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ドイツ表現主義舞踊_1

2024.12.08 12:39

アメリカでイサドラ・ダンカンが裸足で踊り出した頃

ドイツには、また別の流れがありました。


「表現主義」という

第一次世界大戦前に始まり1920年代に最盛となった

建築、舞踊、絵画、彫刻、映画、音楽など

各分野にわたり「黄金の20年代」と呼ばれた

ベルリンを中心に花開いた前衛芸術の運動です。

 客観的表現を排して内面の主観的な表現に

主眼をおくことを特徴とし、表現主義舞踊は

ノイエ・タンツとも呼ばれました。

マリー・ヴィグマン


マリー・ヴィグマン(1886年 - 1973年)は

ドイツ表現主義舞踊の代表的なダンサーで振付家です。


子供のころバレエを習っていましたが、

教師はヴィグマンが骨っぽい体つきと

男性っぽい容姿を観てバレエをやめたほうが

いいと言ったそうです。


それでも踊りたかったヴィグマンは

エミール・ジャック=ダルクローズに

師事します。

 ジャック=ダルクローズはスイス出身の

作曲家・音楽教育家で、

運動を通じて音楽を学ぶ、

音楽学習の一つ「リトミック」を発展させました。


 ヴィグマンは更に、モダン・ダンスの革新者

ルドルフ・フォン・ラバン(1879年 – 1958年)にも

師事しています。

 

ラバンが情緒と表現の理論を作り上げようと

必死になっている一方で、

ヴィグマンは即興的に感情の表出をしよう

とするので「あなたはグロテスクな怪物で、

私の理論を破壊しようとしている」

そう、ラバンにののしられたといいます。


 ルドルフ・フォン・ラバンは後に

ラバノーテーションというダンスの動きを

記録するための記譜法を考案し、

バレエと心理学、哲学、神秘論を結び付け、

モダン・バレエの舞踊理念を打ち立てました。

(ルドルフ・フォン・ラバン

(ラバンと生徒達 1929年)




 ヴィグマンは1931年 ニューヨークに

「マリー・ヴィグマン舞踊学校」を設立し

ルドルフ・フォン・ラバン(主にダンスの

記譜法)とエミール・ジャック=ダルクロー

ズ(主にリズム感)の理論を融合し、

ダンス界に革新の風を起こしました。


1942年 には第二次世界大戦の影響で

「マリー・ヴィグマン舞踊学校」を閉鎖しますが

1950年 西ベルリンのスタジオを中心に教育活動を続けました。


1959年 ベルリンのダンススタジオでヴィグマンと学生たち

 ダンスの記譜法によって、「ダンスを

システム化し、他人にもそれを教える事が

できる」、「誰にでも踊る事が出来ること

を証明」し、クラシック・バレエに対する

抵抗(レジスタンス)として、モダンダン

スの裾野を広げました。


 1936年 ベルリン・オリンピックでは、

オリンピック競技場でで舞踊劇

「死者の嘆き」を公演しています。


参考資料:「バレエの魅力」 マーゴ・フォンテーン著

     「ダンスハンドブック」 新書館


モダンダンスの母 イサドラ・ダンカン

20世紀に花開いた新しいダンスの潮流