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筑波山地と周辺域-花崗岩の山塊を取り巻く地域

2024.12.02 06:21

chrome-extension://efaidnbmnnnibpcajpcglclefindmkaj/https://dil.bosai.go.jp/workshop/06kouza_kankyo/pdf/27_tukuba.pdf 【防災基礎講座: 地域災害環境編】より

筑波山地と周辺域-花崗岩の山塊を取り巻く地域

1. 土地環境筑波山地は関東平野内に北から南へ20 kmほど突き出た山塊です.主峰の筑波山は標高877 m と低いものの,なだらかに裾を引くカイラインを示して独立峰のように聳えているのでよく目立ち,古代から歌にも詠まれよく知られている峰です.筑波山地およびその周辺域の地形は,中央に筑波山地とその内部の八郷盆地,北には鶏足山地との間の笠間盆地・岩瀬盆地,筑波山地の東西と南に常陸台地およびそれを開析する桜川・恋瀬川・涸沼川などのつくる沖積低地,最南部に霞ヶ浦とその湖岸低地,とからなります(図1).筑波山地には花崗岩が広く分布し,真壁石(筑波石)・稲田石などとよばれる石材として利用されています(図2).筑波山は,地下深くでマグマが固化してできた花崗岩と斑レイ図1 筑波山地と周辺域の地形岩の岩体が隆起したもので,標高ほぼ600 m以上は侵食に抵抗する硬い斑レイ岩からなり,急傾斜の山頂部を構成しています.標高およそ450 m以下の山腹・山麓部は,花崗岩の風化岩屑層で覆われて傾斜20º以下の緩斜面をつくっています.開析はあまり進んでおらず,多数の浅い谷が火山放射谷のように発達しています.台地は10万年以上前の海成堆積面が段化したいわゆる洪積台地であり,表面には数万年前に飛来した火山灰の風化層を載せたローム台地です.平坦な台地面は広く分布しており,その標高は25~30 mです.この常陸台地は北東部から時計回りで,東茨城台地・石岡台地・新治台地・筑波台地・協和台地・真壁台地などと細区分されています.茨城県の台地面積比率は37%と大きく,全国で最大です.台地面は総合的にみて災害の危険が最も小さい地形です.霞ヶ浦は縄文時代の高海水準期に関東平野内深くに進入した入海が,内陸に閉ざされてできた浅い潟(海跡湖)です.筑波山地内に発し霞ヶ浦に流入する桜川・恋瀬川の埋め立てが進まなかったためで,これら河川の侵食・運搬作用が比較的に小さいことを示します.山地西方には,数万年前に桜川の低地に流入していたことのある鬼怒川・小貝川が流れて図2 筑波山地の地質27-1筑波山地と周辺域います.涸沼川は東へ流れ涸沼の浅い湖沼を経て鹿島灘に注いでいます.この地域の主要市街には,笠間・友部・岩間・石岡・土浦・つくば・真壁・岩瀬などがあります.災害の危険はこれらの市街が沖積低地・盆地底・山麓地に立地するところで大きくなります.

2. 土砂災害2.1 筑波山地の土砂災害筑波山地は主に花崗岩からなります.花崗岩はマグマが地下深くでゆっくりと冷えて固まったもので,大きく成長した石英などの結晶が集まってできています.この粗い結晶粒子の間に二酸化炭素を含んだ地下水がしみ込み化学反応を起こして粒子がバラバラになるという風化を,地下深くまで受けやすいという性質があります.このため花崗岩山地は一般に土砂災害の危険が大きいところです.この山地でも10 mの深さにまで風化を受けているところがありますが,山崩れの跡はほとんどなく,多数ある石材採掘場を除き植生を欠いたところはほとんどみられません.山麓・山腹には広く岩屑層が発達しています.これは岩盤から剥がれ落ちた岩片が地表を覆った堆積層です.筑波山のほぼ標高600 m以上は斑れい岩でできており,かなり硬いので急峻な山頂部をつくっています.ここから供給された岩屑や花崗岩の風化岩屑により山腹・山麓が広く覆われ,ゆるやかに裾をひくスカイラインをつくっています.加波山・足尾山の山麓にも岩屑層が形成されています.岩屑は流水によって運ばれやすいのですが,砂防ダムへの堆砂が少ない,扇状地が筑波山ではほとんどない,桜川低地の沖積層が非常に薄いことなどから,この岩屑層はかなり長期間停止したままで安定しており,山麓に流出してきて土砂災害などをあまり起こしていないと考えられます.この原因の1つとして強雨が少ないことがあげられます.筑波山頂での1900年以降における1時間雨量の最大値は48 mmとかなり小さな値です.図3 筑波山地の土石流危険渓流(右図は左図の上に続く) (茨城県資料)しかし地形条件からみるかぎりでは,土石流の危険が大きい渓流が比較的多く存在します(図3).危険な渓流は,谷底の勾配が15º以上の区間が長く,そこに多くの土砂が堆積している谷です.筑波山・加波山の山域では,およそ50ほどの谷が土石流危険渓流に指定されています.筑波山ではそれぞれの谷の流域面積は小さくまた一般に谷は浅いので,土石流が起きても土砂量は多くはならず,その危険はあまり大きくはないでしょう.鶏足山地・笠間丘陵も含めた6市全体では232の谷が土石流危険渓流に指定されています.最も多いのは旧岩瀬町の72です.土石流の本体は勾配がおよそ2ºまでのところで停止しますが,多量の土砂・流木も運ぶ激しい流れの洪水はなおも下流へと流れ下り広がります.土石流は発生しなくても,山麓緩傾斜地では大雨27-2時に激しい流れの洪水が起こり,土砂流出や河岸侵食などが生じるおそれがあります.扇状地など緩傾斜山麓面のある笠間盆地・岩瀬盆地・真壁扇状地・八郷盆地などでは,このような扇状地洪水に備える必要があります.2.2 台地の崖崩れ 常陸台地南部の地層は,上から関東ローム層(厚さ2~3 m程度),常総粘土層・龍ヶ崎砂礫層(場所による層厚変化大),海成の成田層(主として砂層)からなります.これら自然の堆積層の表面を,上から流されずり落ちてきた土砂や風化による土砂が多少とも覆っています.その厚さは薄く10~20 cmぐらいまでです.この隙間の多い表土層に水が浸透し,地山(自然堆積層)との境がすべり面となって表土が滑落するのが,最もよく起こるタイプの土砂崩壊です.台地面上での宅地造成・道路建設など地形の人工改変は,広い範囲の雨水を集めて崖斜面に流しこむような状態をつくり,崩壊を引き起こす原因になることが多いので注意を要します.斜面崩壊の発生には人為的な要因が多かれ少なかれ関係しています. この地域(6市)では421の急傾斜地崩壊危険箇所があります(2010年現在で未指定箇所も含む)(図4).このおよそ2/3が台地の崖斜面におけるものです.地形条件に基づく指定基準は,急傾斜地の高さ5 m以上,傾斜角30º以上です.台地部での急傾斜地の高さはあまり高くはなく,ほぼ15 m 以内です.人家がないところは原則として指定されないので,実際の崩壊危険箇所はもっと多くなります.2013 年10月,台風26号の大雨により,行方市・鉾田市を中心に常陸台地東南部の約480箇所で崖崩れが発生しました.この崖崩れの地域分布とアメダスの雨量データから,常陸台地において崖くずれが発生する限界雨量条件として,12時間で150 mmの降雨に続き60 分で40 mmの強雨,が得られました(図5).半日で50 mmをかなり超えるような雨が降り続き,さらに一層強い雨(1持間30 mm超)が降ると予想される場合,急斜面下では避難を準備したほうがよいでしょう.図4 急傾斜地崩壊危険箇所(土浦周辺)(茨城県資料)図5 常陸台地南部におけるがけ崩れ発生限界雨量3. 洪水災害3.1 土浦の土地環境と水害桜川がかつていく筋にも分流して霞ヶ浦に流れ込んでいた湖岸デルタに,土浦市街は立地しています.標高は1.5~2.5 mと低く,霞ヶ浦の平均水位0.25 mとの差はわずかです.低地の中央には比高1 mほどの砂州(土浦砂堆)が低地を閉ざすように伸び,この上を水戸街道が通っていました.土浦城は,デルタの分水路を周囲にめぐらせて防備する平城として,室町時代に築かれました.したがってこの城下町・土浦は,水に弱い生い立ちの街です.27-3筑波山地と周辺域土浦に洪水を引き起こすのは,霞ヶ浦の水位上昇と桜川の氾濫です.湖水位上昇は,利根川洪水の逆流および周辺域に降った豪雨の流入によって生じます.江戸時代には数年に1回という頻度で水害が起こっていましたが,その原因の大半は霞ヶ浦の増水でした.このため明治29 年開通の常磐線を霞ヶ浦寄りに通して,その盛土路盤を水防堤としました.明治年間で最大の明治43年水害は,桜川の氾濫と霞ヶ浦からの逆水が重なって生じ,土浦町の2/3の家屋が浸水しました.百数十年来とい図6 昭和13年6月の豪雨による茨城県の氾濫域(加藤,1978)う昭和13年の大洪水は,総雨量400 mmの豪雨による湖水位上昇と桜川の氾濫によって生じました(図6).土浦町の被害は死者6人,住家全半壊61戸,浸水4,850戸などで,全世帯の95%が被災しました.最大浸水深は3.1 mにもなりました.現在,地形条件および市街地条件からみて,浸水害の危険が最も高いのは,土浦砂堆の内陸側、とりわけ国道6号の内陸側です.ここは標高1.5 m前後の凹地であって,内水の湛水が生じやすい地形です.3.2 霞ヶ浦の治水と氾濫霞ヶ浦は日本第2位の面積をもつ大きな湖ですが,水深は浅くて平均水深4 m,最大水深は7 mです.出口は利根川の運搬土砂および鹿島砂丘によって閉ざされ,複雑な水路をとっています.霞ヶ浦沿岸低地では,大流量を流す利根川からの逆流および湖の排水能力不足による洪水がたびたび発生しました.この対策として,1921年には横利根川に閘門を設けて,利根川からの逆流を防ぐようにしました.また,排水河川の北利根川・常陸利根川を掘り下げ幅を広げて洪水が流れやすくしました.しかしこれによって海水が逆流し,霞ヶ浦沿岸で塩水害が生じるようになったので,利根川との合流地点に常陸川水門を1967年に完成させ,湖水位調節と逆流防止を行うようにしました.現在の湖岸堤防は,平均水位より1.8 mほど高い2.1 mの高さで建造されています.霞ヶ浦の土浦における既往最高水位は,昭和13年の梅雨前線豪雨による2.5 mで,このときの霞ヶ浦流域全体の被害は,死者25人,家屋流失・全壊180戸など大きなものでした.湖水位の上昇は霞ヶ浦周辺域での豪雨による大量の河川水の流入によって生じました.雨は筑波山地南部で最も多く,柿岡の総降雨量は500 mmを超えました.大きな被害は土浦および行方郡で生じました.3.3 低地の地形と洪水タイプ1986 年台風10号の大雨は関東の平野部で総雨量400 mmを超え,小貝川・桜川・那珂川など多数の河川が氾濫しました.小貝川は石下町豊田で破堤し,氾濫流は10 km下流の水海道にまで達しました.桜川では破堤・越流により中流域が広く浸水しました.この2つの洪水の氾濫様式は,平野地形の違いを反映した対照的なものでした.日本の河川は急流であり,山地から運ばれる多量の土砂が下流の平野に堆積して河床が高くなっています.運搬土砂が特に多いと,河床が平野面より高い天井川になります.このような河川が氾濫すると,洪水は平野内に大きく拡がります.一方,堆積よりも侵食の方が勝っていると河床は低27-4下して,河道に近いところほど低いという地形を示します.この侵食性河川が溢れた場合には,浸水は河道周辺に限られ,一方浸水深は大きくなります.筑波台地西方において小貝川と鬼怒川は,幅狭い平野内の両端を平行して流れています.地盤高は平野中央が最も低く,鬼怒川河道部は低地中央より3~4 mも高くなっています.石下の破堤氾濫流は,この地形に従って平野中央部を流れ下りました(図7).氾濫水は自然に河道へ戻ることができないので,水海道市街北方で鬼怒川堤防を切り開いて排水するという手段がとられました.2015年9月の鬼怒川洪水も,全く同じように地形に支配された氾濫様相を示しました.桜川は,上流部および下流端を除き,平野面をかなり深く削り込んでいます.つくば市付近では河床と台地際との比高は7~8 mもあります.この地形のため,氾濫水は河道周囲に地形(地盤高)に応じて広がり,下流部では浸水域はごく狭いものでした.左岸には堤防のないところもあって,そこから溢れ出しましたが,浸水域はあまり拡がりませんでした.那珂川も下流部において侵食性であり,河道部の標高は平野の縁(台地際)よりも10 mも低いので,水戸付近における浸水は河道周辺に限られました.水流が建物などに加える力(流体力)は,水深のおよそ2乗と地形勾配との積で示されます.この流体力がある大きさ以上になると,建物は浸水被害だけでは済まず,壊され流されるようになります.地形勾配の大きい盆地・扇状地では流体力の大きい洪水が発生する危険があります.1938年の豪雨災害では,西茨城郡の建物被害が流失・全壊30,半壊41,浸水978であり,笠間盆地で激しい流れの扇状地性洪水が生じたと推定されます.図7 1986年小貝川洪水の浸水域4. 地震災害4.1 地震活動この地域に大きな影響を及ぼす地震には,関東平野の地下で起こる直下型地震,日本海溝沿い及び茨城・福島沖で発生する海域の地震,相模湾から南東に伸びている相模トラフで起こるプレート境界地震があります(図8).頻繁に発生しているのが平野直下の地震です.これは南方から潜り込んでいるフィリピン海プレートの上面付近で起こっており,茨城南部ではその深さは50~70 kmです.マグニチュード(M)は一般に5以下,せいぜい6 クラスであり,震源はかなり深いので,地表での揺れは弱まって震度は5強まで,地盤の悪いところで6弱程度です.図8 最近150年間の大きな地震東方海域では,太平洋プレートの沈み込みに伴って地震が頻発し,M8以上の巨大地震も起こります.東北地方太平洋沖地震は既往最大の規模(M9.0)で,茨城南部(震源距離およそ350 km)で は震度ほぼ6弱~5強でした.計測震度は,笠間(中央)6.0(震度6強),つくば(刈間)5.9,土浦(下高津)27-5筑波山地と周辺域5.8 などでした.鹿島灘ではM7 クラスがかなり発生しています.東北地方太平洋沖地震のときにはM7.7の強い余震が起こりましたが,茨城南部(震源距離およそ80 km)では震度5強以下でした.この海域の地震は,震源からかなり離れているもののMは大きく,プレート沈み込みに伴って起こる地震で発生頻度は大きいので,直下の地震と同じように大きな影響を及ぼしています.相模とラフでは,1923年関東地震(M7.9), 1703年元禄地震(M8.1)が起こっています.震源からの距離は100 km以上とかなり離れています.相模湾域での最後の発生が90年前なので,ここ100年ぐらいは大きな地震は起こらないと考えられています.海域の主要震源域や内陸活断層の活動による地震の発生確率などが,地震調査研究推進本部により示されています.茨城県沖では,M6.7~7.2の地震が平均間隔約20年で発生しており,今後30年以内に起こる確率は90%以上と評価されています.関東南部(図8の赤鎖線内)ではM7クラスの地震が120年間に5回あり,平均間隔24年で,30年発生確率は70%程度と評価されています.1 回のM7 地震の強震動域は,関東南部という広い領域の半分以下なので,実質的な確率はこれよりもかなり小さいとみた方がよいでしょう.4.2 地震被害東日本大震災による県南地方(14市町村)の被害は,死者3,住家全壊217,半壊 1,327,一部破損24,561などで,実数では関東震災をかなり上回り,被害率ではほぼ同じ程度でした.住家全壊率は震度に読み替えられます.県南平均の住家全壊率は0.06%で震度5弱相当でした(図9).桜川市の全壊率は大きくて0.11%でした.これらはかなり広い市域の平均に基づいたものであり,局地的にはもっと大きな震度を示したはずです.関東大震災による県南(稲敷・新治・筑波・北相馬の4郡)の被害は死者1,住家全壊26,半壊62,全壊率0.1%でした.全県の被害は死者5,全壊137,半壊342などで,小貝川・鬼怒川・利根川低地にその発生は限られました.図9 東日本大震災の住家全壊率(市町村単位)直下型地震で被害の最も大きかったのは,1895年の霞ヶ浦北部を震央とする地震(M7.2)で,県全体の被害は死者4,家屋全壊37などと,関東地震とほぼ同じ大きさでした.石岡で大きな被害という記録が残されています.1921年龍ヶ崎の地震(M7.0,深さ60 km)では最大震度4で被害は極めてわずかであり,震源は阿見付近であったようです. 4.3 地盤条件と被害桜川が霞ヶ浦に流れこむ河口域は,標高ほぼ2 m以下という低い三角州で,地形からみるかぎりでは地盤は良くないと判断されますが,沖積層の厚さは数m程度と薄く,その下には比較的硬い礫層があります.この土浦礫層は約2万年前に鬼怒川が日光山地から運びだしてきたものです.台地を刻む谷の底には軟弱な泥質層が堆積しており,たとえば花室川では厚さが10 m以上あります.これは台地面からローム(粘土)が運ばれ堆積したもので,湿地植物が分解されずに混じっているので非常に軟弱です.27-6地形・地盤条件の違いによる地震動の増幅程度の差は,筑波台地面に比べ桜川・小貝川など沖積低地では1.5倍程度(震度では0.5~1大きい),筑波山地では半分以下です(図10).今後30年以内に震度6弱以上の揺れに見舞われる確率(地震調査研究推進本部による)は,台地40~45%,盆地15~40%,筑波山2%,土浦75%などとされています.東日本大震災で地盤液状化が著しかったのは,霞ヶ浦と利根川の間の潟起源低湿地(潮来市・稲敷市),鹿島砂丘の内陸側低地(鹿嶋市・神栖市),霞ヶ浦湖岸低地(行方市・鉾田市など)で,5千棟を超える住家が全半壊しました.ここは地形からみれば全域が液状化の非常に起こりやすいところですが,その集中発生箇所は限られており,液状化発生の地層条件は複雑です.筑波山周辺では,液状化は桜川低地と霞ヶ浦湖岸低地でわずかに発図10 地震動の増幅率(地震調査研究推進本部)生が確認されているだけです.西方の小貝川・鬼怒川低地ではかなり多数の発生が認められています.国土地理院(1978):土地条件調査報告書,土浦・佐原地区.水谷武司(1982):茨城県南西部桜川流域の防災地学環境.国立防災科学技術センター研究報告27.山口恵一郎ほか編(1972):日本図誌大系,関東Ⅱ.朝倉書店.加藤敬愛編(1978):昭和十三年の茨城県水害.茨城県.土浦市(1975):土浦市史.27-7筑波山地と周辺域防災基