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祭主より 福島県慰霊顕彰祭の様子のご報告

2024.12.12 07:40

令和六年 十一月十日、福島県南相馬市原町区、原町飛行場関係戦没者慰霊碑前で、総勢三十名で戦歿者慰霊顕彰祭を執り行いました。

今回、初めて慰霊顕彰祭の準備段取りをしましたが分からないことばかりで、理事長を始め皆様方に助けて頂き、祭典を執り行うことができました。

朝、九時に原町飛行場関係戦歿者慰霊碑前に集合し祭典の準備をしました。

定刻の十時になり、典儀の号令で祭典が始まりました。

国歌斉唱をし祭典が進み玉串奉奠に入り、神前に玉串を捧げました。

海ゆかば奉唱をし、祭典も終盤にかかり最後に祭主挨拶で皆様方に簡単では御座いましたが挨拶をいたしました。

そして無事に戦歿者慰霊顕彰祭を執り納めることができました。

原町飛行場で教育を受けた後に戦死した者は、一四隊、五二柱に及び、原町飛行場関係戦歿者慰霊碑には、原町飛行場に関わられた戦歿者二〇〇柱有余が祀られております。

陸軍飛行場は昭和十五年に開場し、戦争が終結するまで存在しました。戦局悪化が顕著となっていた一九四四年五月、(鉾田教導飛行師団原町飛行隊)と改称。同年十一月、陸軍特別攻撃隊が編成され、フィリピン島方面に特攻を実施。翌一九四五年三月以降は、終戦まで本土決戦の錬成基地となり、出撃基地へ前進していきました。飛行場は一九四五年二月十六日と八月九、十日に二度の空襲を受け、原町飛行場の主要部はほぼ破壊されたほか、原ノ町駅や片倉製糸紡績株式会社原町工場、原町紡織工場、帝国金属工業株式会社の工場、原町役場、さらに原町国民学校と相馬農蚕学校なども大きな被害を受け原町中心部にまで戦禍が広がりました。八月十五日、終戦。原町陸軍飛行場は役目を終えました。

戦後七九年が経ち、国民の殆どが戦後生まれたとなった現在、大東亜戦争の記憶が次第に薄れつつあるのも事実です。私達は諸士の残された祖国愛、郷土愛を引き継ぎ、今からの若者達に継承をし、我が国の恒久平和と繁栄・発展の為に、なお一層の努力を続けてまいり、諸士の御霊がとこしえに安からんことを、また、今後とも我が国の繁栄と平安を見守り給うことを祈念致します。 

これからも慰霊顕彰につとめ、後世へとつなげていきたいと存じます。