「宇田川源流」【土曜日のエロ】 売春目的の客待ちの摘発強化というが大丈夫か?
「宇田川源流」【土曜日のエロ】 売春目的の客待ちの摘発強化というが大丈夫か?
今週も土曜日のエロに日になった。まずはエロの前に今週の動きを見てみよう。
今週は、韓国の非常戒厳の後始末と、シリアのアサド政権の崩壊という所が大きな内容であろうか。いずれもなかなかインパクトのあるような話になるのではないか。ただ、この二つは普通のブログでもたぶんやるので、まあ、そちらに譲ることにしよう。
国内では、政治では106万円の壁、これは厚生年金保険料の候補をなくすということ、つまり原則全員厚生年金保険料を納めなければならないということになり、そのことから、103万円の壁の撤廃よりも先に、「実質増税(本来は増税ではなく、公的負担である)が増額される」ということが決まるということになる。「手取りを増やす」などと言っていた国民民主党は、そのような中で103万円の壁の撤廃ばかりに動いているので、まあ、「全体を俯瞰して物事を見る」ということに限界があるのかもしれない。
さて、ここでもう一つ見てみるのは、「和歌山のドンファンの妻無罪」である。覚せい剤を摂取させて殺したということで殺人罪に問われていたのである。これに関しても、単なる殺人事件といっては語弊があるかもしれないが、全国のマスコミが大きく報じるほどの事ではないような買いがしていた。ある意味で「兵庫県の斎藤知事に対するいじめ的報道」とほとんど同じような「悪評」をマスコミが作りながら、司法の判断はマスコミの報道とは全く異なる内容になっていたということになる。つまり「選挙」だけではなく「司法」の場においても「オールドメディアの敗北」が言えるのではないか。実際に控訴又は上告して裁判結果が確定したわけではないが、しかし、少なくとも「状況証拠の積み重ねでしかない裁判で無罪となった」ということであり、確定的証拠がないにもかかわらず、罪人扱いの報道をしたことの責任は、マスコミはどのようにするのであろうか。
ある意味で、この件に関してはマスコミの「差別意識」が見え隠れする。この妻が「金目当てでの結婚ではないか」「元AV出演」などと言う報道が先走り「金目当てだから殺したに違いない」という思い込みで人を陥れている。「職に貴賤はない」というが、マスコミというのは、そのような感覚は全く考えないようである。ちなみに、「人の不幸を偏向報道で作り陥れるマスコミはそんなに高尚な商売なのか」という疑問を、以前呈している投稿があったが、最近権威主義になったマスコミの人々には、そのような声は届かないのであろう。マスコミの人々が自分の商売をしっかりと見直すべき時であろう。
さて、その「身体を売る」ということに関して、東京新宿歌舞伎町ではまた大きな問題になっている。
<参考記事>
売春目的の“客待ち”10月から50人逮捕 警視庁が摘発強化 東京・歌舞伎町
2024年12月4日 12時20分 日テレNEWS NNN
https://news.livedoor.com/article/detail/27692316/
<以上参考記事>
あえて言っておくが、「売春」と「スパイ」が、世界最古の商売であるといわれている。なぜこの二つが世界最古の商売なのかということを考えてみ無ければならない。「もともと」といえば、良いかも入れないが、この二つが商売になっていた時代は、間違いなく、「物々交換の時代」から「貨幣経済の時代」に変わっていた時代に違いない。完全に貨幣経済になっているわけでもないし、また貨幣経済は都市部でできていても、田舎などでは貨幣がいきわたっていない状態になっていることが少なくない。そのような中で、この二つは「人間の欲望」に直接的に作用するものであり、なおかつ、「それを売る人本人には減るものがない」ということになる。先にスパイの話をすれば、スパイというのは情報を売るということになる。しかし、「情報」というのは、その話を他人に教えたところで、情報そのものが消えてなくなるわけでも、また売った人の記憶から消えるわけではない。情報を使うか使わないかは別にして、その情報というのは、記憶から消えないし、その情報を本人も使えるので、「情報」そのものがなくならないと言うことになる。
一方、売春に関しても同じである。日本人にはあまりなじみがないが、それは「貞操感」戸いうことがあるからに他ならない。同時にその貞操感は「家制度」ということがあり、「他家の地を入れた子供が、自分の家の中に入る」ということをあまり快く思わなかったということになる。同時に、その内容が、「相続」ということになれば、残念ながら「嫁が浮気をしたときの子供は相続から外される」ということになったのではないか。もちろん逆もある。「御落胤」をそのまま家で受け入れて、本来の嫡子を廃嫡して御落胤を自分の家の跡継ぎにすることで家を発展させるというパターンだ。そのような意味では、「他家の血」だからと言っていて一概に排除するわけではない。しかし、いずれにせよ「血のつながり」で団結の強さを結んでいたことは間違いがなく、それは、「イスラムの遊牧民」なども同じであるし、また、モンゴルの遊牧民も同様だ。その様に考えれば「血族」日本では「一族郎党」などという言い方をするが、その結束の硬さを強調しなければならない、逆に言えば裏切られたくない場合に、間違いなく、「貞操感」ということを重視することになるのである。
逆に言えば「家制度」とか「一族の血のつながりの強硬さ」を必要としない場合には、以外にも貞操感が少なくなる傾向にある。要するに「家族」という身近なところからの批判が少なくなるだけではなく、そののち子供に影響が及ぶ可能性がないからである。特に日本の場合は「秘め事」というような文化性があるので、そのような家族性が強い他の国に比べても貞操感が強く出てくることになる。
そのような「日本の文化」が無くなりつつある。
要するに、「減るものではない」ということは、「売春を他の人に強要されても証拠が残らない」ということになる。このことが、「歌舞伎町で売春待ち」ということになる。ほとんどがホストクラブなどで借金をしたということなのかもしれないが、実際には、自主的にやっている人もいるし、借金ではなく生活費のためにやっているような人もいるのかもしれない。当然に、「売春防止法」がありまた「買春防止の条例」もあるので、そのようなところで女性を買ったところで、犯罪を構成するだけなのであるが、しかし、ある意味で「パパ活」というものも同じなのかもしれないと思えば、「路上でパパ活をしている」ちうような言い訳もできるのかもしれない。
問題は「日本から家制度の文化も、恥の文化も無くなりつつある」ということであり、そのようにして金を稼ぐというような人が増えてきていることが問題なのかもしれない。実際に相談窓口のようなものもあるし、それをネットやメディアで宣伝していても、なお、そのようにして街角に立つ女性があとを絶えない。私のように歴史小説を書いている立場からすれば、このような街角に立つのは「花魁」ではなく「夜鷹」といわれる最下層の売春婦であり、時代劇に出てくる内容でもあまり誇らしげに言える商売ではない。
何かもう少し方法はないものであろうか。逮捕する以外に方法がないということが、最も大きな社会問題なのかもしれない。