことばかり

心配せず「今」をどう生きるかを忘れないで


Facbook田中 宏明さん投稿記事

生きるために学んだたくさんのreason 目の前の君は ただ君のままでよかったはずなのに

いつからか僕らは自分でいるための理由を探しはじめた

笑って生きているだけでは足りないと 悲しくて泣いているだけではいけないと

もっと意味と価値のあるStyle で生きることが幸せに続く道だと歯をくいしばって

keep going でも君の笑顔を見ると 思い出すんだ 生きることに理由はいらないって

特別な何かになる必要などないってそれだけでHeartは安らぎで満ちてくる

no reason 生きることに理由はいらない no border 僕たちに境界線はない

no future ただありのままに 今を生きよう 自分を守るために つけたたくさんのmask

でも気がつけば 本当の顔まで見失っていた

誰かのため 社会のために 生きなさいと 世界は自分を忘れた 人たちの声で溢れていた

でも 君の笑顔を見ると 思い出すんだ 自分を生きることの素晴らしさを

自分を愛している人だけが 本当に人を愛せることをそれだけでHeartは優しさで満たされていく no reason 生きることに理由はいらない no border 僕たちに境界線はない

no future ただありのままに 今を生きよう イェイ✨🌈😆 らぶ💓


Facbook相田 公弘さん投稿記事【今日、ただ今、この刹那を生きる】

小林正観さんの心に響く言葉より…

《「過去」を悔やむことはなく、「未来」を心配することもない。ただ一つ考えているのは「念を入れて生きる」ということ》

「念」という字を分解すると、「今」の「心」と書いてあります。

「念」を入れるということの意味は、とてもわかりやすく文字に書いてあるのです。

「念」とは「今」の「心」。「今」を大事にする「心」。

「今、目の前にいる人を大事にし、今、目の前にあることを大事にすること」

お釈迦さまが、弟子にこう聞かれました。

「お師匠さまは神通力にすぐれ、人の前世や来世が見えるとのことですが、私の前世はどんなものだったのでしょうか」

お釈迦さまはこう答えたそうです。「そんなことは考えなくてよいから、今日(こんにち)、ただ今、この刹那(せつな)を大事にして生きなさい」

弟子はしばらく黙っていましたが、再び聞きました。「私の来世はどんなものでしょうか」

普通の人なら「わからずや」と呼ぶところでしょうが、お釈迦さまはやはり静かに、こう言いました。「そんなことは考えなくてよいから、今日、ただ今、この刹那を大事にして生きなさい」お釈迦さまが使った「この刹那」というのは、今の一瞬一瞬のこと。

現代では「刹那主義」と言えば「今さえよければあとはどうなってもいいと思うこと」との意味ですが、本来の「刹那主義」とは一瞬一瞬を大事にして生きる思想、考え方のことでした。

私も時々人から聞かれます。「私の前世は何だったのでしょう」

そのたびにお釈迦さまの答えを引用していますが、時にこんな回答もつけ加えます。

「仮に前世が殺人者で、あるいは強盗で、あるいは詐欺師であったとしましょうか。では、今生でのテーマは何だと思いますか?」「わかりません」

「今生では、ほかの存在、これは人だけでなく動植物全ての存在ですが、その存在たちから喜ばれる存在になることではないでしょうか」

「なるほど」「では、前世で、多くの存在たちから喜ばれる存在だったとしましょう。今生でのテーマは何でしょうね」「……」

「今生でのテーマは、もっと喜ばれる存在になりなさい、ということではないでしょうか。そう考えたら、前世が何者であったかはどうでもよいことになる。今生でのテーマは、いかに多くの存在物から喜ばれる人になるか、ということですよね」

「私のこの考えは、「念」という言葉から生まれ出てきたものです。

「念」という言葉は、「念じるとそうなる」「そうならないのは念じ方が足りないからだ」というように、「自分の思い通りに未来を作る」「未来を呼び寄せる」という意味に使われてきました。

しかし、「念」ということの本当の意味としては、そんな「未来的」な意味は全く含まれていないのです。「念」とは「今」の「心」、としか書いてないのですから。

そして、仮に、目の前の人を大事にし、目の前のことを一つ一つ大事に、やっていったとします。その「念」を入れた生き方は“未来”につながっていくでしょう。

「今」が独立して存在しているわけではない。「今」の積み重ねが“未来”を作っているのです。『生きる大事・死ぬ大事』イースト・プレス

「人生二度なし」と言ったのは、哲学者の森信三先生。

今日やるべきことを明日に延ばさない、ということであり、今日(こんにち)ただ今しかないのだ、という気持ちで生きること。

アメリカの9.11の同時多発テロで、有名になった、「最後だとわかっていたなら」という詩がある。

『あなたがドアを出て行くのを見るのが最後だとわかっていたらわたしはあなたを抱きしめてキスをしてそしてまたもう一度呼び寄せて抱きしめただろうあなたが喜びに満ちた声をあげるのを聞くのが 最後だとわかっていたら わたしはその一部始終をビデオにとって

毎日繰り返し見ただろう』「今生でのテーマは、多くの存在から喜ばれるように生きること」

『一度だけの人生だ。だから今この時だけを考えろ。過去は及ばず、未来は知れず』(中村天風)二度とない、今日、ただ今、この刹那を、一所懸命に生きていきたい。

■【人の心に灯をともす】のブログより