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ゆふづつ

2024.12.05 13:46

ゆふづつの冬三日月に迫りけり 五島高資

ゆふづつや冬三日月のふり向かず 五島高資


https://sakamachi-hideyuki.github.io/meteors/chapter-of-kushi--supplement-3.html 【流星と昴の日本神話】より

櫛の章  補足 ユウツヅの意味

宵よいの明星みょうじょうの別名「ゆうつづ」は「夕ゆうの神」の意。ツツ、ツヅは星の意ではない。

「ツツ、ツヅは星の意」説

宵よいの明星みょうじょう(夕方から宵よいにかけて西の空に見える金星)を「ゆうつづ」「ゆうづつ」(旧仮名遣いでは「ゆふつづ」「ゆふづつ」)とも言い、漢字では「夕星」「長庚」などと表記される。

このことから「ゆうつづ」を「夕(ゆう)」+「星(つづ)」と解釈して、ツツ、ツヅは星の意と説明されることが多い。

一般的な古語辞典ではツツ、ツヅを星の意とはしていないが、坂本太郎・家永三郎・井上光貞・大野晋おおのすすむ校注『日本古典文学大系67 日本書紀 上』(岩波書店、一九六七年)は磐筒男命の注釈で「ツツは星」としている。大野晋おおのすすむ・佐竹昭広・前田金五郎編『岩波古語辞典』(岩波書店、一九七四年)は「つづ」の項で「星の古名」としている。

また、神名にツツが付く住吉三神(底筒男ソコツツノオ命・中筒男ナカツツノオ命・表筒男ウワツツノオ命)をオリオン座の三つ星(からすき星、参しんとも言う)と解釈する説もある。国文学者の倉野憲司は、倉野憲司・武田祐吉校注『日本古典文学大系1 古事記 祝詞』(岩波書店、一九五八年)の注釈で「筒は星(つつ)で底中上の三筒之男は、オリオン座の中央にあるカラスキ星(参)」としている。

序文で述べたように磐筒男イワツツノオ神、磐筒女イワツツノメ神が、名前に星が付く神社で祀まつられている星の神であることからも「ツツ、ツヅは星の意」説は一見正しいようにも見える。

「ツツ、ツヅは星の意」ではない

しかし次に挙げるように神名中の「ツツ」は別名では「ツチ」となっている例が多い。

・底筒男ソコツツノオ命(ソコツツノオ)の別名が、底土ソコツチ命(ソコツチ)

・中筒男ナカツツノオ命(ナカツツノオ)の別名が、赤土アカツチ命(アカツチ)

・表筒男ウワツツノオ命(ウワツツノオ)の別名が、磐土イワツチ命(イワツチ)

・塩筒老翁シオツツノオヂ(シオツツノオヂ)の別名が、塩土老翁シオツチノオヂ(シオツチノオヂ)、塩椎シオツチ神(シオツチ)

つまり江戸時代の国学者・本居宣長もとおりのりながが『古事記伝』(一七九八年)で述べているように「ツツ」は「ツチ」と同義と考えられる。

「チ」は神名末尾のパターンであり(句句廼馳ククノチ、櫛真智クシマチ命、止与波知トヨハチ命など)、古語で「〜の」を意味する助詞の「ツ」が前につくと「ツチ」となる(軻遇突智カグツチ、武甕槌タケミカヅチ神など)。

そして【櫛の章/櫛真智命】で前述した「オオマドノチ→オオマドノツ」のように、神名末尾のパターン「チ」がウ段に変化して「ツ」となることがある。

つまり「ツツ」は星の意ではなく、助詞の「ツ」+神名末尾のパターン「チ」がウ段に変化した「ツ」と考えられる。

これにより各神名は次のように解釈できる。

・海の底で生まれたとされる底筒男ソコツツノオ命は「底の男神」

・潮しおの中で生まれたとされる中筒男ナカツツノオ命は「中の男神」

・潮しおの上で生まれたとされる表筒男ウワツツノオ命は「上の男神」

・火折ホオリ尊が海神わたつみの宮へ行くのを助けたとされる塩筒老翁シオツツノオヂは「潮しおの男神」

・宵よいの明星みょうじょうを意味する「ゆうつづ」は「夕ゆうの神」

昼の女神、月夜つくよの神、夕ゆうの神

【速の章/補足 大日孁貴、月読尊、蛭児の意味】で前述した「オオヒルメノムチ=大いなる昼の女神」や「ツクヨミ=月夜つくよの神」と同様に、「ユウツヅ=夕ゆうの神」は天体を時間帯に言い換えた神名と考えられる(日→昼、月→月夜つくよ、宵よいの明星みょうじょう→夕ゆう)。

『万葉集』には「月」を「ツクヨミ」という神名で言い表している歌が数多くある(六七〇、六七一、九八五、一〇七五、一三七二、三二四五、三五九九、三六二二番歌)。これと同様に「宵よいの明星みょうじょう」を「ユウツヅ」という神名で言い表していたものと考えられる。

まとめ

・宵よいの明星みょうじょうを「ゆうつづ」とも言うことから、ツツ、ツヅは星の意とする説があるが、神名中の「ツツ」は別名では「ツチ」となっている例が多く、これと同義。

・つまり「ツツ」は助詞の「ツ」+神名末尾のパターン「チ」がウ段に変化した「ツ」。

・「ゆうつづ」は「夕ゆうの神」の意。これは「オオヒルメノムチ=大いなる昼の女神」や「ツクヨミ=月夜つくよの神」と同様の言い換え(日→昼、月→月夜つくよ、宵よいの明星みょうじょう→夕ゆう)。


https://smcb.jp/worrying_questions/44437 【「ゆうづつ」とは】より

お尋ねします。「夕星」と書いて「ゆうづつ」と読むと聞きましたが、本当でしょうか?

また、どうしてなのかお教え下さい。よろしくお願いいたします。

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

ゆうづつ=ゆふづつ=長庚・夕星=宵の明星=金星

 万葉集196,2010に柿本人麻呂作の歌の中に詠われております。人麻呂の出生、没年は定かではありませんが600年から700年頃とされていますので平安時代よりさらにさかのぼり飛鳥時代にはすでに使われていたようです。それ以前はどうかはわかりません。

題詞 明日香皇女木P殯宮之時柿本<朝臣>人麻呂作歌一首[并短歌]

原文

飛鳥 明日香乃河之 上瀬 石橋渡 [一云 石浪] 下瀬 打橋渡 石橋 [一云 石浪] 生靡留 玉藻毛叙 絶者生流 打橋 生乎為礼流 川藻毛叙 干者波由流 何然毛 吾<王><能> 立者 玉藻之<母>許呂 臥者 川藻之如久 靡相之 宣君之 朝宮乎 忘賜哉 夕宮乎 背賜哉 宇都曽臣跡 念之時 春都者 花折挿頭 秋立者 黄葉挿頭 敷妙之 袖携 鏡成 雖見不Q 三五月之 益目頬染 所念之 君与時々 幸而 遊賜之 御食向 木P之宮乎 常宮跡 定賜 味澤相 目辞毛絶奴 然有鴨 [一云 所己乎之毛] 綾尓憐 宿兄鳥之 片戀嬬 [一云 為乍] 朝鳥 [一云 朝霧] 徃来為君之 夏草乃 念之萎而= 夕星=之 彼徃此去 大船 猶預不定見者 遣<悶>流 情毛不在 其故 為便知之也 音耳母 名耳毛不絶 天地之 弥遠長久 思将徃 御名尓懸世流 明日香河 及万代 早布屋師 吾王乃 形見何此焉

訓読

飛ぶ鳥の 明日香の川の 上つ瀬に 石橋渡し [一云 石なみ] 下つ瀬に 打橋渡す 石橋に [一云 石なみに] 生ひ靡ける 玉藻もぞ 絶ゆれば生ふる 打橋に 生ひををれる 川藻もぞ 枯るれば生ゆる なにしかも 我が大君の 立たせば 玉藻のもころ 臥やせば 川藻のごとく 靡かひし 宜しき君が 朝宮を 忘れたまふや 夕宮を 背きたまふや うつそみと 思ひし時に 春へは 花折りかざし 秋立てば 黄葉かざし 敷栲の 袖たづさはり 鏡なす 見れども飽かず 望月の いやめづらしみ 思ほしし 君と時々 出でまして 遊びたまひし 御食向ふ 城上の宮を 常宮と 定めたまひて あぢさはふ 目言も絶えぬ しかれかも [一云 そこをしも] あやに悲しみ ぬえ鳥の 片恋づま [一云 しつつ] 朝鳥の [一云 朝霧の] 通はす君が 夏草の 思ひ萎えて=夕星=の か行きかく行き 大船の たゆたふ見れば 慰もる 心もあらず そこ故に 為むすべ知れや

音のみも 名のみも絶えず 天地の いや遠長く 偲ひ行かむ 御名に懸かせる 明日香川 万代までに はしきやし 我が大君の 形見かここを

仮名

とぶとり あすかのかはの かみつせに いしはしわたし [いしなみ] しもつせに うちはしわたす いしはしに [いしなみに] おひなびける たまももぞ たゆればおふる うちはしに おひををれる かはももぞ かるればはゆる なにしかも わがおほきみの たたせば たまものもころ こやせば かはものごとく なびかひし よろしききみが あさみやを わすれたまふや ゆふみやを そむきたまふや うつそみと おもひしときに はるへは はなをりかざし あきたてば もみちばかざし しきたへの そでたづさはり かがみなす みれどもあかず もちづきの いやめづらしみ おもほしし きみとときとき いでまして あそびたまひし みけむかふ きのへのみやを とこみやと さだめたまひて あぢさはふ めこともたえぬ しかれかも [そこをしも] あやにかなしみ ぬえどりの かたこひづま [しつつ] あさとりの [あさぎりの] かよはすきみが なつくさの おもひしなえて= ゆふつづ=の かゆきかくゆき おほぶねの たゆたふみれば なぐさもる こころもあらず そこゆゑに せむすべしれや おとのみも なのみもたえず あめつちの いやとほながく しのひゆかむ みなにかかせる あすかがは よろづよまでに はしきやし わがおほきみの かたみかここを

相談者

詳しく御回答を頂き、有難うございます。

「柿本人麻呂」の時代までさかのぼるとは、古い言葉なのですね。これからもよろしくお願いいたします。

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

時代が下って、平安時代には宵の明星を「夕星(ゆうづつ/ゆうつづ)」と呼んでいた。 清少納言の随筆「枕草子」第254段「星はすばる。ひこぼし。ゆふづつ。よばひ星、 すこしをかし。」にあるように、夜を彩る美しい星の一つとしての名が残されている。 ...

相談者

早速のご回答、有難うございました。平安時代とは、また遥か昔からの言葉なのですね。

これからもよろしくお願いいたします。


https://blog.goo.ne.jp/nukunukuonthedull/e/e525528e3035012d12288d603154e233 【ゆふつづ】より

 昨夜は国書文芸カレッジの講座。 提出された作品に出てきた「夕星」という言葉を正しく読めなくて、ちょっと恥ずかしい思いをしました。「ゆうずつ」と読まなくてはなりません。宵の明星のこと。夕方、西の空にかかった金星ですね。

 万葉集には「ゆふつつ」、枕草子には「ゆふづつ」と書かれているようです。

 夕星(ゆふつつ)も通ふ天道(あまぢ)を何時までか仰ぎて待たむ月人壮子(つきひとおとこ)(万葉集巻第十「秋の雑歌――七夕九十八首」)

 星はすばる。牽牛(ひこぼし)。ゆふづつ。よばひ星、すこしをかし。尾だになからましかば、まいて。 (枕草子二三八段)

 しかし、なぜ「星」を「つつ」とか「つづ」とか「づつ」とか読むのでしょう? 明けの明星を「あさずつ」といったり「あけつつ」といったりすることはありません。「あかぼし(明星)」という言葉があるぐらい。

 気になったので小学館の『日本国語大辞典』を引いてみました。「ゆうつづ」の項に詳しい説明が出ています。

 意味は「宵の明星」。 語源は―― 夕日に続いて出るところから、夕続の義。

ユウタユタフホシ(夕猶予星)の略。ユフはユフベの義。ツツはテルテルの反。

ユフツク(夕着)の義。などとなっていて、どれも納得のゆくものではありません。

 どうせわからないのなら、自分で勝手に考えてみるのも一興。以下は勝手な講釈です。

 「つつ」または「つづ」は、天上にいる神のこと。根拠はありませんが、「つつ穴」は船霊(ふなだま)を祀る穴のことであり、「つつ」は船霊を指すことがある。「つつ」に霊的な意味合いがないとは限りません。

 「ゆふつつ」は、それゆえ「夕べの神」すなわち「宵の明星」のこと。

 ここで思い出すのは伊勢物語で有名な「つついづつ(筒井筒)」という言葉。在原業平の歌と故事によって幼少からの馴れ初めがある男女の仲を意味しますが、もしかしたらこの「つつ」も「空の神」=「星」なのではないでしょうか。空にある星(つつ)と、井戸もしくは泉の水に映ったその星の光(いづつ)のように切っても切れない仲――というような意味で古代人が使っていたのでは……。

 空想をたくましくしてみました。

 それはともかく「ゆふつつ」または「ゆうづつ」は古文の授業で習ったはず。すっかり忘れていたのは、情けないかぎりでした。