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神社に隠された聖書

2024.12.11 06:59

facebookZoo Takuさん投稿記事

「日本人の多くはクリスチャンでもないのに、何故かクリスマスを祝ってる」というような言われ方をよく耳にするのだが、ところがどうやらクリスマスという行事は「キリスト教」とは無関係のようである。

いや、厳密に突き詰めてゆけば遠い過去のある時点で、キリスト教徒が異教徒の祭りを認める(あるいは受け入れる)形で「クリスマス」という祭典が誕生したと、この動画ではそう解説されている。言われてみれば聖書には「トナカイ」も「サンタクロース」も「クリスマス・ツリー」も、まったく記述されていない。

そしてクリスマスに飾られる数々のアイテム(シンボル)は、キリスト教における神を讃えるものではなく、むしろ「悪魔=サタン」を讃えるものらしい。

「悪魔行事」と言えばハロウィンが有名だが、これも日本では近年、物凄い勢いで「恒例行事」になりつつある。この国ではクリスマスもハロウィンも、どうせ無意味に騒ぐだけの祭りなのだから神も悪魔も関係ないのだろうが、これを裏側で支配している悪魔崇拝者たちはそうは考えていないようだ。愚か者が意味も解らずに悪魔を讃える行事に熱中するたびに、悪魔はそのエネルギーを吸収してまずまず凶悪になってゆく。

え?「悪魔」なんて実在しないって?だったら「神」も実在しないよね。(笑)

悪魔も神も、人の心に実在するんだよ。


https://ameblo.jp/hex-6/entry-11972613769.html?fbclid=IwY2xjawHGEvlleHRuA2FlbQIxMQABHUyNoNmwWaQmJT-b81h5MLtbz76C_NVM7xEPBBbxUPlnM2-OUS_uqm0yyg_aem_kbpzktwPFPrYJLUfh2I4ew 【神社に隠された聖書】より

■ 神社に隠された聖書

京都の伏見稲荷大社

日本最多、4万社以上もある稲荷神社の総本宮であり、京都にあります関西では、初詣参拝客の最も多い神社で、2014年は 277万人でした伏見稲荷大社は、秦氏の氏神の一つです

その特徴は、千本鳥居であり、鮮やかな朱の鳥居が立ち並ぶ異次元風の空間です

外国人観光客にも非常に人気のあるスポットです朱の鳥居に大変な拘りとアピールする意図があることは明白です全国の稲荷神社を見ても、朱の鳥居ですし、多数の朱の鳥居が立ち並ぶものが多いです私は、神社の朱の鳥居や朱の楼門などに大変興味を持ってます

2011-06-05のブログ 「神道と聖書、稲荷神社とキリスト」 の中で、以下の点に触れました

1) 稲荷神社は、INRI が転化して、INARIとなったものであるとするケン・ジョセフ父子説(千葉大学准教授、景教研究者)がある

INRI は、ラテン語の「IESUS NAZARENUS REX IUDAEORUM」の頭字語であり、日本語では「ユダヤ人の王、ナザレのイエス」と訳される。

 (JNRIとする場合はJesus Nazarenus、Rex Iudaeorm)

これは「キリストの磔刑」において十字架の上に掲げられた,札や銘文である。つまり、稲荷神社は、キリストを祀るものである

2)朱の鳥居や正月行事は、聖書が元である

  旧約聖書の出エジプト記で、神の禍を避けるため、モーセはヘブライ人に、家の入り口の2本の柱と鴨居に子羊の血を塗るよう神の言葉を伝えた為である。

 キリスト教では、子羊の血はキリストの犠牲の血(=生贄)を表す「予型」である その為、このことが大変重視される

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1)に関連して掘り下げると....

稲荷神社は2系統あります

①稲荷大神を祀り、伏見稲荷大社を総本宮とする稲荷神社

 伏見稲荷大社は秦氏の氏神の一つです

 秦氏は、幾つもの神社仏閣を建てており、後世に大きな影響を与えてます

 秦氏は景教=ネストリウス派キリスト教を信奉していたとされており、ケンジョセフ准教授は、聖徳太子の右腕だった秦河勝が、キリスト教導入の中心人物としてます。

 唐の景教の総本山は太秦寺ですが、聖徳太子が葬られた「法隆寺」も元は「太秦寺」であったとされます。 また、秦氏の根拠地は京都の太秦(うずまさ)です

 天皇の第2皇子だった聖徳太子が、仏教に帰依したことで、日本では仏教が正当化されたのですね。

 昔は、聖徳太子が厩(馬屋)で生まれた厩戸皇子(うまやどのおうじ)と呼ばれた理由を、釈迦が馬屋で生まれたことになぞられたものとしてました。

 現在の歴史の教科書では、キリスト教の影響で、イエスが馬小屋で誕生した逸話に基づいたものとしてます。

 また、聖徳太子の呼称が消えて、厩戸皇子が一般的になっているそうです

 日本を代表する哲学者である.梅原 猛教授が、1972年:『隠された十字架 法隆寺論』でキリスト教の痕跡を指摘しており、第26回毎日出版文化賞を受賞しています

 梅原 猛教授は、.ものつくり大学総長(初代)、京都市立芸術大学名誉教授、国際日本文化研究センター名誉教授(学長)を歴任し、現在、東日本大震災復興構想会議特別顧問(名誉議長)を務めています

秦氏の根拠地である太秦には、不可解な三柱鳥居があり、蚕の社(かいこのやしろ:木嶋神社)と呼ばれてます。キリスト教の三位一体を表すと言われています

今は枯れていますが、「元糺の池」(もとただすのいけ)の上にあります

これが、京都山城国の一宮、下鴨神社の糺ノ森の起源とされます 京都最強のパワー・スポットとして有名です

②荼枳尼天(だきにてん)を祀る、真言宗・曹洞宗などが広めた神社と寺院

 ヒンズーの人喰い夜叉、ダキーニが、仏によって教化されたものとし、死者の心臓だけを食べることが許されたとする山岳仏教(密教)の神です

 戎(恵比寿:えびす)の化身である白狐にまたがります。 (インドではジャッカルにまたがる) 詳細後述 ⇒ 注釈1

空海が興した、真言宗が寺院の側に次々に建てたといいます

現存する寺院としては、豊川稲荷(妙厳寺)、最上稲荷(妙教寺)があります。

15世紀に、伏見稲荷本願所(愛染寺)が、荼枳尼天を祀り、稲荷信仰と習合してます

明治の神仏分離の際に、多くは神社に替わり、宇迦之御魂神(ウカノミタマノカミ)を祭神とする稲荷神社になってます。

空海は、遣唐使として唐に渡り、景教の総本山:太秦寺に学び、景教の経典=漢字の聖書を持ち帰っています

西本願寺に現在も保管されており、親鸞が通読したとされてます

実際、漢字で書かれると仏教の経典にしか見えないのですが....景教=ネストリウス派キリスト教は、唐代に大流行し、大秦景教流行中国碑が建てられてます 景教は、唐では、「真宗」と呼ばれていました

空海が開いたのは、「真言宗」です 真言宗には十字を切る仕草があることが知られています。親鸞が開いたのは「浄土真宗」ですが、キリスト教的と言われます

景教研究者の英国のゴードン夫人が、真言宗の総本山:高野山に許可を得て、大秦景教流行中国碑のレプリカを建立してます。

意味するところは、真言宗は景教の影響が濃い、関連が深いという意味でしょう。

景教碑を建てたくなるほど、濃い関係と言いたいのでしょうね

しかも高野山側が認めている事実が、非常に大きいです

ケンジョセフ准教授は、真言宗が建てた稲荷はイエス・キリストを祀ったものであるとしています。

そうすると、真言宗の寺院自体はヤハウェの可能性も出てくるのですけどねぇ....

2)に関連して堀り下げると.....まず問題の聖書記述

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■旧約聖書

■出エジプト記 12章21~23(口語訳)

そこでモーセはイスラエルの長老をみな呼び寄せて言った、

「あなたがたは急いで家族ごとに一つの小羊を取り、その過越の獣をほふらなければならない。また一束のヒソプを取って鉢の血に浸し、鉢の血を、かもいと入口の二つの柱につけなければならない。

主が行き巡ってエジプトびとを撃たれるとき、かもいと入口の二つの柱にある血を見て、主はその入口を過ぎ越し、滅ぼす者が、あなたがたの家にはいって、撃つのを許されないであろう。」

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       旧約聖書の再現

鳥居によく似ていますし、鳥居が赤ではなく、血の色である朱である理由もよく判ります

入り口の2本の柱と鴨居に塗られた子羊の血はキリストの犠牲の血の予型ですから特に、稲荷神社の鳥居は朱の鳥居です この血は、禍を避けて過ぎ超すための印=ヘブライ(ユダヤ)の家の印です 神社の楼門や拝殿などが朱であるのも同じ理由でしょう

        下鴨神社の楼門

実はよく似たものが中国にもありました

それは、正月の飾り付けである春聯(しゅんれん)と牌坊(はいぼう).です

春聯とは、赤い紙に縁起の良い言葉を書き、家の入口などに貼る、春節(正月)の風習です。

          春聯

 春聯の事例  中国の春聯の紅は、魔除け=招福です。

中国では古くから、紅は縁起が良いとされ、多用されます 聖書の記述に瓜二つです

しかも、聖書ではこの過ぎ越しの日を、その年の正月とせよと明記してます

春聯的由來

https://www.youtube.com/watch?v=Zdd14FXGEiQ

華字メディアも春聯の由来は、旧約聖書:出エジプト記だとして伝えています

紅は中国のナショナルカラーと言っていいほど定着してます

共産党の赤ではなく、古来から紅が魔除け=招福の色であるため、中国共産党は尚更、紅を強調するのでしょう

恐らく中国人観光客は、日本の神社の鳥居や楼門・拝殿(・本殿)が、紅いのを見てなんとなく意味を理解するはずです

神社などを見て、唐の文化が残っていると感激する理由の一つでしょう

また、最近では漢字の多くが聖書に由来する事も判っています

例えば、船という文字は、舟+八+口であり、口は人と同じ....つまり八+口で八人という意味です 実はノアの方舟は、ノアとその妻、ノアの3人の息子とそれぞれの妻、合計8人を乗せた船なのですね 船という漢字は、ノアの箱舟に由来し、聖書が起源です

また、禁という文字もあります 木+木+示です

ヤハウェは、楽園にやってきたアダムとイブに、2つの木の枝を見せて、一方は食べて良い木、もう一方は禁断の木の実のなる木だと示して、教えているのです つまり、禁断の木の実を禁じた訳です 禁という漢字もまた、聖書が起源です

このように聖書にまつわる漢字は多数あり、最近では聖書は漢字で書かれていたと主張する欧米の学者も現れてます

実は、聖書(キリスト教)と中国の文化は、密接な関係にあるわけです

そして春聯に次いで注目するのは、中華文明のシンボル「牌坊」です

「牌楼」とも言い、屋根などがある場合は、「牌楼」の呼称を使います こちらも魔除け=招福の色として紅も多く使われています

「牌坊」「牌楼」は、起源が石器時代に遡り、2本の柱に梁を渡したものであったと言い、時代とともにどんどん変化します。

漢代には城郭都市の区画を区切る門だったが、宋代には独立した建築物になってます

歴史も古く、国土も広いことから、その形状は多様です

「牌坊」「牌楼」は、鳥居よりも遥かに多くのバリエーションがあります

        典型的な牌坊  大神神社三柱鳥居

 三峰神社               白峯宮(崇徳天皇陵)

日本の鳥居を見ても、屋根のあるものや良く似た4本柱形状のものもあることから、中国の牌坊・牌楼の影響も少なからず受けたのものと思います

「牌坊」の方が神社より古いのは間違いなく、酷似した形状のものも見られることから、神社に大きな影響をもたらしているのは、確実であろうと思います

鳥居が全く独自に発生した文化だとは思えません 更に、聖書を見てみます

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■旧約聖書 ■出エジプト記12章  12:1~2

主はエジプトの国で、モーセとアロンに告げて言われた、

この月をあなたがたの初めの月とし、これを年の正月としなさい。

12:13~

その血はあなたがたのおる家々で、あなたがたのために、しるしとなり、わたしはその血を見て、あなたがたの所を過ぎ越すであろう。

わたしがエジプトの国を撃つ時、災が臨んで、あなたがたを滅ぼすことはないであろう。

この日はあなたがたに記念となり、あなたがたは主の祭としてこれを守り、代々、永久の定めとしてこれを守らなければならない。

七日の間あなたがたは種入れぬパンを食べなければならない。その初めの日に家からパン種を取り除かなければならない。第一日から第七日までに、種を入れたパンを食べる人はみなイスラエルから断たれるであろう。

かつ、あなたがたは第一日に聖会を、また第七日に聖会を開かなければならない。これらの日には、なんの仕事もしてはならない。ただ、おのおのの食べものだけは作ることができる。

あなたがたは、種入れぬパンの祭を守らなければならない。

ちょうど、この日、わたしがあなたがたの軍勢をエジプトの国から導き出したからである。

それゆえ、あなたがたは代々、永久の定めとして、その日を守らなければならない。

正月に、その月の十四日の夕方に、あなたがたは種入れぬパンを食べ、その月の二十一日の夕方まで続けなければならない。

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この過ぎ越しの祭りに出される、種を入れないパンを、マッツオといいます。

正月の餅(もち)の元になったという説があり、日本では小麦粉でパンを焼く風習がないので、もち米を使った餅に転化したというものです

周辺アジア諸国の餅はあくまで料理食材としての餅です。

日本のように餅を正月に供える風習はなく、聖書の過ぎ越しの祭りのマッツオとの宗教祭事的類似性が注目されてます

また、エジプトを出る時、苦ヨモギを食する記述もあり、七草粥の原型ではないかとも言われてます

「第一日に聖会を、また第七日に聖会を」 ⇒  初詣の原型か?

「その月の十四日の夕方に、あなたがたは種入れぬパンを食べ、その月の二十一日の夕方まで続けなければならない。」 ⇒  鏡開きか?

正月は、狭い意味で元旦から松の内(1月7日)までの7日間です

実際、江戸時代に、松の内=正月飾りをする期限を7日間とする御触れが出されてます

一方で、松の内は、1月15日という考え方も浸透していて、15日に正月飾りを解くことから、鏡開きの日とされます

地方によっては1月21日とされることもあるため、松の内は曖昧な言葉と言われるわけです

しかし、松の内の解釈である、7日、14日(15日)、21日は、何れも聖書に書かれた節目の日であって、種入れぬパン=マッツォが関わります

マッツォが餅だと解釈すれば、奇妙な符合です

注釈1) 荼吉尼天(だきにてん)

荼吉尼天とは、ヒンズーの人喰い夜叉ダキーニのことで、仏によって教化され、死者の心臓だけ食べることを許可されたとします。

その為、死期が近い人を嗅ぎ分けてやってくると言われてます

荼吉尼天は白狐=戎(えびす)に股がる半裸の鬼神として描かれます

戎は、イザナギ・イザナミの最初の子で足腰が立たないため葦の船に載せられて流されてます。

西宮に流れ着いて、成長したと言われ、七福神の一柱です

関西では十日戎という戎神社の盛大なお祭りが有名です

「商売繁盛笹持って来い」で知られてます

荼吉尼天は、密教(山岳仏教)の神です

荼枳尼天を祀る場合は、仏寺であることも多く、例えば豊川稲荷は、正式名称:円福山 豊川閣 妙厳寺といい、荼吉尼天の稲荷になります

また稲荷神社は、勧請が容易な申請方式であったため各地に建てられたといわれています

荼枳尼天は、平清盛や徳川家康が信奉したことで知られ、家康は天下を取った御礼として、江戸周辺に荼枳尼天を祀る稲荷社を多数建てたとされています。

明治の神仏分離令・廃仏毀釈運動によって、多くは神社に替わり、宇迦之御魂神(ウカノミタマノカミ)を祭神とする稲荷神社になってます。

伏見稲荷の愛染寺は、廃寺となりましたが、各地の愛染寺は残ってます