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羽黒山神社

2024.12.21 05:08

https://www.youtube.com/watch?v=7jiUXHe5fmk 【【神社】宇都宮市 羽黒山神社 富士見の穴 栃木県】より

宇都宮市の北の方の標高458mの羽黒山の山頂付近にあります。1000年ほど前からあるそうです。鎌倉時代より古いってすごいですよね!

私たちは自動車で上がって、鳥居の近くの田楽茶屋で「そばランチ」をしてこちらの神社に参りました。運動をしていない体にはきつい参道の階段でした。

 途中に樹齢450年といわれる立派な杉の木=夫婦杉があったり 上がりきったところの境内にはこれも立派な杉の三代杉があったりしました

 社殿がガラス張りで中の様子が見れるようになっていたことに気づかずお参りしておみくじ引いただけで登りで疲れ果ててて通り過ぎてしまいました。

神社で、秋には梵天祭といってふさふさした梵天?がついた10m以上の長い棒をふもとから神社の境内まで持って上がるお祭りがあるようですその梵天が社殿の左側にたくさん立てかけてありました

富士見の穴 って何だろうって思っていましたら

 そういう事だったんですね、今日は富士山は見れませんでしたが

 あの穴から赤富士 みたいですね。

展望台からのスカイツリーは、右側の樹木の葉っぱぎりぎりに見えそうですね。

羽黒山神社の情報は 下記に紹介されています。ご参考 宇都宮市公式Webサイト

 https://www.city.utsunomiya.tochigi.j...


https://www.utsunomiya-cvb.org/event/detail_20001.html 【梵天祭り 五穀豊穣・家内安全を願って梵天を奉納する羽黒山神社の例大祭】より

約300年前に始まったとされる「梵天祭り」。五穀豊穣・家内安全を祈願する羽黒山神社の例大祭で、毎年11月第3土曜日に開催されます。梵天とは、孟宗竹と真竹を継いだ15メートル程の竿に、色鮮やかな房をつけたもののこと。ハッピを着た若者たちが梵天を担ぎ、羽黒山(高さ458.2メートル)にある神社の参道手前から、「エッサエッサ」と掛け声をかけながら登っていきます。2024年からは花手水や着物でフラなどの催し物も行われています。

祭り当日は沿道100店ほどの沿道に屋台や露店がずらりと並び、大いに賑わいます。上河内の名産品であるゆずを販売する屋台も多く出店しているので、お見逃しなく。


https://utsunomiya-8story.jp/archive/contents_05/co_32/ 【羽黒山神社の梵天祭り】より

 羽黒山神社の梵天祭りは、約300年前の江戸時代に始まったと伝えられています。梵天とは祭礼に用いる大型の幣束〔へいそく〕で、神様を招く目印になるものです。梵天は孟宗竹〔もうそうちく〕を2本(片方は根付き)それぞれ枝葉を払い、荒縄を巻き付けてつなぎ合わせ1本の竿〔さお〕にし、その先端に昔は和紙や麻などと供に収穫物を付けたものです(現在はビニールテープで大きな房状に取り付けたものが多い)。これを、そろいの法被を着た若者たちが、掛け声を掛け、梵天の房を天に向かって跳ね上げながら、今里の宿内を勇壮に引き歩いた後、羽黒山頂上に祀〔まつ〕 られる神社に奉納するため、山頂に向かいます。神社に着くと、社殿横のやぐらに梵天を立て付け、奉納し、秋の収穫を祝い、縁起物の祝い餅などがまかれます。

 近郷近在より十数本の梵天が力強く奉納されるところから「梵天祭り」の名が付きました。

 祭りの当日、羽黒山の麓には、多数の露店が軒を連らね、名物の柚子〔ゆず〕が所狭しと並びます。また、地元の家々では、梵天祭りのためのごちそうとしての「鮎のくされ鮨〔ずし〕 」を作る習わしがあります。

 梵天祭りは11月の第3土曜日,日曜日に行われています。


https://ameblo.jp/hagurotetsu/entry-11453833584.html 【お軸を替えました。】より

というか、気がついたら替わってました・・・

わが家の座敷の装飾は私はかまっておりませんので(^^ゞ

羽黒神社本宮であります、出羽三山神社のお軸でありますが、向かって右の御神号のお軸が、20年前の平成5年に私と家内が詣でた時に受けてきたもので、左の御神像画は昨年、母と姉が一緒に詣でた時に受けてきたものでございます。

授与所の頒布品ですから、どっちも印刷物ですけどね、御神号の方はその時の宮司様が書かれたもので、今は今の宮司様の書が頒布されているようです。

床の間は、もともとは元日から15日までと、お盆の1日~15日までの間、年神様とご先祖様をお祀りするための臨時の祭場で、お正月は松の内が過ぎるまで、おめでたいお軸などを下げてお鏡餅をお供えします。

コチラ↑が松の内の間のわが家のお床ですが、15日も過ぎたので、昨年賜ったお軸をはじめて下げたそうです。

出羽三山は、月山、羽黒山、湯殿山の総称で、山頂にそれぞれ、月山(がっさん)神社、伊氐波(いでは)神社、湯殿山(ゆどのさん)神社が祀られていますが、月山・湯殿山は冬季は閉山していて参拝できないため、羽黒山に三社の神様を合祀した三神合祭殿(さんじんごうさいでん)が建立されています。

全国羽黒神社の総本宮とはいいながら、奥能登に鎮座する羽黒神社からは遠く、なかなか参拝することがむつかしく、先代羽黒神社宮司であった私の父は、実は一度も参拝したことがありませんでした。

今から28年前、ちょうど銀婚式を迎えようとしていた両親は、その記念に本宮である羽黒山参拝旅行を計画していたのですが、残念なことにその年の夏に父が急逝してしまい、その計画は無くなってしまったのですが、その代わりと言っちゃなんですが、私が結婚した年に、家内と一緒に詣でたというわけです。

が、生きている間に一度は羽黒山へ詣でたいと願っていた母に、都会に住む私の姉が参拝旅行を持ちかけ、昨年それが実現いたしました。

そのことはしばらく口止めされていて、ブログ記事内では「私の身内」という風に書いていたのですが、最近いろんな人に「行ってきた~♪」って言いまくってますので、もういいのかなと(^^ゞ そういうわけで、その折に受けてまいりました(神社でお初穂料を納めていただく授与品は「買う」とは言わずに「受ける」と申します)のが、この御神像画の掛け軸。

中央に月山神社の月読命(つきよみのみこと=つくよみのみこと)、向かって右が湯殿山神社の大己貴神(おほなむちのかみ=大国主命)、少彦名神(すくなひこなのかみ)、大山祇神(おほやまづみのかみ)、そして向かって左が羽黒山、伊氐波神社の倉稲魂神(うかのみたまのかみ)、玉依姫神(たまよりひめのかみ)、そして開祖蜂子皇子命(はちこのすめみこのみこと=能除太子)であります。

出羽三山のご祭神は時代によって諸説があり、特に羽黒山では「伊氐波神(いではのかみ)」とされ、即ち出羽(いでわ)の国の国魂(くにたま)であるのですが、「羽黒」と書いて「ウガ」と読む時代もあり、また荘内地方を潤す「水の神=龍神」の信仰から、次第に穀物をつかさどる「ウカノミタマの神」が充てられていったようで、当羽黒神社も主祭神は倉稲魂神であります。

倉稲魂命は、特に男神とも女神とも伝えられていませんが、同じ食物神である「豊受姫神(とようけひめのかみ)」や「大宜都姫神(おほげつひめのかみ)」などと異名同神ととらえられることも多く、ここでは姫神として描かれています。

また、玉依姫神は羽黒山鏡池に住む龍神の化身といわれ、御姉君の豊玉姫神とともに、やはり「水の神=龍神」としての信仰があります。

絵のそこかしこに「恵みの水」が流れていますね。

「月山之神・蜂子命・湯殿山之神・羽黒山之神」の印。

この原画はどなたが描かれたのかは存じ上げませんが、普通、羽黒山と湯殿山の位置が反対なので、廃仏希釈間もない頃の絵ですかね?

蜂子皇子命がご祭神と一緒に描かれているのもそうですが、廃仏希釈前の絵は法衣を纏い、苦行の末の恐ろしい形相として描かれていますが、このお軸の皇子はえらくやさしいお顔です。

羽黒神社の斎館の床の間も、太子講大祭が終わりますと、聖徳太子のお軸を外して、通常の「月山大神、出羽大神、湯殿山大神」の御神号のお軸に戻しまして、今日は久しぶりの晴天の一日でしたので、境内清掃にいそしんでおりました♪

境内におりますあいだ、ちらほらとご参拝に訪れる方がおられましたが、全員氏子外の方でした。あ、おまけですが、出羽三山の天狗と、修験者の守護神カラス天狗。こちらは元日からずっと玄関に飾ってあります(^~^)