天は自ら助くるものを助く
facebook田中 宏明さん投稿記事
もし神さまがいて僕たちの人生のあれやこれやを手取り足取り助けてくれたとしたら
僕たちはいつ自分自身の力を知ることが出来るでしょうか?
一人暗い真夜中の道を歩きながら不安と心細さに耐えながら夜明けの光を見た瞬間の喜びと安堵をどうして知ることが出来るでしょうか?
神さまはそんなあなたの素晴らしい体験を台無しにするようなそんな野暮のことはしないでしょう^ ^
だからはるか昔から人間がどれだけ神に助けを求ようと空から救世主が降りて来たことは一度もないはずです
そしてこれから先も人類にどんな困難が訪れても神や救世主が降りて来ることはないでしょう
永遠に神は沈黙したままです
では僕たちを助けてくれる神も仏も存在しないとしたら一体誰がこの苦しみを救ってくれるのでしょう?一体誰がこの世界を救ってくれるのでしょう?
それはもちろん僕たち自身です
なぜなら神さまとは僕たちのことだからです
嘘だと思いますか?ではそうですね例えば今あなたの目の前に花があるとします
それを土から引き抜いてください 当然ですが花は枯れて死んでしまいます
同じように今目の前に枯れかけた花があれば水をあげることも出来ます
どうですか?もしその花があなた自身だとしたら あなたならどうしますか?
そうなんですあなたにしかあなたは救えないのです
同時にあなたにしかあなたを不幸にすることは出来ません
仮に誰かが水をあげようとしてくれてもあなたがそれを受け取らなければ
花は枯れてしまいますつまりいかなる場合においても救世主とはあなた自身のことなのです
あなたは自分を無力だとあまりにも深く信じてしまった ちょっと変な神さまです
もうそろそろ本当の自分自身を思い出す時です
「天は自ら助くるものを助く」という言葉がありますがそりゃー当たり前です
だってそれしか 出来ないんだから(笑)
あなたが天で あなたが神さまで あなたが愛そのものなんだから
今これを読んでいる全ての神さまにらぶ💓
コメントのやり取り
一人一宇宙の創造主は自分しかいないですよね。
田中 宏明
南 陽子 さん^ ^はい^ ^おっしゃる通りです😁自分しかいません✨
自分しかいない故にどれだけ救いを求めても叶いません^ ^
外側の世界から不幸にされたと信じている限りその世界が創造されていくだけです
^ ^そうして自分が信じた通りの世界を生きていますさすが創造主^ ^
でも、どうせならもっと素晴らしい創造を創り出すべきですね^ ^
バッドニュースはもう聞き飽きましたから😆
いつもありがとうございます😊らぶ💓
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癒しから変容に♡♬
人は誰しも 霊魂の成長を願い 人生を歩むと言われます。人は誰しも すべてを超えて 本来の自分に還る時・「吾であり宇宙である」事実を体感しワンネスに安らぐ時を 得るのではないでしょうか ?
しかし吾とは?本来の自分とは???宇宙観そのものも 一人一人異なります。(一人一宇宙とも言われますね)
和多志にとって吾とは 肉体に宿る「選択の責任主体」=潜在意識と顕在意識がひとつになった霊魂を意味します。
人生の全ては自分の選択の連続であることに はっきりと氣づくと被害者意識から解放され 家族や これまで出会ってきた人たちへの 愛があふれ 癒しを超えた 成長・変容が生まれるのではないでしょうか。
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思春期、和多志は生きる意味ばかり問い続けました。ある理科の教師が 「命の営みはリトマス反応のようなものだよ」と言ってのけました。
その時はショックでしたが 今はわかる氣がします。心は反応ですから。そしてエネルギーですから。
http://ameblo.jp/wake-up-japan/entry-11836315565.html 【感情が身体感覚に与える影響が視覚化される】参照
心と魂は違いますね~魂はセルフといわれる選択の主体・吾
心は「ころころ変わる連続的なエネルギーの流れ」であり現象世界への反応と言えそうです。
ニュートラルに生起する現象世界にどのように反応するかは千差万別です。(唯識論・一人一宇宙)
心は吾が生み出すもの。想念とも言えます。
自分の思考パターン、セルフイメージ、感情、記憶、などなど~~そしてこれらは 心のアンカー・人生脚本・ドライバーとなり自分を縛り続けます。
過去と未来に縛られ 今を生き難くします。心に操られないで心の主になりましょう。
心は吾ではないのだから。
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イメージが一人一宇宙の現実を生む;唯識論
塵、芥にはポジティブなイメージは伴わないのでしょうか?
ダンワールドのワークショップに参加したとき テキストに ゴミのようなものは (エクササイズであったとしても) 汚いという現実認識が強すぎて リフレーミングができないと書いてありました。
しかしゴミを「豊かさの象徴」と考えると ゴミもポジティブなイメージに変えられると思わずにはおれませんでした。もっともこの豊かさは貪りの表れで ネガティブというのであれば 話は別.......善悪の区分をするのはややこしいですね。
しかしあえてポジティブを選択し続けると 脳のオペレーションシステムはポジティブシンキングになり ポジティブな事象を引き付け続けるというのですから 更にややこしい。
しかも一度掛けた心の色眼鏡(自己イメージ、人生脚本)は自力で取り外すことがとても困難です。しかも色眼鏡を通してすべてを見ますから その色はスタッキングアンカーされ、 ますます濃くなってしまいます。
いろいろな心の刷り込みがありますが ジェンダーの刷り込みは大問題です。「男は~であるべし」「女の子のくせに」こんな押しつけ(外的抑圧)は誰もが経験しているのではないでしょうか。
幼い頃自分の性を否定された(例えば 男児の出産を期待された中で女児として生まれた、レイプなど)ことで 一生を左右するほどの 自己否定感を抱いた人によく会います。性は生です。性の否定は生の否定に繋がります。
心の色眼鏡(自己イメージ、人生脚本)は氣がつかないうちに掛けてしまいます。
唯識論に立つと 自己イメージのように和多志たちは生きていきます。