コンクールについて🎹
昨日、日本のコンクールについて改めて考えるきっかけを、母校の恩師に頂きました。
そして数年前Instagram内で、『コンクールを受けたいという方の入会はお断り致します。目標を持って音楽を学び深めたいというのならば、それは教室の発表会で充分なのです』というような勇気ある内容を、とあるピアノ教室の先生が投稿なさっていて、私もコメントで賛同したかったもののその時はいいね🩷だけさせて頂いて月日が過ぎたのですが、後にやはり賛同コメントしようと思い立って検索しましたが見つかりませんでした😢
あの時の先生が、この投稿を見て下さるか分かりませんが、今改めてここに賛同致します。
目標を持って純粋に音楽を学び深め楽しむために、何故その場が発表会ではなく順位付けするコンクールでなければならないのか、確固とした正当な理由が私にも全く見つかりません。令和の時代では、凝り固まった古くからのこの価値観を根こそぎ変えて行く必要があるとさえ思います。
私のコンクールに対する考え方は以下の通りです🎹
様々なコンクールなるものは、ピアノに限った話ではなく、これは日本の根本からの教育が、全て反映されていると思います。
芸術である音楽の本質は、自身の生涯を通して音楽を感じ・学び・深め発展させて行くことによって、一度きりの人生をより一層豊かなものにするところにあります。
歴史に残る世界中の作曲家達は、生涯を通し自身の音楽性をどこまでも追求し沢山の素晴らしい作品を残しました。当時の戦争や文明、環境によって平均寿命も短かったでしょうから、自身と他者とを比べている時間など無かったはずです。
コンクールの順位付けは、後の奏者の生涯に大きく影響してしまいます。特に日本人はそこだけに囚われて、本来あるべき純粋な部分が大きく削がれてしまうという危険性を秘めているように私は思います。(入賞の有無に関係なく)
添付した写真は、国民の幸福度が世界で最も高いフィンランドの小学校校長が、日本の小学校を視察しに来日し、感想を述べているものです。
小学生の子供達にマラソン大会で順位付けをする事に、大変驚愕しておられました。
また、YouTubeにて『アンジェリーナジョリー、スピーチ』で検索すると、【短いスピーチに込められた彼女の生き方】という動画が上がってきます。
これは2013年に友愛賞を受賞した彼女の素晴らしいspeechですので、ご興味がお有りの方は是非ご覧ください。
世界を見渡せば、本来なら素晴らしい感受性と才能、探究心を持ちつつも、産まれ持った環境の有無によってそれらを開花出来ない方々が世界中に沢山おられます。
コンクールの会場にたまたま集まることができた者達だけで順位を競い合い、入賞したいという欲に満ちた演奏が、聴衆の心に届くと思えません。
また、コンクールの順位付けはその時の審査員によっても左右されるでしょう。
記憶に新しい2021年のショパンコンクールに関しても、亡きフレイレさんと、アルゲリッチさんが審査員を降りず、務めていらしたらひょっとすると順位も変わっていたかも知れません。
コンクールに対しては様々な考え感じ方があると思いますし、それ以上もそれ以下も無いことだとは思いますが、私はこれからもこのような考えを軸に、生徒の皆さんが純粋に【やっぱ音楽って良いよね🥰】と感じて下さるよう真心を込めてサポートさせて頂きます🎹