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重々帝網なるを即身と名づく

2024.12.15 06:07

連相するのは「切れ」

http://www.okaya-shinpukuji.jp/blog/20140611post-49.html【弘法大師の言葉より】より

当山は真言宗のお寺であり、真言宗の開祖として仰ぐは弘法大師空海であります。

正しくは真言宗智山派という宗派に属しており、弘法大師入滅後に真言宗の新義教学の礎を築かれた真言宗中興の祖、興教大師覚鑁も仰いでおります。

この両祖大師のご生誕が6月であります。(15日:弘法大師 17日:興教大師)

京都本山智積院では毎年6月15日に両祖大師のご生誕を慶祝する大法要ならびに柴燈大護摩供が厳修されます。その他さまざまな催しが行われ多くの参詣者を迎えております。

それを総称して青葉まつりと呼んでいます。

さて、今月のHP内「言葉の力」には弘法大師の残されたお言葉を紹介しております。

  重々帝網なるを即身と名づく

  重々帝網(じゅうじゅうたいもう) 即身(そくしん)

これは、弘法大師のお書きになられた『即身成仏義』内の偈文の一節。

重々帝網とは、帝釈天の宮殿を飾る輝く網のことであり、網の結び目の一点一点は宝珠になっているそうです。そして、その宝珠は互いを照らし映し合い、全体が鏡映しており、これこそが私たちの世界の実の姿なのだというわけです。

網の結び目にいるのは、実は私たちであり、縁なくして存在するものは無く、縁を生じないまま消滅するものも無い。すべてが有形無形のつながりの内にある世界。可能性が回りまわって、その数多の思いや恵みに支えられているのでしょう。

“生かされている”って、誰もが一度は聞いたことのある表現ですよね。

結び目の宝珠は照らし映し合い、全体は鏡映する。

それが私たちであるならば、密教でいう曼荼羅世界で大日如来の法が響き合い一尊一尊が供養し合うように、慈しみの心でつながっていたい、できる限り傷つけ合いの連鎖は避けたいと感じるのです。禅にも同じく解釈したくなるお言葉があります。「一即一切一切即一」                                            合掌


https://www.mikkyo21f.gr.jp/kukai-ronyu/nagasawa/post-196.html【即身成仏に寄せて】より

 還暦の頃になってやっと『即身成仏義』の「二頌八句」の前四句が私なりに見えてきた。この名句をこそ語れるようになるのが真言僧の最低レベルだと思ってきた。しかも、伝統教学上の解釈を離れ、祖師の言われたことを自分のことばで(日常用語と思想用語の中間あたりのことばで)語れてはじめて、「空海」を「ものにできた」ものと思うのだが、はたしてどうだろうか。

 日常の寺の法務で角塔婆にこの四句を墨書したり、導師歎徳文にこの四句を垂示したりするであろうご同輩や後輩の諸師が、祖師の「即身成仏」を「この身このままで成仏すること」などと安直にかたづけないでいただきたいものと思うことしばしば。老婆心ながら参考案を書き残しておこうと思う。不備は承知である。

  六大無礙常瑜伽  六大無礙にして常に瑜伽なり

  四種曼荼各不離  四種曼荼は各々離れず

  三密加持速疾顕  三密加持すれば速疾に顕わる

  重重帝網名即身  重重帝網なるを即身と名づく

 空海密教は、銀河系を含むこの広大無辺な天体宇宙を、森羅万象、モノにはそうあるべくしてある存在真理、コトにはそうなるべくしてなっている現象真理がはたらき合っていて、すべてが融通無碍にかかわり合っている「法如」の世界、つまり「法界」に見立てた。そして、その「法界」を人格化して「法身大日如来」とした。

 この見立てには、この現実の世界にこそ真理のはたらき(法性=空性)がひそんでいる、山も川も草も木も悉く「法如」の故にそうあるのであり、人格化して言えば「法如」の故に皆仏に変わりないのだ(山川草木悉皆成仏)、と見なした大乗「空」の価値転換(「諸法実相」)がそのまま生きている。

 さらにまた、その現実の世界は目を転ずれば広大無辺な宇宙法界なのであり、すべてがまるで「真如ネットワーク」で、大乗の菩薩はその「真如ネットワーク」の結び目の宝珠である仏たちをたずね歩き、教えを乞いながら三大阿僧祇劫という途方もなく長い永遠の時間をかけて利他行を行わなければ成仏はできない、という華厳のコスモスもそこに見える。

 さて宇宙では、その構成要素である「地」と「水」と「火」と「風」と「空(スペース)」の五大(物質的存在の五原素)と「識」(人間の認識作用)と(の六大)が、お互いに妨げ合うことなく常にかかわり合っている。仏身は六大から成り、世間凡夫の人間もまた本来六大から成っている。凡聖不二・生仏一如、世間凡夫の人間は、生命の海によく溺れるが故に、ただそれに気づかないのである。

 さて、「法界」の融通無礙の様子をビジュアルなものにして示すと、宇宙に遍在するあらゆる物質と精神が、仏の尊像が集合した宇宙図(大曼荼羅)となったり、仏尊の所持する物(シンボル)が集合した宇宙図(三昧耶曼荼羅)となったり、仏尊を表わす梵字(種子)が集合した宇宙図(法曼荼羅)となったり、木造・鋳造・塑造といった仏の実像が集合した宇宙壇(羯磨曼荼羅)となったりするのだが、その四種類の曼荼羅はもともと同じ本質のものだから、各々離れてあるわけではなく互換性に富んだインターフェースなのである。今流に言えば、そこから仏のパンテオンに入って自分が本来は仏であるという価値転換の自覚に至るポータルサイトである。

 その四種曼荼羅はそれぞれにそうなのだが、密教行者がある仏尊を表す「印」(サイン)を手に結び(身密)、その仏尊と交信する「真言」(「法界」の交信言語)を唱え(口密)、その仏尊の相形を心のスクリーンに映し出す(意密)と、瞬時に行者の脳裏に顕わになり仏尊が自分と一体になるのである。

 その曼荼羅をよく観察してみると、あのヒンドゥーの英雄インドラ天のジャーラ(網)のように、宇宙に遍在する六大所成の物質と精神がまるで宝珠が縦横に連結された飾りもののように、互いに照らし合い映し合い重なり合っているのがわかる。宝珠に照射されるものはみな六大所成の仏たちなのであり、宇宙の生命史のすべてのいのちの連鎖でもある。「その」幾重にも重なり合っている宇宙の全生命史のなかに「この」自己を(三密)まるごと投帰している(チャネリングの)状態、それを「即身(成仏)」というのだ。


https://ameblo.jp/ikko-kobayashi/entry-12616464389.html 【今こそ大事な「一即一切」とは!?】より

私の好きな言葉に『一即一切』があります。これは仏教の宗派のひとつである、華厳宗の縁起思想から来ていますが(華厳宗の大本山は、大仏様でお馴染みの奈良の東大寺)簡単な意味は

一つはすべてに繋がり、すべては一つに繋がっているということ。ラグビーでいう「One for all, All for one」(ワン・フォー・オール、オール・フォー・ワン)に近い、ともいえます。

一つは一切すべてに繋がっているということは、二つに対立していると思われるものが

実は一つの同一のものであり、「あなたは私」「私はあなた」とすべての物事を一つと捉える、ということでもあります。

あなたも私もすべてが一つであるとするならば他人や他のすべての物事と、良好な関係性が築ける、ということになりますよね。

とはいえ、この思考法を常に意識して行動するということは難しいでしょう。なぜなら、私も含め多くの方が「あなた、と、私」「私、と、あなた」のように、通常は自分と他を分別して(分けて)考えているからです。

その意識が、自分さえよければという「自我」を生みそこから多くのトラブルが起こっているといえます。

ただ現在はコロナ禍の中、多くの方が不安に苛まれている厳しい時、だからこそ『一即一切』という世界観を持つことで、相手のことを慮る、優しい世の中が必要だと思うのです。

今年生誕150周年を迎えた、世界的な仏教哲学者の鈴木大拙氏も「仏教の中で最高峰は華厳思想だ」といわれていた、といいます。

今一度この宗教の悟りや教えを大切にして、自分以外の他がために生きることが今こそ求められているのでは?そう感じている今日この頃です。皆さんはいかがでしょうか?


https://ameblo.jp/rainbow-rose-yoko/entry-12759440172.html【重々帝網なるを即身と名づく ~ 毎月18日は聖観音様 ご縁日 ~ 】より

毎月 18日は 聖観音様の御縁日です観音菩薩は33の異なった姿に変身して 私たち 衆生を救ってくれます

その基本形が聖観音菩薩(しょうかんのんぼさつ)です

変身したお姿を「変化(へんげ)観音」と呼び それに対し、もとのお姿を「聖(しょう)観音」様と 呼びます 

神戸市 須磨区 須磨寺 ご本尊様は 聖観音様 新西國33観音霊場 24番札所でもありますね 

毎月 18日は 護摩堂にて 護摩祈祷が 執り行われています 本日も 参座させて 頂きました

夜中まで お仕事してたので 寝坊して ギリギリ…

太鼓がなり始めて 焦る 焦る… 渋滞は していなかったのでなんとか 間に合いました 

今日の 小池副住職の法話は 不動明王様からのメッセージかな…って 思いながら 聴かせて頂いていました 

昨日 まさに 同じような内容の お話を 聴かせて頂いていて…まずは 自分の足元を固めていきなさい って 助言を頂いた ばかりでしたので 本日の お話 有難く聞かせて頂きました。

天台宗を開いた最澄(さいちょう)様 が残した名言で「一隅を照らす」ということば が あります 正式には 「一隅(いちぐう)を照らす、これ則(すなわ)ち国宝なり」

一隅を照らす(いちぐうをてらす)とは、社会に生きるわたしたち一人ひとりが自分の役割を認識して、できることを一生懸命やっていこうという意味です。

置かれた場所で生きる 与えられた環境で 生きる たとえその場所が自分が望むきらびやかな場所でなくとも社会の片隅であっても 陽の目を見なくても その場所が光るような生き方をするという意味の言葉でその場所に光がともれば、まわりも明るくなり 一人の生き方や心がけは、まわりにも伝わって いきます 

一人ひとりの力がやがて、世の中を明るく照らすことになる同じような 言葉の意味を持つ 言葉で 真言宗開祖 お大師様の言葉の中に 重々帝網なるを即身と名づくと あり 

これは、弘法大師のお書きになられた『即身成仏義』内の偈文の一節重々帝網とは、帝釈天の宮殿を飾る輝く網のことであり、網の結び目の一点一点は宝珠になっているそうです。

そして、その宝珠は互いを照らし映し合い、全体が鏡映しており、これこそが私たちの世界の実の姿なのだというわけです。

網の結び目にいるのは、実は私たちであり、縁なくして存在するものは無く、縁を生じないまま消滅するものも無い。すべてが有形無形のつながりの内にある世界。

可能性が回りまわって、その数多の思いや恵みに支えられているのでしょう。

“生かされている”って、誰もが一度は聞いたことのある表現ですよね。

結び目の宝珠は照らし映し合い、全体は鏡映する。それが私たちであるならば、密教でいう曼荼羅世界で大日如来の法が響き合い一尊一尊が供養し合うように、慈しみの心でつながっていたい、できる限り傷つけ合いの連鎖は避けたいと感じるのです。

(参考資料 一部抜粋 コピー転載させて頂きました)

波動の法則 と 同じ意味あいですねお互いが 影響しあっている これこそが 宇宙の心理 宇宙の法則です 

今日は 先日 お好み焼き キラクさんの ポイントがいっぱいになったので 帰りに 寺務所で 一言 色紙を頂きました

祈りの写経プロジェクト シンクロ梵字アート虹色の弥勒の世界の扉が開く 

イギリスで 発表した 梵字アートです その 上に 飾りました 

愛の上にあるのは 梵字で書いてある 般若心経です 四国 八十八か所 第七十番札所 本山寺のご住職様が 書かれた 大変貴重な梵字般若心経 

本尊は四国霊場で唯一の馬頭観音様 世界では 戦争が終わることなく 日本では また 豪雨の被害がでています 青森のお友達から リンゴが全滅と聞き とても心が痛いです 

日本笑顔プロジェクト 林代表が 被災地支援に 入られています

この暑さの中 本当に 被災地支援 復興の作業は 想像を絶する 過酷さです 

今 自分自身が いる場所で なにができるのか今一度 自分自身にできることを 考えて 行動にうつしていきましょう

小池副住職の 生み出された 祈りの写経プロジェクトは 素晴らしい 被災地支援だと思います

写経を 書いて 祈りを込めて 被災地を支援できる 愛が こもっていますよね 

私も 梵字アートに愛を込めて 私にできることを 1つ 1つ 丁寧に拡げていきたいと 思います 適材適所  自分自身にできること 自分自身の光を 放っていきましょうね