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宮沢賢治の『若い木霊』(7) -なぜ物語にやどり木と栗の木が登場するのか-

2024.12.05 06:37

寄生木(やどりぎ)や五百箇統の珠となる  高資

天知るや日の御影なる寄生木(ほや)の玉  高資

 大室古墳群(国指定史跡)— 場所: 群馬県 前橋市

https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2021/09/19/065604 【宮沢賢治の『若い木霊』(7) -なぜ物語にやどり木と栗の木が登場するのか-】より

若い木霊

Keywords: 栗の木,再生と復活,神聖な木,やどりぎ

本稿では,なぜ物語にやどり木と栗の木が登場するのかについて考察する。最後に「まとめ」を記す。

8.やどり木

「やどり木」はビャクダン科の「ヤドリギ(宿り木)」(Viscum album L.subsp.coloratum Kom.)のことで,高い木の途中に30~100cm位の緑色の球体となって寄生する。主にエノキ,クリ,ブナなどの落葉樹の枝に根を食い込ませ水分や養分を奪うが,自らも光合成を行なうので正確には半寄生植物である。熱帯産の「ヤドリギ」は水分を吸い尽くすとされ宿主樹木を枯らすこともあるが,日本で見られる「ヤドリギ」は宿主樹木を枯らすことはほとんどないと言われている。 

欧州では「ヤドリギ」は冬の落葉樹が葉を全て落とした枝に,生き生きと緑の葉を付けているので神聖なものとされていた。特に北欧では落葉樹の「オーク(ブナ科 コナラ属植物の総称)」が古代から最も神聖な木とされていたので,「オーク」に付く「ヤドリギ(セイヨウヤドリギ)」(Viscum album L. subsp.album)は一番珍重され,再生や不滅の象徴とされていた。例えば,ギリシャ神話にも冥界を訪れた半神の英雄アイネイアスが安全に地上に戻れるように,ヤドリギを持って行ったという話が残っている(De Vries,1984)。北欧では1年で最も日が短い「冬至」に光の神バルデルの人形と「ヤドリギ」を火のなかに投げ,太陽の死からの再生・復活を願う火祭りが行われる。つまり,欧州では「ヤドリギ」は「再生復活の呪力」があるものとして崇められてきたようである。

童話『若い木霊』では「ヤドリギ」は「黄金(きん)色のやどり木」として登場してくる。この「黄金色のやどり木」も「再生復活の呪力」が関係していると思える。「ヤドリギ」が金色なのはフレーザー(Sir James George Frazer;1854~1941)の『金枝篇(The Golden Bough)』(1890~1914)という著書の影響があるのかもしれない。フレーザーは「ヤドリギ」がなぜ「金枝」と呼ばれるかについて,切り取られた「ヤドリギ」の葉が次第に金色を帯びるからとしている(Frazer,1973)。童話『若い木霊』の「金色のやどり木」には,高慢になって太陽の届かない「暗い森」すなわち「性欲」などの欲望に囚われそうになっている修行中の〈若い木霊〉を「みんなのさいはひ」を求める本来の姿に復活させようとする役割が与えられているように思える。

ただ「ヤドリギ」が枯れるなどして金色になるかどうかは疑わしいところがある。余談だが,フレーザーの『金枝篇』を読んで「ヤドリギ」を切り取って数ヶ月放置して枝や葉が金色になるかどうか確認しようとした植物研究者がいる。その研究者によると「私もいちど試してみたのだが,褐変して,あげくは,ばらばらになってしまった。気候のちがいか,付着する菌類がちがうのか,その原因はいまだに解らない」としてある(栗田,2003)。賢治が実際に「黄金色のヤドリギ」を見たかどうかは定かではない。

9.栗の木

この童話で「ヤドリギ」は「栗の木」に付いていた。この「栗の木」にも何か意味が込められているのだろうか。童話『水仙月の四月』と童話『タネリはたしかにいちにち噛んでゐたやうだった』にも「黄金(きん)いろのやどり木」が登場するが,いずれも「栗」の梢に付いている。

また,賢治は昭和5年(1930)2月9日に教え子の沢里武治に「もし三月来られるなら栗の木についたやどりぎを二三枝とってきてくれませんか。近くにあったら。」(下線は引用者)と手紙を出している。賢治は「栗の木」とわざわざ指名している。4月4日に「やどりぎありがとうございます。ほかへも頒(わ)けましたしうちでもいろいろに使ひました。あれがあったらうと思われる春の山,仙人峠へ行く早瀬川の渓谷や赤羽根の上の穏やかな高原など,いろいろ思ひうかべました。・・・こんどはけれども半人前しかない百姓でもありませんから,思い切って新しい方面へ活路を拓きたいと思ひます。期して待って下さい。・・・私も農学校の四年間がいちばんやり甲斐のある時でした。但し終わりのころわづかばかりの自分の才能に満じてじつに倨傲(きょごう)な態度になってしまったこと悔いてももう及びません。しかも,その頃はなお私には生活の頂点でもあったのです。もう一度新しい進路を開いて幾分でもみなさんのご厚意に酬いたいとばかり考えます。」と返信している。

賢治は,教え子である沢里の手紙を貰う2年半前(1928年8月)に両側肺浸潤と診断され以後自宅で療養生活を送っていた。それが1929年9月頃になると病状も回復してきて,さらに半年後には引用した手紙に書かれてあるように「思い切って新しい方面へ活路を拓きたいと思ひます」とすっかり健康を取り戻した。沢里に送ってくれるように頼んだ「ヤドリギ」は再生復活を強く意識したものと思われる。賢治はその後石灰岩を粉砕して肥料を作っている鈴木東蔵に出会い,東北の酸性土壌を安価な石灰で改良するという東蔵の話に意気投合し,昭和6(1931)年2月に東北砕石工場の嘱託技師となり石灰の宣伝・販売に従事するようにうなる(佐藤,2008)。

賢治が「栗の木についたやどりぎ」を指定したのは,「オーク」が欧州の先住民にとって神聖な木であったように,「栗」が我が国の「先住民」にとって神聖な木であったからと思われる。

「栗」は,我が国の山野で普通に見られる「クリ」(別名はシバグリ,ヤマグリ;Castanea crenata Siebold et Zucc..)のことであろう。「オーク」と同じブナ科の落葉高木である。果実はクルミ,トチ,各種ドングンリと同様に縄文時代からの狩猟採取民にとって重要な食料源であった。近年,縄文時代中期頃とされる青森県の三内丸山遺跡で極めて高率に花粉分布域が検出され,当時この周辺には栽培・管理された純林に近い「クリ林」が存在していたことが明らかにされている。さらに,縄文人は果実を食料にするだけでなく木材を住居の柱,杭,丸木舟,櫂(かい)など土木・用具材に利用してきたことも明らかになってきた。

三内丸山遺跡で,巨大な集落跡に「クリ材」を使用したと思われる地上の高さ15mと推定される6本柱の巨大な掘立柱建物跡(直径約1m)が出土した。柱穴規模や残された「クリ材」の巨大さ,集落内の移住空間と分離した位置にあることから,一般の掘立柱建物とは異なった祭祀的性格の強い構造物だったとされている(植田,2005)。縄文文化の中心が「東北」ということを考えれば,「クリ」は狩猟採集の縄文時代を通じて最もよく使われる木材の1つであり,また神聖な木であったと考えられる。

10.まとめ

(1)童話『若い木霊』は,「鴾の火」や〈大きな木霊〉や「黒い森」など難解な用語が多く,全体の意味が取りにくい謎の多い作品の1つとして知られている。難解な用語を解くカギは,「四」という数字に隠されていると思われる。なぜなら,木の霊である〈若い木霊〉は,木から抜け出して早春の4つある丘を散策していくが,最初の丘で何か胸がときめくのを感じ,柏の木の下で「来たしるし」として「枯れた草穂をつかんで四つだけ結ぶ」という不思議な動作をするからである。

(2)〈若い木霊〉には,菩薩になりたかった賢治自身が投影されていると思われる。修行僧がイメージされている〈若い木霊〉にとって胸をときめかすものは「法華経」と思われる。〈若い木霊〉が「四つだけ結ぶ」とは,28品目ある「法華経」のうち,特に方便品第二,如来寿量品第十六,安楽行品第十四,観世音菩薩普門品第二十五の4品を学ぶということを意味していると思われる。〈若い木霊〉は4つの丘の間にある平地や窪地にいる擬人化された〈蟇〉やそこで咲いている〈かたくり〉や〈桜草〉の独り言あるいは葉に現れる文字のようなものから「法華経」の「四要品」の教えを学ぶことになる。

(3)最初の丘を下ったところの窪地にいる〈蟇〉の「鴾の火だ。鴾の火だ。もう空だって碧(あお)くはないんだ。桃色のペラペラの寒天でできてゐるんだ。いい天気だ。ぽかぽかするなあ。」という独り言は,「法華経」の「方便品第二」の教えに相当すると思われる。「方便品第二」では「如来がこの世に登場したのは煩悩に縛られている衆生を救うためである」と説かれている。物語では,土の中から出られないでいた〈蟇〉(煩悩で苦しんでいる衆生)が,日が長くなった春の光(如来の登場)で救いだされたのである。〈若い木霊〉は〈蟇〉の「鴾の火」という言葉を聞いて「胸はどきどきして息はその底で火でも燃えてゐるやうに熱くはあはあ」する。この〈若い木霊〉にとっての「鴾の火」は多くの研究者によって「若い主人公の中に目覚めた官能の象徴」と解釈されてきた。しかし,筆者は,〈若い木霊〉が興奮したのは,〈蟇〉の独り言の中に「法華経」の「方便品第二」の教えを読み取ったからと考える。

(4)2つめの丘の向こうにある窪地には〈かたくり〉が咲いている。その〈かたくり〉の葉に現れるあやしい文字「そらでも,つちでも,くさのうえでもいちめんいちめん,ももいろの火がもえてゐる。」は,「観世音菩薩普門品」の教えに対応する。観世音菩薩とはサンスクリット語では「あらゆる方角に顔を向けたほとけ」という意味である。「観世音菩薩普門品」には,観音の力を念じれば菩薩はどんなところでも一瞬のうちに現れて,念じた者の苦しみを無くしてくれるということが記載されている。太陽の高さが高くなり日陰だったところに春の光が「いちめんいちめん」に射すようになると〈かたくり〉が芽を出し,そして花を咲かせるようになる。

(5)3つめの丘を下ったところの窪地には〈桜草〉が咲いている。この〈桜草〉は,「お日さんは丘の髪毛の向ふの方へ沈んで行ってまたのぼる。そして沈んでまたのぼる。空はもうすっかり鴾の火になった。さあ,鴾の火になってしまった。」と独り言を言う。この独り言は,「法華経」の「如来寿量品」にある「良医治子の誓え」に対応していると思われる。

(6)「良医治子の誓え」は,如来の教えを学ぶ衆生に対して,求道心を強く持たせようとするものである。「法華経」によれば,如来の寿命は本来無限であるのだが,無限と言ってしまっては衆生が怠けてしまうので,時には死んだと嘘をつくというものである。〈桜草〉にとって太陽からの光は「鴾の火」であり,尽きることはないと思われるが,一日中連続的に浴びていたらうまく成長できない。すなわち,植物にとって太陽は毎日一定時間沈む必要があるのである。

(7)〈若い木霊〉は,〈桜草〉の独り言を聞いて「胸がまるで裂けるばかりに高く鳴り出し・・・その息は鍛冶場のふいごのやう,そしてあんまり熱くて吐いても吐いても吐き切れなく」なってしまう。〈若い木霊〉は〈桜草〉の独り言の中に「ほんたうのこと(=真実)」を感じ取ったと思われる。賢治も書物を読んで激しく感動した経験を持っている。賢治の弟の清六は,賢治が盛岡高等農林学校へ進学するための受験勉強をしていた頃の兄について,賢治は,島地大等編纂の『漢和対照妙法蓮華経』にある「如来寿量品第十六」を読んで感動し,驚喜して身体がふるえて止まらず,この感激を後年ノートに「太陽昇る」と記していた」と述べている

(8)〈鴾〉が〈若い木霊〉を案内した4つめの丘の「南」に位置する「桜草がいちめん咲い」ていていて,その中から「桃色のかげろふのやうな火がゆらゆらゆらゆら燃えてのぼって」いる場所は,賭博場あるいは性的エネルギーの発散場所でもある遊郭などがイメージされているように思える。

(9)〈鴾〉が桜草の咲いている場所で〈若い木霊〉に分け与えようとした「鴾の火」は,〈鴾〉自身がときめく「番(つがい)」の対象となる「黒い鴾」であると思われる。別の言葉で言えば「官能の象徴」でもある。物語の〈鴾〉が「トキ」(Nipponia nippon)のことであるとすれば,この〈鴾〉の羽は通常白く裏側が桃色であるが,繁殖期になると〈鴾〉は首の周りから出る分泌物をこすりつけることで,頭から背中にかけて黒灰色になる。しかし,〈若い木霊〉は〈鴾〉が差し出した「黒い鴾」すなわち「官能の象徴」を「桃色のかげろふ」のような火の中からは認識することができなかった。

(10)〈鴾〉が分けてくれた「鴾の火(=黒い鴾=官能の象徴)」が〈若い木霊〉に見えなかったのは,「桃色のかげろふ」のような火の向こうにある「暗い木立(黒い木)」に秘密がある。多分,〈若い木霊〉は背景にある「暗い木立」が「黒い鴾」を見えにくくしているのだと思われる。

(11)「黒い木」は,〈桜草〉の「お日さんは丘の髪毛の向ふの方へ沈んで行ってまたのぼる」という独り言の中の「髪毛の向ふ」と関係していると思われる。「髪毛の向ふ」とは「お日さん」が沈むところであろう。「お日さん」を「如来の言葉」すなわち「法華経」とすれば,「髪毛の向こう」は「法華経」が隠されているところなのかもしれない。「安楽行品」の「髻中明珠の譬え」には「法華経」の譬喩である宝珠が如来の頭にある「髻」の中に隠されているとある。すなわち,「暗い木立」は〈若い木霊〉にとっては「髻中明珠の譬え」にある「髻」の髪の毛であろう。

(12)「髻中明珠の譬え」とは,転輪聖王という王が闘いで活躍した兵士に城や財宝を与えて讃えたが,自分の束ねた髪の中に隠した宝珠だけは大きな功績がある者にだけしか与えなかったという譬え話である。この話で転輪聖王は「如来」で,兵士は衆生,城や財宝は法華経以前の仏の教えで,「髻」の中の宝珠は「法華経」である。法華経は諸経の中で最も優れていて高度なものだから,少しでも遊びや快楽の要素が含まれているものに近づこうとする者には理解できないとする教えである。

(13)だから「桜草のかげらふ」の中に飛び込んだ〈若い木霊〉には,背景にある「暗い木立」で〈鴾〉が「すきな位持っておいで」と差し出した「鴾の火」すなわち繁殖期の「黒い鴾」が見えなかったのである。「黒い木」とは転輪聖王(如来)の「髻」の髪の毛であろう。すなわち,〈若い木霊〉は「宝珠」(法華経)が隠されている如来の「髻」の中に飛び込んだのである。〈若い木霊〉が飛び込んだ「桜草のかげらふ」とは〈若い木霊〉にとっては如来の「髻」であり,〈鴾〉にとっては繁殖期の雌の〈鴾〉のいる「遊郭」やトランプ遊びができる娯楽の場所である。

(14)〈若い木霊〉が帰ろうとしたときに「黒い森」の中から「赤い瑪瑙」のような眼玉をきょろきょろさせて〈大きな木霊〉が出てくる。〈若い木霊〉はこの〈大きな木霊〉を見て逃げてしまう。この〈大きな木霊〉は性愛を伴う恋愛の対象者としての〈大人の木霊〉であろう。そして,この〈大きな木霊〉から逃げたのは,「法華経」の「安楽行品」から「みんなをさいはひ」に導くためには「若い女性に近づくな」ということを学んだからである。

参考・引用文献

De Vries,A.(著),山下圭一郎他訳.1984.イメージ・シンボル事典.大修館.東京.

Frazer,J.G.(著),永橋卓介(訳).1973.金枝篇(5).岩波.東京.

栗田子朗.2003.折節の花.静岡新聞社.静岡.

佐藤竜一.2008.宮澤賢治 あるサラリーマンの生と死.集英社.東京.

植田文雄.2005.立柱祭祀の史的研究-立柱遺構と神樹信仰の淵源をさぐる-.日本考古学 12(19):95-114.