古中信也さん 日本で唯一の車いすライフセーバー「助けられるばかりが障がい者ではない」
日本で唯一、車いすのライフセーバーとして活躍する古中信也さん。ライフセーバーの資格を取得後、川での事故により、車いす生活を送ることになりました。大怪我を乗り越えながら、一度も後ろ向きになることなく、“助ける立場”と“助けられる立場”を理解する唯一無二のライフセーバーとしてボランティア活動を続けています。「障がいがあっても人を助けることができる」という古中さんの信念について伺いました。
〈ライフセーバーは得意の水泳を活かしたボランティア活動〉
――ライフセーバーになられたきっかけは?
小・中・高と水泳をしていました。高校の時は水球をしていて、延長線上で何かできることはないかなと思っていた時に、兄から誘われ、人の役に立ちたいという思いもあり、神戸ライフセービングクラブという地域のクラブに所属することになりました。
――実際にライフセーバーとして、どのような活動をされていますか?
今は走って行って人を助けることはできないので、海の詰め所で現場の指揮や若手の育成に携わっています。7~8月の海のシーズン以外にも、5月の下旬から資格の講習会をしたり、クラブの学生部で顧問的な立場として、月に1回勉強会を開催したりしています。
<詰所から安全を見守る古中さん>
――仕事としてライフセーバーの活動をされているのでしょうか?
日本でライフセーバーとしてプロで活動しているのは数人で、基本的には日本のライフセーバーはボランティアです。普段はデスクワークの仕事をしていて、土日にボランティアとして活動をしています。
〈助けられる側の立場を理解できるライフセーバーとして再出発〉
――日本で唯一の車いすライフセーバーとしてどのような活動を目指されていますか?
最初から車いすだとライフセーバーの資格は取れません。
私の場合は、もともとライフセーバーの資格を持っていて、その後に車いす生活になったので、日本で唯一の車いすライフセーバーとなっています。
遊びに行って、川に飛び込んだ際に怪我をしたことがきっかけで車いす生活になりました。怪我をした後は、ライフセーバーとして示しがつかないと思い、活動を辞めようと思いました。その時に、ライフセーバーの仲間から、「助けられる側の立場や気持ちを理解した上で活動を続けることに意味があるのではないか」と言われました。このような経験をして、ライフセービングをしている人は他にはいないと思い、ライフセービングに貢献するために活動を続けることになりました。他の人ではなく、私だから伝えられることもあると思うので、ライフセービングを現場でやり続けていきたいと思っています。
<怪我をする前の古中さん。*左端>
――怪我をしてからライフセーバーの活動を再開するまでに葛藤はありましたか?
一般的に頸椎損傷は社会復帰に3~5年かかると言われていますが、1年ちょっとで成し遂げました。事故の被害者で、加害者を恨んだり、後ろ向きになってリハビリに向かえずに投げやりになったりする人たちを見てきました。好きで怪我をする人は誰一人いません。後ろ向きに考える時間はもったいないし、できることに対して力を注いだほうが人生楽しいと思います。なってしまったことは仕方がないので、自分が一番いいと思える人生を歩みたいです。
――古中さんだからできるライフセーバーの活動は何だと思われますか?
実際に声をかけるときに他の人より説得力があります。「危ないよ」とか、「そんなことしたらこんなんなるで!」というブラックジョークを言ったりしますね。
初対面の人は「どう返したらいいの?」という反応をしますけどね(笑)。
〈障がいがあっても人助けはできる〉
――ご自身の活動は他の人にどのような影響を与えていると思いますか?
障がい者でも他の人に対して何かできることがあると思って欲しいです。
障がいがある人や社会的弱者は「何かしてもらいたい」「優遇されたい」と思っているというイメージがあるのではないでしょうか。障がい者でも健常者でも、自分ができる範囲で社会に貢献すれば、お互いに気持ちよく暮らせます。例えば、エレベーターでボタンを押して先に降ろしてあげるといった行為は、指一本でできますよね。私は車いすでも人を助けることができるということを自分の活動を通して実践しているので、それが人に気づきを与えるきっかけになればいいなと思っています。
――インターネットの発達もあり、障がいがありながらアクティブな活動をする方が増えていると思います。
怪我をした当時では考えられない便利な世の中になっています。例えば、WEB関係の仕事であれば、障がい者でも関係なく活躍できます。そのようなフィールドが増えていくのはいいことだと思います。アクティブな人がどんどん世の中に出て、活躍していけばいいと思っています。日本はまだまだ障がいに対しての偏見が強いので、理解してもらうためには、障がい者が社会に出ていかないといけない。一人で大きなことをするのは難しいけれど、周りの人を巻き込めば、何かできるかもしれません。できることが増えて、障がいという考え方がどんどんなくなってくる可能性があると思っています。
<神戸ライフセービングクラブのメンバーと>
〈心のバリアフリーを目指して〉
――みんなが暮らしやすい社会とはどのような社会でしょうか?
今の会社は障がい者採用ではなく、一般採用枠で入りました。就職活動の際に、直接会社に電話をして、「車いすですけど、いいですか?」と聞いたところ、歓迎してくれました。入社時には「新入社員で車いすの人は今まで雇ったことがない」と言われ、驚きました。私が働くことで、障がいがあっても同じように働く人が増えてほしいし、一緒に働いている人たちの考え方も変わっていけばいいなと思います。門前祓いをされた企業もたくさんありました。自分が障がい者になるまで障がい者が社会でどのような苦労をしているか、知りませんでした。
まずは自分たちが積極的に社会に出て活動することで、知ってもらい、理解してもらうことが大切です。子ども、高齢者、外国籍の人がいるように、障がいがある人も社会にいるのが当たり前と思ってもらえるような社会になっていけば、特別な目で見ることもなくなるでしょう。私たちも助けてもらうだけではなくて、例えば困っている高齢者がいたら、「何かやりましょうか?」と自然に声をかけたいし、健常者、障がい者関係なく、お互いが積極的に助け合えるようになればいいのではないでしょうか。結局のところ、心のバリアフリーを目指していければいいのではと思います。
(取材後記:大洞静枝)取材日2018年12月7日
真っすぐに信念を語ってくださった古中様。人を“助ける”ボランティア活動を長く続けてこられた古中様だからこそ、“助けられること”について人一倍、深く考えてこられたのだなと感じました。高齢者だから、障がいがあるから、助けてあげないといけないという固定観念を、私自身も持っていたことに気づかされました。助け合いながら、社会の一員として一緒に生きていくことが大切なのだと感じました。お互いができることを少しずつ実践していける世の中になること、そして、このサイトがその一助になればと改めて思いました。
ふるなか・しんや
1980年生まれ。神戸ライフセービングクラブ所属の日本で唯一の車いすライフセーバー。須磨ユニバーサルプロジェクトの立ち上げや、身障者水泳の選手としても日本一に輝くなどマルチに活動。趣味は映画鑑賞。