三光信仰
https://ameblo.jp/angelcake0823/entry-12078717482.html 【三光鳥(サンコウチョウ)のさえずりと三光信仰のご紹介】より
サンコウチョウの鳴き声の動画です。良かったら聴いてみてくださいね。♪
https://www.youtube.com/watch?v=Alv8tOq5VYw&t=1s
さえずりが「ツキヒーホシ、ホイホイホイ」と聞こえ、このツキ・ヒ・ホシが「月の光・日の光・星の光」を表しそれで三光鳥と呼ばれます。日本には夏鳥で渡来します。
目の回りが碧くて可愛い鳥さんです。さえずりは、月・日・星と聴こえましたでしょうか。誰がつけた名前なのか素敵ですね。( ´艸`)
ただいま「諏訪風土記」読書中です。古代シュメールと古代出雲王朝の三輪山と諏訪の御射山は、日・月・星の三光信仰で繫がっていたそうです。出来たらまとめてUPしますね。画像は「諏訪風土記」増澤光男著より
遺跡のことを公的機関にお話ししています。研究員さんと情報交換出来て良かった。まだまだ研究中で時間がかかるということです。( ´艸`)
皆様の暖かいお心に感謝しています。応援を有り難うございます。
ご訪問ありがとうございます。ありがとう平和に感謝いたします。
https://ameblo.jp/angelcake0823/entry-12089228966.html 【日月星信仰*三光神社の総本社の青麻神社】より
少し前に三光鳥と日月星の三光信仰のことを少しご紹介しました。
http://ameblo.jp/angelcake0823/entry-12078717482.html
三光信仰に関しては、増澤光男著 「諏訪風土記」に簡潔に書かれてました。(amazon、楽天でも何故か出品はなく入手困難。^^;
古代日本には、天下万民の為に宇宙秩序の象徴である太陽・月・星に祈るお祭りがありました。
太陽 三日月 星 日月星の三光信仰の話し
記紀での「日月星の神」は、太陽が天照大御神 月は、月読神 星は天御中主神があたります。
天御中主神とは、天(高天原)の中央に座する主宰神という意味で、宇宙の根源の神、宇宙そのものであります。
古代の三輪山と諏訪の御射山(みさやま)には、三光信仰がありました。
起源は世界最古の文明を誇ったバビロン王朝。
紀元前1830年~紀元前1530年にメソポタミア地方で栄えた王朝でハムラビ法典を作ったハムラビ王の時代。
世界最古の文明に繫がっているとはすごいですね。
日月星とは宇宙秩序の象徴。
下記の図のクドゥールという四基の石標がフランスルーブル博物館に展示されています。
古代バビロン王は諸侯を懐柔するために所領を与えました。
背面にびっしり刻まれた楔形文字は、その証文。
所領の誓いも命がけで、王が、手をさしのべ最高神、日月星、三光のもとで誓約しています。
そして現代日本日の丸
日月星の三光信仰の総本社が青麻神社
宮城県宮城野区にあります。
社家の遠祖・穂積氏は、饒速日(ニギハヤヒ)命の後裔となります。饒速日命のお名前がまさしく太陽神「天照国照彦火明櫛玉饒速日命」。饒速日命は、三輪山と関係しますので繋がりました。画像文章はwikiからお借りしてます。
青麻神社(あおそじんじゃ)は、宮城県仙台市宮城野区にある神社である。旧社格は郷社。旧称を青麻岩戸三光宮、青麻権現社、嵯峨神社などといい、日本各地にある青麻神社・三光神社の総本社である。
天照大御神・月読神・天之御中主神を主祭神とし、常陸坊海尊を併祀する。主祭神三神はそれぞれ日神・月神・星神であり、神仏習合の時代には大日如来・不動明王・虚空蔵菩薩としていた。
常陸坊海尊の霊験により中風封じ、社家の穂積氏が水運に携わっていたことにより海上安全の信仰がある。
社伝によれば、仁寿2年(852年)、社家の遠祖・穂積保昌が山城国から当地に下向し、一族が尊崇していた日月星の三光の神を山峡の岩窟の中に祀ったのが始まりである。穂積保昌が土地の人々に麻の栽培を教えたことにより「青麻」の地名・社名となり、神紋も麻の葉である。
天和2年(1682年)、源義経の家臣であった常陸坊海尊(清悦仙人)であると称する老人が当地を訪れ、中風を治す霊験を顕したことにより、当社に常陸坊海尊が配祀された。
明治8年(1875年)5月に郷社に列格した。
所在地:宮城県仙台市宮城野区岩切字青麻沢30
主祭神:天照大御神・月読神・天之御中主神・常陸坊海尊 社格:郷社
創建:仁寿2年(852年) 社殿:入母屋造 別名:青麻岩戸三光宮 例祭:5月1日
動画は秋田の青麻神社のものです。
https://www.youtube.com/watch?v=5qU74fbG1u0&t=1s
古代バビロン王朝から始まった日月星の三光信仰はいまでも日本に健在でした☆
日本とはスゴイ!感動しました。\(^o^)/♪
次は紀元前1600年頃に作られたネブラディスクです。美しい天文盤です。すばるに導かれています。o(^-^)oご訪問有り難うございます。ありがとう平和に感謝いたします。
https://sousyanomiya.jp/shuhen/aosojinja/ 【青麻神社あおそじんじゃ】より
元禄11年(西暦1698年)、山火事により古記録等を焼失せるにより不詳なれども、社伝によれば、第55代文徳天皇の御世の仁寿2年(西暦852年)、現社家の遠祖穂積保昌が山城国(現京都府)よりこの地に来たり、里人に麻の栽培を教え、且、一族の尊崇せる日月星の三光神即ち天照大御神、天之御中主神、月読神の三神を清水湧く山峡の岩窟中に奉祀せしが本社の創始と伝える。社名・地名も麻の栽培より起り、神紋も又麻の葉を用いる。仙台藩封内風土記(西暦1772年成立)にも、「岩切邑 本邑山中青麻と号する地あり 往古この地麻を植う 故に以て地名と為す 岩窟あり高さ一丈余・・・」と記している。天和2年(西暦1682年)源義経家臣なりし常陸坊海尊(清悦仙人とも称する)下野国(栃木県)出流山大日窟よりこの地に至り霊験を顕し給いしにより併祀する。古来より中風病退除(常陸坊海尊の霊験による)・海上安全(穂積一族が水運に携わっていたことに因む)等の特殊信仰があり、「三度詣でれば生涯中風の難よりのがれる」と伝えられ、各地青麻神社の総本社である。古くは、青麻岩戸三光宮、青麻権現社、嵯峨神社などとも称し、中世から近世の古図や文献にも記載が見える。安永5年(西暦1776年)、現社家を遡る十代祖鈴木儀衛門は神祇伯白川家より神主許状と對馬の称号を賜る。その子対馬保義に至り、彌々青麻神社の奉斎と社地の整備さらに神徳の普及と講中の組織化と拡充をすすめ、傍ら、社入を以て青麻・入菅谷付近の山地に40万本余の植樹造林事業を起こして国用を助け、その功労は寛政13年(西暦1801年)・文化5年(西暦1808年)の二度にわたり仙台藩より褒賞に與っている。延享3年(西暦1746年)伊達宗村公を始め、宝暦8年(西暦1758年)重村公、文政元年(西暦1818年)斉村公、慶応3年(西暦1867年)慶邦公等藩主の御崇敬と御参詣もあり、崇敬者は東北全域関東信越さらには北九州にも及んでおり、今も各地に青麻信仰の石碑や御分社を見ることができる。享和年間に社殿を再興し、明治8年5月郷社に列格。大正5年より、大正御大典記念事業として社殿の大増改築を行い、神域荘厳を加える。昭和43年不慮の火災に遭い、社殿・随神門・神楽殿を失うも、同45年に現社殿等を完成する。昭和58年4月27日、泉市(現仙台市泉区)山林より出火の山林火災は、折からの強風に煽られ3300ヘクタールの山林を焼失する未曾有の災害にも、神威の御加護により社殿及び神楽殿は類焼をまぬがれた。現社務所は昭和59年4月、現随神門は平成12年9月の再建になる。昭和42年、県の明治百年記念事業として、付近の丘陵地一帯が「宮城県民の森」に指定整備され、大都市近郊にありながら人々の憩いの森として保護育成されるに至るは、真に御神縁の発露と畏むものである。
宮城県仙台市宮城野区岩切字青麻沢32