ゼロポイントフィールド
https://www.maruzenjunkudo.co.jp/products/9784864513388 【第4の水の相 ジェラルド・H・ポラック(著)】より
商品説明
「第4の水の相」は、水が親水性の性質をもつ固体の面に接した時に作られ、液晶状の構造を持ち、「情報を記憶する」可能性を備えている。
★『第4の水の相』★
「水には固体(氷)、液体、気体(水蒸気)の3相(3態)がある」ということはよく知られています。
著者らの実験で、電気を帯びた物質の周囲の水が数百マイクロに渡って液晶化することが明らかにされ、3相に続く『第4の水の相』(第4番目の相)である液晶状態の水(氷と水の中間の中間に位置する)は通常の水に比べてより高い秩序があり、記憶作用を持つ水であると考えられています。
その分子構造は、層の平面に垂直の方向から見ると正六角形が平面に敷き詰められた形、つまり蜂の巣状の形になっています。
この『第4の水の相』は電気エネルギーを蓄えることができ、『第4の水の相』とその外側の層に電極を差し込むと電気が流れ、赤外線を照射すると『第4の水の相』が数倍に増加するなど、水が環境中の微弱エネルギーを吸収することで『第4の水の相』を生み出すことが推測されています。
「水には固体・液体・気体という3つの「相」が存在する、ということは、常識中の常識です。しかしながら、実は水には、第4番目の「相」とでも呼ぶべき、特殊な状態が存在します。
この『第4の水の相』は、私たちの身体の7割を占めると言われている水においても、地球という惑星全体を巡る水の大循環においても、あるいは地表の7割を占める海洋においても、決定的に重要な役割を果たしています。この『第4の水の相』を理解することなしに、私たちは決して水を理解したと言うことはできません。」
「水は、化学的や光学的なものから始まって、電気的や力学的なものに至るまで、あらゆる種類の仕事をこなすことができる、ということは明らかである。これらの仕事を行うのに必要なポテンシャルエネルギーは、電荷の分離によりもたらされる。そして、この電荷の分離は、放射エネルギーが吸収されることによって引き起こされる。水に蓄積されるそのエネルギーは仲介役として働き、ありとあらゆる仕事、すなわちエネルギーの出力を駆動するために使われる。この一連の流れは光合成と酷似している。」
「本書を読むにあたり、読者は科学者である必要はない。本書は初歩的な科学の知識さえ持っていれば、誰でも読めるように作られている。正と負が引き寄せ合うことを理解し、化学の周期律表のことをどこかで聞いたことがあれば、本書のメッセージは理解できることと思う。しかし既存の教義に真剣な疑問を投げかける行為を軽蔑する人々にとって、本書のアプローチは不快に感じられることだろう。なぜなら本書の全編にわたり、既存の教義への挑戦が織り込まれているからだ。本書は正統派の科学書ではない。湯気の立ち込めるホットなシーンと予想外のどんでん返しでいっぱいのストーリーであり、それらのすべてが読んで楽しく、読みごたえのある作品を構成しているものと私は願っている。」
(本文より)
https://academist-cf.com/journal/?p=6995 【「量子スピン液体」の神秘性 – 宇宙と物質のあいだにある不思議な対応関係とは山田昌彦】より
固体なのにドロドロ?
「量子スピン液体」とはなんでしょう? この疑問に答えるためにはまず、「量子」「スピン」「液体」という3つの概念について物理学的に理解する必要があります。「液体」は皆さんご存知のとおり、水やアルコール、油といったサラサラ、もしくは、ドロドロ流れる物質です。「量子スピン液体」と物理学者が呼んでいる物質はこれらすべての液体と異なり、実は固体です。典型的な量子スピン液体の候補はたとえばハーバートスミス石と呼ばれる鉱物で、宝石のように透き通った綺麗な固体結晶として産出されます。ではなぜこのような「固体」が「液体」と呼ばれているのでしょうか?
液体と呼ばれている以上、何かがサラサラ、もしくは、ドロドロ流れているようなものでなくてはなりません。しかし、量子スピン液体の中には目で見ることのできる何かが流れているわけではありません。それどころか、顕微鏡ですら見ることができません。たとえば、固体のなかでも「金属」と呼ばれる物質の中にはとても小さな電子が流れています。電子一粒一粒は見えませんが、電子顕微鏡と呼ばれる高性能の顕微鏡を用いると、金属中を動き回ることでうっすら雲のようになった電子を見ることができます。この意味で、金属は「電子の液体」です。一方、「量子スピン液体」は普通の意味での「液体」でもなければ、金属のような「電子の液体」でもありません。それでは一体何が流れているのでしょうか?
スピンとは何か?
この疑問に答える前に「スピン」を説明します。ここに磁石があるとします。磁石にはN極とS極があります。この磁石を切ったらどうなるでしょう? N極とS極が分離できるでしょうか? いいえ、それはできません。磁石を2つに分けても、そのあいだに新たなN極とS極が現れ2つの磁石に別れるだけです。さらにこれを繰り返して原子や電子の単位まで磁石を分割してもN極やS極は残ります。これは、磁石の中の小さな原子や電子(や原子核)にも実はN極やS極があることを意味します。それどころか、磁石に限らずあらゆる物質中の電子もまた、実はN極やS極を持っています。このように物質中の電子が持つ「ミクロな磁石の向き」をスピンと呼びます。
磁石(左)を切り分けてもN極とS極を切り離すことはできない。これを何回も繰り返して行き、最終的に分子や原子のスケールまでバラバラにしても、N極やS極は残る。このことは原子や電子(右)にもN極とS極があり磁石として振舞うことを示している。ここではスピンの向きを便宜上N極からS極に向けて矢印で示す。
電子のスピンには色も形も匂いもありません。しかし、スピンも物質中にたくさんあると「固体」「液体」「気体」という3つの状態を取ることが知られています。これは、原子や分子がたくさん集まることであらゆる物質が、温度や圧力によって「固体」「液体」「気体」という「物質の三態」で分類されるのと同様です。ところが、スピンは物質中にたくさんあるにも関わらず、光では見えませんし、触ることもできません。唯一、その磁石としての性質、つまり、N極やS極を持ち磁石に引き合うかどうかという「磁性」(もしくは熱力学的性質)によってのみ調べることができます。たとえば、物質中のたくさんのスピンたちがそれぞれ独立して向きを変えるバラバラの磁石だと思えるとき、その物質は「常磁性」状態であると言います。「常磁性」は物質の三態で言うと「気体」に相当します。
高校で習った理想気体と同様、「常磁性」物質中のスピンもスピン同士がほとんど相互作用せず、独立に向きを変えることができると仮定して説明できるため、スピンの「気体」に相当する。スピン間の相互作用により、スピンの向きがある一定の方向にパターンを持って整列する、強磁性や反強磁性状態がスピンの「固体」に相当する。どちらでもない、スピン間の相互作用が強いにも関わらず、スピンがパターンを持って整列しない状態がスピンの「液体」に相当し、これを元に磁性体(右)においても普通の物質(左)と同様の「状態図」を描くことができる。
熱ゆらぎと量子ゆらぎ
鉄などの例外を除くと、多くの固体は室温で常磁性を示します。これは、室温が非常に大きな熱エネルギーを持ち、その熱ゆらぎによってスピンは相互作用によらずランダムに振動するからです。これらの物質は、冷やしていくと「相互作用の強さ」と「熱ゆらぎの強さ」の大小関係が変化し、相互作用の影響で凍結した「固体」状態になります。
気体の二酸化炭素を冷やしていくと、摂氏マイナス79度で「昇華」し、固体のドライアイスに変化する。これは冷却した二酸化炭素は熱ゆらぎでバラバラに運動するよりも整列して固体として結晶化した方が、ファンデルワールス力による相互作用エネルギーを減らすことができるためである。同様に、スピン同士が強く相互作用する磁性体においてもスピンがバラバラの常磁性、「気体」状態から、低温でスピンの整列した「固体」状態へ変化する。
ドライアイスの場合と同様に、室温でスピンがバラバラで常磁性を示す多くの物質は、冷やしていくと相互作用エネルギーを減らすために整列し、強磁性や反強磁性といった、スピンの向きがある一定の方向にパターンを持って整列した「固体」に相当する状態となります。
では最後に、スピンにおける「液体」状態とはどのようなものでしょうか? その前に実は、「物質の三態」における液体状態も細かく見ると「普通の液体」と「量子液体」の2種類に分類できることを説明します。水やアルコールのようなほとんどすべての液体は量子液体ではありません。「普通の液体」では原子の運動が古典的な熱ゆらぎによって起こっているため、絶対零度の極限まで温度を下げていくと、どこかで熱運動が存在しなくなり、分子間の引力相互作用により固体に凝固します。一方で、「量子液体」は量子力学でしか説明できない液体のことで、絶対零度でも固体にならず液体のままとどまります。これは量子力学において絶対零度でも原子や分子のゼロ点振動が存在するためで、特に液体ヘリウムは絶対零度近くでも固体にならず、量子液体に分類されます。
スピンの量子液体
結論を言いますと「量子スピン液体」とは「スピンの量子液体」状態のことで、スピン同士が互いに強く相互作用しているにも関わらず、絶対零度までスピンの向きが整列したパターンを取らない状態として定義されます。極低温までスピンの向きが整列しない量子スピン液体にはいくつかの候補物質が知られていますが、その中に何が流れているのかは長らく謎でした。たとえば、有機物の量子スピン液体の候補物質は、比熱を測定するとまるで金属であるかのように振る舞います。これらの物質はどれも絶縁体なので、中に「電荷を持たない電子のようなもの」が流れていることが示唆されます。果たして、このようにスピンが集まることで新たな謎の粒子が現れることが量子力学において許されるのでしょうか?
キタエフ模型とマヨラナフェルミオン
この問いに理論的な決着をつけたのが「キタエフ模型」の理論です。キタエフ教授は、スピンがたくさん集まった系の理論模型であるキタエフ模型を作り、その中をマヨラナフェルミオンと呼ばれる「電荷を失った電子」が流れることを数学的に証明しました。また、そのドロドロ流れる未知の粒子を比熱や熱伝導の測定により捉えられることも示しました。このキタエフ模型は、量子スピン液体が実体のない仮想的な液体状態ではないことを示した意味で画期的でしたが、この模型で予言される現象を完全に実現する物質は未だに知られていません。
私の研究はキタエフ模型を実現する物質の理論的な設計です。今まではイリジウム酸化物やルテニウム塩化物などの無機物が注目されていましたが、その可能性を有機物へと広げたことが主な研究成果です。量子スピン液体の面白さは、その「ドロドロさ」にあります。キタエフ模型の中のマヨラナフェルミオンは気体の分子のようにバラバラに運動しているのではなく、「創発Z2電磁場」の影響を受けながらドロドロと運動しています。驚くべきことに、このような創発現象は宇宙を記述する標準模型である「ゲージ理論」と数学的にまったく同じ構造をしています。
物質中での創発現象と素粒子の標準模型には神秘的な対応関係がある。特に、およそアボガドロ数個のたくさんの原子が集まったマクロな世界と、原子よりもはるかに小さく顕微鏡ですら見ることのできないミクロな世界が同じ数学の言語で記述されるというのは驚きである。素粒子の標準模型にはニュートリノという素粒子が含まれるが、近年標準模型を超えた物理としてニュートリノにマヨラナフェルミオンとしての性質があるのではないかと指摘されている。創発現象は宇宙空間のように希薄な世界では起こらないにも関わらず、マヨラナフェルミオンとしてのニュートリノとゲージ理論の関係は、キタエフ模型におけるマヨラナフェルミオンと創発Z2電磁場の関係に似ていて、ここにも不思議な対応関係がある。
最後に
キタエフ模型は数学的に解くことのできる単純な構造を持っていますが、一般の他の量子スピン液体はより複雑で多彩なゲージ理論で記述されます。
反強磁性を示す磁性体において、となり同士のスピンは普通逆向きにペアを作りたがるが、三角形のモチーフを単位としたスピン配置(左)においては、スピンたちが互いにカップルを作れないドロドロとした「三角関係」を構成する。特に、かごめ格子(右)と呼ばれる格子上にスピンを並べるとスピンは低温で整列することができない。このようなスピン配置においてどのような未知の粒子・ゲージ理論が現れるのか、未だにはっきりとはわかっていない。
我々人間一人一人が周囲の複雑な人間関係や社会構造に悩みながら生きるように、スピンたちも周囲のスピンとの「フラストレーション」を感じながら独自の物語を生み出します。私たちが不完全な人間であるからこそ世界に美しさが存在するように、量子スピン液体もまたその性質が厳密に解き明かせないからこそ神秘的な魅力があるのです。
参考文献
[1] “Magnetic three states of matter: A quantum Monte Carlo study of spin liquids,” Y. Kamiya, Y. Kato, J. Nasu, and Y. Motome, Phys. Rev. B. 92, 100403(R) (2017).
[2] “Anyons in an exactly solved model and beyond,” A. Kitaev, Ann. Phys. 321, 2 (2006).
[3] “Designing Kitaev Spin Liquids in Metal-Organic Frameworks,” M. G. Yamada, H. Fujita, and M. Oshikawa, Phys. Rev. Lett. 119, 057202 (2017).
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ゼロポイントフィールド仮説 田坂広志
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神道で言うところの「空」 仏教で言う「阿頼耶織」 インド哲学の「アーカーシャ」
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この世界は「巨大な湖」
まず、素粒子などのミクロな物質の性質を解き明かす物理学である「量子力学」によれば、私たち人間も含めて、この世界に存在する「物質」と見えるものの本質は、実は「波動」であることが分かっています。硬い固体に見える物質も、ミクロに見れば電波のような波動なのです。
すなわち、この宇宙を「巨大な湖」にたとえるならば、私も読者の皆さんも、そして、我々の心や意識も、その水面に生じた「波紋」のようなものなのです。
一方、私たちの生きるこの宇宙の背後には、観測することが難しい巨大な「エネルギーの場」が存在しています。それが「量子真空」と呼ばれる目に見えない場です。
「真空」とは、分子や原子も存在しない「何も無い空間」のことですが、実は、その空間にも莫大なエネルギーがひそんでいるのです。
そのことを象徴するのが、最先端宇宙科学が示す「インフレーション宇宙論」です。これによれば、この壮大な宇宙は、138億年前、極微の「量子真空」が突如、急激な膨張を起こして生まれたとされています。
すなわち「量子真空」とは、この宇宙のすべての空間の背後に、普遍的に存在するエネルギーに満ちた場なのです。
そして「ゼロ・ポイント・フィールド仮説」とは、この「量子真空」の中に、この宇宙で生じたすべての出来事が「波動情報」として記録されているという仮説なのです。
先ほどのたとえで言えば、世界のすべての出来事が「巨大な湖」に生まれた波であるならば、その波をすべて記憶している「目に見えない巨大な湖」が、背後に存在しているということです。
人もすべて「波紋」である
もし、この仮説が正しければ、私たちの人生や思考の情報も、何らかの形でそこに記録され、保存されている可能性があるでしょう。
そして、これまでの科学では説明できなかった予知や予感、以心伝心、臨死体験や前世の記憶といった不思議な現象も、実は、「ゼロ・ポイント・フィールド」に波動として記録された情報に、たまたま何らかの方法でアクセスしてしまったから生じたものと考えれば説明がつきます。
また、私たちの肉体が死んでも、私たちの記憶や想念や意識の情報は「ゼロ・ポイント・フィールド」に永遠に残されるのかもしれません。これが、私が『死は存在しない』という著書で語った理論の要点です。
この「フィールド」に記憶された我々の意識が、肉体の死後、どうなっていくかについても、本書では大胆な仮説を述べました。
もちろん、こうした理論は現段階では仮説にすぎません。荒唐無稽な考えだと思う人も多いでしょう。
しかし、近年では従来の常識を覆す科学理論が次々と生まれています。また、動物の帰巣本能や細胞の機能形成、意識の発生プロセスや量子のもつれ現象など、現在の科学では説明できない現象が、まだ数多くあるのも事実です。
こうした現象を解明していくためには、既存の科学理論だけを盲信すべきではないでしょう。
「降りてくる」の正体
一方、この「ゼロ・ポイント・フィールド仮説」が示す世界観は、古代宗教の教えと不思議なほど一致しています。
たとえば、仏教の「阿頼耶識」や、インド哲学の「アーカーシャ」の概念は、いずれも「世界のすべての情報が記録されている場」を意味していますが、これは、「ゼロ・ポイント・フィールド仮説」と同じことを述べています。
私の友人で昨年亡くなった音楽家の坂本龍一氏は、生前、「自分はドビュッシーの生まれ変わりだ」と述べ、「ふと意識を失っていた間に、曲が生まれていた」とも語っていました。彼のような天才は「ゼロ・ポイント・フィールド」につながり、過去の優れた音楽家の「波動」を受け取る力に長けていたのではないか、という気がします。
私も百冊余りの本を書いてきましたが、「書くべきことが降りてきた」と感じることが、しばしばあります。実は、誰でも多かれ少なかれ、そうした経験があるのではないでしょうか。
そうであるならば、瞑想や祈りの技法を通じて、人は誰でも、人類の叡智が記憶されたこの「フィールド」につながることができ、様々な能力や才能を開花させることができると、私は考えています。
しかし、本書がめざしたのは、人間の能力開花への道を示すとともに、科学と宗教の統合への道を示すことです。
現在の科学と宗教は、互いを否定し、批判していますが、我々が日常的に体験する予知や予感、以心伝心などの不思議な現象に、科学的な根拠が示されるならば、多くの人々の人生観と世界観が変わっていくでしょう。
特に、「肉体の死後も、我々の意識はゼロ・ポイント・フィールドに残る」という可能性が科学によって示されるならば、我々の生き方は、根本から変わるはずです。