比率の話。
※12月1日(日曜日)は臨時休業いたします。
急に寒くなり、手の悴み(かじかみ)に慣れない。昨日に続き、今日も寒い。
ちょっと前まで 暑い暑い と言っていた気がするが、あれはなんだったんだろう。
さてここ最近は裏山ハイクが調子良くテンポよく、体も使い景色良く、おまけに薪(たきぎ)集めにもなる と言う具合に山生活にフィットしている。
おまけにバッグのアイデアも浮かんだりして、夜な夜な試作し、そして山に持ち込んでいる。
自転車で使うのに調子良く、ハイキングをはじめ山での活動にも使うことができて、おまけにデザインの守備範囲が広く普段使いにも持っていける というバッグを作り始めてしばらくが経ちました。
「誰かの何かの役に立っているのだろうか」と、自問することも多々ありますが、
実際に使われている方を見かけると、あぁよかった とホッとし、また制作に没頭します。
一人が作っているものよりも大手の手がけるものの方が社会により広く浸透していくのは当たり前であり、そこは変えることができない部分。
しかし大手では賄いきれない隙間を埋めていく ということはできますので、自分なりに見つけたその隙間を埋めるべく、続けています。
そう、世の中には、よほどの天変地異が起きない限りは変えられない比率がある と感覚的に思っています。
前述したこともそうですし、その他にも色々あるでしょう。
例えば街暮らしと田舎暮らしの比率もそうだ。
「住むには尾張旭(故郷だから引き合いに出してもいいでしょう)よりも名古屋、名古屋よりも東京。少なくとも田舎よりは市街地だろう。」
といったように、普通はそれなのだから、そこは変えられない という例えは多くの方が(このブログの読者は違うかもしれませんが笑)頷くでしょう。
「田舎は縛られた生活で、都市部はより自由度のある生活。」(僕はその逆だと思っているが)
田舎が好きで田舎に住む と言う人が子育て世代も含め比率が増える という世界には、相当な天変地異(それが起こったらおそらくとんでもないことになる)が起こらない限り成らないと思っている。
田舎の中にも比率があり、変えられない部分がある。
そう思うと、世の中そういったものなのだろう と俯瞰して見ることができる。
事の始まりが段々と大きくなり、そして比率が生まれる。
元々はマイナーで小さく始まったものが段々とマスに移行し、場の面白みや軽さが段々と硬く重くなっていく。
しかしそこにはきちんと「変えられる部分」があり、そこの部分でうまくやっている人を見て、あぁすごいなぁ と素直に尊敬し、自分のあるべき姿を再認識することがある。
と同時に、変えられない部分に固執してしまう性を見ることもある。
数学的には「定数」「変数」というらしい。
定数は変えられない。変数は変えられる。
要するにどんなジャンルにも変えられる部分があり、そこでいかにやっていくか だなぁと感じたわけです。
そこで初めて「誰かの役に立っている」ことになる。
アウトドア。サイクリング。
小さいジャンルですが、自分にできることを自分なりにやっていくつもりです。
明日は臨時休業とさせていただきます。