乱調 TMP口上
乱調 TMP口上
さあ~さあ~お立ち合い!
御用とお忙ぎでなかったら、ゆっくりと聞いといておくれなさい。
遠目山越え笠の内。聞かざる時は、物の黒白がトーンと分からない。
童子一人来たって両手を打ち鳴らしても、
右手が鳴るのか左手が鳴るのか、トント分からぬのが道理だよ。
さて、ここに取りい出したるは四六のミュラー、
ドイツ渡りのハイナー・ミュラーという妖術遣い。
四六というは九五年に亡くなって、
はや四六二十四の年を閲したということだよ、お立ち会い。
その名も高く丈高き、ベルリンの壁が崩壊し、
あれよと言う間に東独という国が一つ消えたのも、五六三十年も前。
親は子を売り、子は親を売り、
妻は夫を慕いつつ、夫は妻を密告し、
監視の網のぐるぐると、国中巡らすその中の、
舞台の下で妖気吐き、幻生んだがこのミュラー。
吐くもの吐くもの発禁と、上演禁止が続く中、
月は東に日は西の、「テアター・ホイテ」誌に三ページ、
ふと現れた『ハムレット・マシーンHM』で、西はびっくり東はどっきり、
すっきりしゃっきりとは到底読めないこのテクスト。
料理せんとて名乗りを上げる、舞台人はあまたあれども、あったれど、
抜けば玉散る氷の刃、振り上げられる包丁の、
打ち込む気合にカンコンと、響く手応えはものすごく、
煮たり焼いたり踏んだり蹴ったり、びくともせぬというぞな、お立ち会い。
ここにもう一人とり出したる幻術遣いが、タワダのヨーコ、
東はハイナー西ヨーコ、これは早計、東も東、失礼ながら日の出ずる
国と称する日の本の、都の西北とびだして
シベリア鉄道大横断、女一匹大英断、
東に芥川賞あれば、犬をお供に鬼退治、
西にクライスト賞あれば、行ってその盾を背負い、
江戸の両国に行っては、「晩秋のカバレット」を催す、
東方の才女と名を馳せておるぞな、お立ち会い。
ロシア文学修めておいて、シベリア鉄道通過して、
行き着いた先はエルベ河のほとりハンブルク、
ここでな~んとドイツ文学に取り付いて、修士論文書き上げて、
選んだ相手がハイナー・ミュラー。
この出会いこそは、ミュラーに幸甚、ヨーコに肝心、
その後のヨーコが芽を吹いて、葉を出し花咲き咲き誇る、
その根っここそここにあり、というのが拙者の見立てであるのだよ、お立ち会い。
そういうお前は何者かと、おたずねあるのが聞こえてくる。
ハイナー・ミュラーにブレヒトと、ドイツの芝居にどっぷりと、
全身浸かったこのワタシが、まずはTMPの元締め。
タワダのタはタニガワのタ、ミュラーのミはミチコのミ、
こうなったのも運命と、このお二人の仲立ちを、
音頭取るのもお恐れながら、務めまするが谷川道子率いる一座。
ここで見立てに使うキーワードは、「リ・レクチュール=再読行為?」と、
「ホモ・テアトラーリス=演劇的人間?」…何じゃそのカタカナはと、
謎かけか・危ういぞと思っていただければ、ここではまずはそれで充分。謎かけじゃ。
八九年、九〇年、ドイツと『H/M』が世界の耳と目を、
惹き続けたのも一昔、あるいは三つ昔まえ、
それでも今の世の中の、この世の地図を見渡せば、
何もかにもがこのときの、大騒動に根を持って、
そしてなんにも片付かず、ポストモダンも終わったら、
ポストトゥルースがやってきて、ああこれ見たよと思い出すのは東ドイツか亡霊か。
ハイナー・ミュラーが四六年、経っても現代演劇に当てるムチは血のしぶき、
その音しっかり聞きつけて、東に西に奔走し、
コトバのマコトが見えないと、近年お嘆きの諸兄諸姉には
マコトよりカタコトに耳を傾けよと我らがヨーコ、
ヨコスカ、ヨコハマ知らねども、
ベルリンからもリンリンと、ベルを鳴らして告げ給えば、
アメリカさえも耳を貸し、日欧米で実を結ぶ。
このタワダ・ヨーコを導きに、雨は降って地固まり、
壁は破れて国一つとなる、そのひとときのドラマを、
悲劇『ハムレット』から『ハムレットマシーン論』経由のカバレット『ハイナー・ミュラー』まで、
五六六五の三十年、経ったところで、もう一度、生き直してみないかとのお誘い、
さあお立ち会い。お付き合いのほどを!!
(幕)
原作:尾方一郎
TMP合作