平和教の原点
日本被団協については、以前このブログで触れたが、ノーベル平和賞受賞式で盛り上がっているので、ここで平和教の原点に立ち返るのも無意味ではあるまい。
広島市のHPに載っている、1947年(昭和22年)8月6日 、広島平和祭協会長・広島市長 浜井信三氏の「平和宣言」には、次のようにある。
「昭和20年8月6日は広島市民にとりまことに忘れることのできない日であった。この朝投下された世界最初の原子爆弾によって、わが広島市は一瞬にして潰滅に帰し、十数万の同胞はその尊き生命を失い、広島は暗黒の死の都と化した。しかしながらこれが戦争の継続を断念させ、不幸な戦を終結に導く原因となったことは不幸中の幸いであった。この意味に於て8月6日は世界平和を招来せしめる機縁を作ったものとして世界人類に記憶されなければならない。」
「原爆市長」・「広島の父」と称され、戦後の広島市の復興に尽力した浜井市長は、戦時中、戦争に反対することなく、広島市役所の配給課長として戦争遂行に協力しておきながら、敗戦した途端に手のひらを返して、戦時国際法違反の原爆投下により日本人に対するジェノサイド(集団虐殺)が行われたというのに、「戦争の継続を断念させ、不幸な戦を終結に導く原因となったことは不幸中の幸いだ」として、原爆投下に感謝しているのだ。原爆投下のお蔭で戦争が終結して(日本が敗戦し、日本軍が武装解除されて)ラッキーと喜んでいると言い換えてもいい。
しかも、この原爆投下が「世界平和を招来せしめる機縁を作ったものとして世界人類に記憶されなければならない」として、原爆投下を世界平和へ導く歴史的偉業だと絶賛している。
鳥肌が立つほどの異常性を感じるのは、私だけなのだろうか。
この浜井市長の異常性が何に由来するのかと調べてみたら、浜井市長が共産主義者であることが分かった。
広島市のHPに載っている広島市公文書館 被爆 70 年史編修研究会事務局長 中川 利國『世界へ訴える占領下の広島復興(その2)』32頁には、次のようにある。
GHQ/SCAP 民間諜報局(CIS: Civil Intelligence Section)のCIS 公安部(Public Security Division)のフィリップ・F・チェレス(Philip F. Cheles)捜査官(Police Investigator)が「中国民事局の法務・政治担当ボーガス(Grant Bauguess)に会ったところ、CIC(Counter Intelligence Corps:対敵諜報部)による秘密報告書を見せられた。その 報告書には、「浜井は、共産党員でなかったとしても、疑いなく共産党シンパである。彼の部下として共産党員数名 が働いていることを否定し、彼らの解雇も拒否した」とあった。ボーガスがチェレスに語ったところによると、「森 沢助役が辞任したのは、浜井市長がこの共産党員解雇を拒否したためである」。浜井市長は共産党寄りの姿勢につい て問われたところ、「自分は共産党員でもシンパでもなく、また、部下に共産党員はいないと答えた。しかし、共産 主義(マルクス主義の間違いか:筆者注)の理論は信じていることは認めた」」
また、1951年(昭和26年)に広島の平和記念公園に碑を設置することが決まった。浜井市長が碑文をどうしようかと悩んでいたところ、広島大学文学部教授の雑賀忠義氏(英文学)の旧制広島高時代の教え子だった当時の秘書係長が雑賀氏を浜井市長に紹介した。
雑賀氏は、まず、英文で「Let all the souls here rest in peace ; For we shall not repeat the evil」と書いて、これを「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」と邦訳し、石碑に揮毫(きごう)した。
mistake、error、faultならば、「過ち」と訳してもよいが、「evil」は、悪、悪事、不正、不道徳を意味し、「過ち」と訳すのは誤訳ではないかと思う。
この邦訳を刻んだ原爆死没者慰霊碑(広島平和都市記念碑)には、主語がないこと、「過ちは繰り返させませぬ」ではなく「過ちは繰り返しませぬ」とあることから、碑文論争が起きた。
東京裁判の判事を務めたインドの国際法学者パール博士(東京裁判で、戦勝国によって戦後作られた平和に対する罪・人道に対する罪は、事後法の禁止に違反することを理由に、A級戦犯として起訴された被告人全員の無罪を主張した。東京裁判研究会編『共同研究 パル判決書』講談社学術文庫)が、この文の主語は、日本人を指すことは明らかとし、「過ち」という言葉を批判した。原爆を投下したのは、米軍であって、日本人ではない、戦争も日本だけに原因があるのではないのに、なぜ「過ち」なのか、というわけだ。
この慰霊碑を建てたのは日本人だから、「we」は、「we the japanese」(我々日本人)と解するのが素直だろう。
戦時国際法に違反して原爆を投下したのは、米軍だから、「過ちは繰り返させませぬ」とすべきなのに、「過ちは繰り返しませぬ」とあるので、原爆投下の原因は、日本にもあるということになる。
パール博士が批判するのも、ごもっともだ。
ところが、雑賀氏によると、ここにいう「we」は、日本人も含めた全人類を指すそうだ。それならば、分かりやすく「we all mankind 」とか「we all humanity」とでも書けよ、と思うのは、私だけではあるまい。
この点について、「当時広島大生だった青木晴夫さん(77)=米国在住=にメールで取材したところ、青木さんは原爆慰霊碑完成の直前、米国人客員教授を雑賀さんの家まで案内し、碑文の英訳案についての議論に同席したという。主語について客員教授は「米国だけが悪いのでWeはおかしい」と主張。雑賀さんは「日本人も悪い」と譲らなかったという。また雑賀さんが秘書係長にあてた書簡によると、その後イリノイ大文学部にも意見を聞いたらしい。 雑賀さんはパール博士に抗議していたようだ。二男飛龍さん(79)=南区=は英文でタイプされた下書きと見られる書簡を見せてくれた。「過ちを繰り返さないためすべての国が団結すべきだという意味は明白。1000人中999人が分かることだ」と批判している。」
しかし、1000人中999人が分かるほど意味が明白ならば、そもそも論争が起きたりしない。聞き捨てならないのは、米国人客員教授が「米国だけが悪いのでWeはおかしい」と主張したのに対して、雑賀氏が「日本人も悪い」と譲らなかったことだ。
「日本人も悪い」という意味が、戦争の原因が米国だけでなく日本にもある、という意味であれば、まだ理解できる。
しかし、「日本人も悪い」という意味が、戦時国際法違反の原爆投下の原因が日本人にもある、という意味ならば、原爆死没者は自業自得ということになって、死んでも死に切れず、安らかに眠れないだろう。
一般的な戦没者慰霊碑ではなく、原爆死没者慰霊碑の碑文である以上、後者の意味だろう。
雑賀氏は、パール博士に対して、「世界市民であるわれわれが霊前に誓うものだ」と抗議文を送りつけたそうだ。
「世界市民」は、『共産党宣言』の「万国のプロレタリア」を言い換えたものであることについては、以前このブログで述べた。
雑賀氏のお里が知れたので、こんな碑文になったのも当然だと妙に納得した。
ちなみに、「開戦の臨時ニュースが校内に伝えられた。(雑賀)教授は廊下に飛び出し、「万歳」と叫んだそうだ」。雑賀氏は、軍国主義者だったのか、英文学が専門なので、日米の国力差をよく知っていたため、日本の敗戦を予想したのか、「万歳」を叫んだ理由は不明だが、自分自身も被曝し、開戦を喜んだ自責の念又は恨みが根底にあって、かかる碑文を起草したのかも知れない。
「類は友を呼ぶ」と言うが、共産主義者である浜井市長と雑賀教授の出会によって、平和教と呼ぶべき日本非武装化・非核化プロパガンダが創始されたのだ。目的は、日本の共産主義化だ。
非武装化・非核化された日本でプロレタリア革命を起こすか、又はソ連や中国による日本侵略を夢見ていたのだろう。
読解力や論理的思考力が乏しい者は、共産主義者のお家芸である二枚舌(ジョージ・オーウェル『一九八四年』(早川書房)のニュースピーク)にやすやすと騙され、洗脳される。
戦後79年経っても、「平和宣言」や「原爆死没者慰霊碑」の碑文が改められていない。浜井市長と雑賀教授が創始した平和教は、「平和教育」の名の下に学校で布教され、広島市を中心に信仰され続け、これに異を唱えることは極めて困難な状況になっているのだろう。
異常だ。
共産主義に洗脳された、頭がお花畑の人の歌
John Lennon IMAGINE.