満月の夜、辻井伸行さん《月の光》とともに
今日は満月です。1D1U Campの参加者の方がコメント欄で「ドビュッシーの《月の光》を聴きながら満月の夜を過ごしたい」と書かれていて、ふと、以前サントリーホールで聴いた辻井伸行さんの《月の光》の演奏が蘇ってきました。その美しさは、今でも心に刻まれています。
そこで改めてYouTubeで辻井さんの《月の光》を聴いていたとき、コメント欄に「辻井さんは月を見たことがないのに…」と書かれているのを目にしました。その瞬間、「そうだった」と改めて気づかされたのです。
私はそれまで、辻井さんが「美しい月を表現している」とごく自然に解釈していました。でも、実際には辻井さんは目が見えないため、月そのものを目にしたことはありません。そこで思ったのです——もしかすると、辻井さんにとって「月」というものは、ドビュッシーの解釈したメロディーを通して感じ取るものではないだろうか、と。私たちが目で月を見て「あれが月だ」と認識するように、辻井さんは「このメロディーが月だ」と音楽を通じて認識しているのかもしれません。
つまり、辻井さんは視覚の代わりに音を通じて、物や言葉を結びつけているのでしょう。私たちが目と言葉を繋げるように。
そう考えると、辻井さんにとってピアノを弾くことは、単なる演奏以上に、自身の体験や知見を深めていく行為そのものなのだと思います。そして、辻井さんの音楽が特別な響きを持つのは、視覚に頼らず、制約の中から生まれる独自の感性や美しさがあるからなのでしょう。それは、ある意味でミニマリズム的な美でもあり、目で見た月をそのまま描写することができないからこそ、限られた要素の中で本質を感じ取り、表現する力とも言えます。
辻井さんは、作曲家の意図を深く受け止め、自身の心で再解釈し、それを私たちに届けてくれているのだと思います。その演奏は、単に「技術的に正確」であるだけではなく、感性と音楽的才能が織り成す真の芸術なのでしょう。
辻井さんのピアノを聴く私たちは、その音から彼の解釈を受け取り、さらに自分のイマジネーションを広げていく。まさに音楽が奏者から聴き手へ、そしてさらにその先へと続いていく、終わりのない感性の旅が始まるようです。
12/17 紀尾井ホールでの辻井さんのソロピアノコンサートがますます楽しみです。
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