Ameba Ownd

アプリで簡単、無料ホームページ作成

オペラ・アカデミーの誕生と踊る国王ルイ14世

2024.12.05 12:38


ルイ14世(1638 - 1715)は、ブルボン朝第3代のフランス国王で、

バレエを奨励しました。

自らもバレエの名人で、メヌエットを宮廷舞踊に取り入れ、

最初に踊った人だと言われています。


ルイ14世


宮廷バレエ(バレ・ド・クール)はルイ13世の時代から14世の時代にかけて

全盛をきわめた今日の劇場バレエのルーツとなるものです。

 舞踊だけでなく朗読や声楽などが一体となり、豪華な衣裳や舞台装置なども用いた

本格的なエンターテイメントで13時間以上もの長時間続くものでした。


 太陽王に扮した14歳のルイ14世


ルイ14世は4歳で即位した王でしたが、国政の実権は、

母マリ・テレーズ・ドートリッシュと、

その愛人とも言われるジュール・マザラン枢機卿が握っていました。

 

王が14歳の時に太陽王に扮して踊った『夜のバレエ』は、

若き国王の存在をあらためて

高らかに知らしめる政治的プロパガンダでした。


王の寵愛を一身に受け、音楽の力で絶対王政をより強固なものにした

宮廷作曲家が、ジャン=バティスト・リュリ( 1632-1687)です。

ジャン=バティスト・リュリ


 バレエ楽曲を作曲するとともに自ら舞台に出演し、

音楽とバレエと劇を融合させました。

 

「バレエ」というよりは「オペラ」に近いものでしたが、

「夜」「時」「月」「眠り」「沈黙」など寓意的な役柄が登場し、

最後に金色に輝く「太陽王」ルイ14世がまばゆく登場するのでした。

(映画"Le Roi Danse" (The King Is Dancing))

(ベルサイユ宮殿 鏡の間)

 

ルイ14世が積極的に踊りに励んでいた頃、

宮廷での出し物には貴族たちも出演していました。

しかし1670年代から、王は人前で踊ることを控えるようになったため、

必然的に貴族たちも、出し物に出演するほどの踊りを極める

必要はなくなります。


  1669年、ルイ14世は、詩人のピエール・ペランに対し、

フランス語のオペラを上演するための独立したアカデミーを

設立する特権を与え、王の勅使によりペランはオペラ・アカデミーを

創立しました。

 そして、このアカデミーが複雑な経路を辿って、

パリ・オペラ座となったのです。


  【ルイ14世によるアカデミー設立の趣旨】

ダンスという芸術は体によく、また、体を使う種々の鍛錬の基礎訓練としても、

たいへん好ましいものであることは周知の事実である。

また、武芸を尊ぶ者たち、武芸は貴族として欠くべからざるものであるが、

即ち戦の時、我々に伺候する栄誉を授かる者たち、

あるいは平和な日々にもバレエを観せる者たちにとり、

ダンスを習うのは大切なことである。


 (パリ・オペラ座 ガルニエ宮)


 この頃のバレエは、まだ宮廷での余興としての踊り、

という様子から抜けきっておらず、

オペラの中に出てくる中休み的な扱いでしたが、

オペラ・アカデミーの設立によってプロフェッショナル・バレエ発展の歴史が

始まるのでした。

 

この頃のオペラ座で踊ることができたのは、

当時はまだ男性のみに限られていました。


女性バレリーナの誕生

18世紀の舞台が蘇るドロットニングホルム宮殿劇場




参考文献: マーゴ・フォンテーン著 バレエの魅力