【劒持秀樹】VOL.① 元劇団四季、現スピリチュアリスト主夫が語る人間の純粋性。「後悔しない生き方」とは?
彼は、パートナーである奈央さんを通じて、私が眼鏡屋だった頃に、お客さんとしてセッションを受けてくれた。そのセッションでの彼の印象は、「ストレートで、自分から目を逸らさない人だな」だった。私の奥まで射抜くような真っ直ぐさが印象的だった。
テーマパークダンサー、劇団四季の劇団員という芸能の世界を経て、ビジネスコンサルとしても活躍してきた彼だったが、第二子であるトントンが産まれたことをきっかけに「子どもの成長を一瞬でも見逃したくない」と仕事をやめた。
そんな自由な生き方を望みながらも、実際に多くの人がなかなかできない決断であるが故に、その生き方に興味関心をもつ人は少なくない。 結果的に主夫となり、「お金を稼がなければ・・・」という呪縛からも自由になった彼。ただただ豊かさを受け取る生き方や自分に嘘をつかずに生きる姿を見せてもらった。彼の場合、それが本当に純粋に貫かれているのだ。
彼の、その純粋性を貫く強さは子どものようでもあり、人間の本来の姿に思えてならない。 そんな彼は、息子トントンに起こった出来事(※1)をどのように受け取っていたのだろうか。そして、彼が《彼そのものを生きている》と感じさせる、その生き方の原点とは??
今回は、パートナーである劔持奈央さんのインタビューに続き、彼の真ん中に触れさせていただいた。
(取材:はぎのあきこ)
(※1) ⋯彼の息子トントンが道端で出会ったアルコール依存症の「おっちゃん」について行き、お酒を飲んで豹変したおっちゃんから暴力を受けて保護された事件。
→ 劔持奈央さんのインタビュー記事を参照
その人の本質からズレていることが見える、聞こえる
ーひでさんは、トントンに起こった出来事をどんな風に見ていたのでしょうか?
僕も、おっちゃんに怒りはなかったです。むしろ、子どもたち同士が喧嘩して、トントンが悔しそうな顔してる時の方が怒りの感情が出てきました。何が違うかと言えば、僕は結局、《純粋性》だなと感じています。 子どもに対してすごく「気持ち悪いな」と思う時、「その子っぽくないな」と感じてしまう。
ーその子っぽくない。例えば、どんな場面でそう感じたのですか?
そうですね。トントンが保育園のピンクの帽子をかぶっていた時、「ピンクは女の色やで」と言ってきた子がいたんです。それを聞いて、「心の底から本当にそう思っているの?」と思ったんです。 「それは、一体誰の考えなの?」と。それに、「相手がそれを好きだったら、それでいいじゃん」と。
相手が好きかどうかを無視して、何故そういうこと言うのか。それを言って、何の得があるのか。何もかもが気持ち悪かったんですよね。 でも、おっちゃんの場合はそんな気持ち悪さはなかった。意識でつながった時に、何もかもがピュアだったんです。
「ご飯食べにおいで」も、「食べさせたい」というピュアな気持ちだし、スイッチが入ってしまい「殴りたい」もピュアに、それしかなかったのだなと。
ーピュアというのは、その時の混じり気のない、ストレートな感情で動いていたという感覚なのかな。
そうそう。その本質から溢れたものという感じがあったから、そこに怒りは出なかった。でも、自分以外の誰かの言葉を自分のものだと思って言っている人を見ると、大人でも、子どもでも「気持ちが悪い」と感じます。
ー「その人の言葉ではない」となると、気持ち悪さを感じる。
「その人からずれている」からです。それが見えるし、聞こえます。
ー見えるし、聞こえるんですね。ご自身はどうなんでしょう?「自分、ずれているな」と思うことはあるのでしょうか?
これは、自分で気づくのは難しいと思うんですよ。僕自身も、「なんでここでこんなに腹立ったんだろう」と思っても、後にならないと分からないことが結構あります。
ーそのエピソードがあれば教えてください。
すごく印象的だった出来事があります。奈央ちゃんがセラピーをやっていた頃、終わった後に「今日は温泉に入って、身体を軽くしてから帰りたい」と言ったことがありました。 ちょうどコロナの真っ只中だったので、周りの温泉施設は何処も時短営業をしていたんです。
実は、その前に別の場所で「営業しています」と言っていたのにも関わらず、早めに閉まっていたことがあったんですよ。 だから、念のために先に電話をかけて、閉店時間を確認したんです。それなのに、またもや閉店時間前に閉まっていた。そこで、僕はぶち切れました。
番頭みたいな人が笑いながら「もう閉まってるんで」とか言うから、僕は「確認までしたのにお前らの態度なんやねん」と切れました。 「とりあえず、ごめんだろうが」って。
ーその悪いと思っていないような態度に切れた。
そう。そうやって、ぶちぶち切れていたら、奈央ちゃんが「もういいから、やめてよ」と言って次の場所を探しているんです。その彼女を見て、また僕が切れる(笑)。「あんたのためにやったのに、なんであんたが一番被害者みたいな面してんねん!」と。
でも、翌日に仲間とご飯を食べながら、「こんなことあってさ」と話をしてたら、ぽろっと自分の口から、「奈央ちゃんに気持ちよくなってほしかっただけなのに」という言葉が出てきて、ハッと自分で気づいたんです。
ー自分で話しているうちに気づいた、と。
あの時、「顧客対応」に対して自分が描いていた「あるべき姿」からあの番頭は外れていた。だから怒りが出たのだけれど、それは「世の中の常識」の話であって、既に閉まっているものはどうしようもないですよね。
純粋な愛だけで動いていれば、「仕方ないね。誰かが間違っちゃったんだね。」と僕も一緒に次の場所を探していたんだろうと思います。だから、奈央ちゃんは自分に正直に、純粋に動いていたんですよね。僕は常識という、誰かの声に振り回されていたけど(笑)。
怒りの原点となった父親の嘘
ー愛や本質からズレてしまう時は、人によって「反応しやすい」ポイントがあるという感じですか?
はい。ありますね。僕の場合は、《嘘》ということがポイントになります。
ーさっきのお話も「嘘をついた」という捉え方もできますね。
そういう風に認識してるわけですよね。僕の中では「事実ではないことを言われた」ということが、「=(イコール)嘘」ということになっていました。 何故そう解釈するのかというと、子どもの頃の体験からなんです。
僕の父親には、僕の家族以外にも、「もう一つ家族があった」ということを後で知ることになったんです。その、ある時まで「隠されていた」ということが、恐らく僕の「嘘」に対する怒りの原点なのではないかと思います。
ー父親には、自分たちとは別に家族があった。かなり衝撃的な事実です。
そうそう。もう一つの家族にも、女の子2人の子どもがいて、こっちは、僕と兄貴の男の子2人がいます。父親は、この2家族の間を行ったり来たりしていたんです。でも、ずっと僕には「おじいちゃんの介護をしている」という話だったんですよ。だから、《嘘》ですよね。
ーいくつくらいの時に「実は」と言われたんでしょうか?
10歳くらいかな。「もうそろそろ受け止められるだろう」という感じで言われたんだろうと思います。
ーそれを聞いた時に、どう感じたのですか?
やっぱり、まずは家族全員から、ずっと僕だけがその事実を知らされず、《騙されていた》という風に受け取っていました。それに、大事なことを話してもらえないのは、《自分はそれほどにも信頼がないのか》というような受け止めもありましたね。
あとは、父親との時間に対する「なんでだよ」という思いがありました。それは、何かと言えば、父親は土曜の夕方までは向こうの方にいて、こちらは、土曜の夕方に帰ってきて日曜日遊んでくれるという感じだったんです。
ー平日から土曜の夕方までは、ずっと向こうのお家だったんですか?
そうなんです。単純に、数字で考えると「6対1じゃないか」と思っていたんですよね。でも、後に18歳の時、父親の葬儀で初めて向こうの女の子たちといろいろ話す機会がありました。 そうしたら、向こうは向こうで「遊べる日は日曜日しかないのに、そっちを優先するんだ」、「平日なんてどうせ学校から帰ってきた後、ご飯食べて終わりじゃないか」と思っていたみたいなんですよ。
確かに、そういう考えもあるなと思いました。「お互いに無いものねだりをしていたんだね」と笑い合いました。
ーなるほど。無いものねだり、ですか。
今思えば、子どもの頃から、大人の嘘に対して、「本当はそう思っていないくせに」や「こっちは子どもだからって、簡単に騙せると思って馬鹿にしているのかな」とずっと思っていました。
その、なんだろう。ハートにある思いや事実と言ってることが、ズレている感覚には、小さい頃から「気持ち悪さ」を感じていました。自分のズレには、なかなか気づけないけど(笑)。
自分とつながっていない言葉は、ノイズに聞こえて「気持ちが悪い」
ーその「気持ち悪さ」とは、どんな感覚なのか、分かるようで、まだ分からないです。
逆の方が説明しやすいのですが、「想い」などの内面と「話す」などの外側とが《つながった》時の言葉は、《飛び出して聞こえる》というのか。まさに「今、言ったことがキーワードだ」と分かるような感覚なんです。 その言葉がすごく印象的に聞こえるんですよ。
やっぱり、表現としては、その声が飛び出しているように聞こえて。音色が違うから、恐らく周波数が少し変化することを感じているのかもしれません。だから、僕にとって他の音は、ほぼノイズなんですね。
ーなるほど。内と外がつながっていないと、ノイズに聞こえるんですね。
そう、ノイズだから気持ち悪い。だから、それを突っ込んで聞いてしまいます。そうすると、聞けば聞くほど、どんどん矛盾が出てきてしまう。そうすると、相手が「生意気だ」と話を終わらせようとするから、またそこで聞いちゃいます。
ーそれは、気持ち悪いからクリアにしたくて、奥にあるものを暴きたいと突っ込んでいるのですか?それとも、、、
どうなんだろう。でも、僕の特性がいろいろある中で、「知りたい」という欲求はものすごく強くて、「明らかに違う」と僕自身が捉えることに対して、「本当は何があるの?」と知りたくなります。 だから「裁きたい」とか「暴きたい」というより、単純に「知りたい」。
―そういう少年が大人になってもそのまんまで生きているような感じ。
そうです。子どもの頃からのその感覚が磨かれて、鋭くなり、さらにチューニングがある程度できるようになりました。ただ、それを鋭くしすぎると、ひどい時は、洋画の吹き替え版のようになります。 どんな状態かと言えば、まず役者が英語で喋っています。
そして、吹き替え版の日本語が重なって聞こえます。さらに日本語の字幕も出ています。頭・心・魂のような、そんな状態ですね。これが「全部違う」と、こちらは訳が分からないでしょう。 本人は、「本心から話している」と思い込んでいますから。
ー秀さんの感覚を想像すると、わちゃわちゃでしんどいですね。それが常だと私はきついです。
そうなんです。そんな風に聞こえてしまう、というか見えてしまうんです。「同時にいろんなことを言っている」ような感じ。「同時に何人もが僕に喋ってくる」とも言えます。
―それがノイズですね。
はい。それに、ADHDの聴覚過敏の様な気質があるため、いろいろな所で喋ってる声が、普通は遠ければ小さく聞こえるけれど、僕にはかなりのボリュームで聞こえてしまいます。 人間の脳は目の前で喋ってる人の声のボリュームを上げて、他を下げる調節機能があります。
それは、自分にとって重要な情報を聞き逃さないためなのですが、僕の場合はそれがあまり働かないんです。
ー学生時代はどうされていたんですか?
今と同じような感覚があったので、集中できなかったですね。でも、学校には行っていたんですよ。全然授業に集中できないから、先生から本を薦められて、大体はずっと本を読んで過ごしていましたね。 今は、その頃の僕に何が起きていたかを振り返って、言語化できているだけで、当時は自分の特性なんて分からなかったですから。
ただ、一旦本を読むことに集中したら、その世界に入り込めるから、逆に何も聞こえなくなったりもしました。 朝学校に行って、本を読み始めたと思ったら、「なんかうるさいな」とふと気づいた時には、給食が終わっていたことも。