おばあちゃんの話
こんばんは
ミナエルヨガです
本の面白いな〜と思うところ。
色々あるけど、1つは
選ぶタイミング
だと思う
買ってすぐ読破する本もあれば
途中でなんとなく読まなくなった本もある
買ったのに読んでない本もあるくらい
でも、随分と前に買った本が
ある日突然、呼ばれたような感覚になるとき
ありませんか?
無意識のうちに手が伸びていて
何気なく読み始める
大体そんな本はあたしの一生を変えてくれるくらい
大切な知識や忘れられない言葉が詰まっている
今回読んだ本が正にその本だった
スウェーデンのグループホーム物語 〜ぼけても普通に生きられる〜
この本は1985年に開園されたバルツァゴーデンというグループホームに住む
痴呆症老人とそのスタッフ・入居者の家族の記録を綴った本
できないと決めつけないで
その人にあった
出来ることを引き出してあげる
1人1人のライフスタイルを尊重して
部屋の家具などは使い慣れた物を使用し
変わらない空間作りをするという
その他にも
オムツの使用をやめ
1人1人の排泄のタイミングや時間を把握し
その時にトイレに連れて行く
また
痴呆症になった時に感じる
大きな不安や恐怖感
それらを和らげるのも大切なケアだと。
痴呆症になった人にしか分からない
不安感
今まで生きてきた自分をどんどん忘れていく不安
分かっていたことが分からなくなる恐怖
その中でも
覚えていることは必ずある。と
ある人は普段言葉がうまく出てこないのに
楽器を持つと一語一句間違えずに唄を歌えたり
昔の話は永遠と話し続けることができたり
長年家事をしてた人は
誰よりも綺麗に片付けることが出来たり
昔の生きていた道筋は
自分の中にしっかり仕舞い込んであって
それは忘れてなんかいないということ
1人1人のライフスタイルに沿ったケアをする
バルツァゴーデンの様子と
それらを実行していく上で重要なこと(ケアスタッフの心の余裕・家族のフォロー)
なども書かれていて
本当に素晴らしい1冊だった
この本はもう2、3年前に古本市で買った本達の中の1冊だったと思う。
興味があって読みたかったのに
ずっと本棚にこの本はいつもいて
ひっそりと
この時間を・タイミングを待っていたように感じる
この本を手に取ったのは紛れもなく
2019年元旦があったからだ
私の祖母は
痴呆症で
数年前から病院の施設で生活を送っていた
それが
昨年末に家の近くの介護施設に入ることができた
その祖母が元旦に外出ができることになったので
親戚一同集まって
食事をしようとなったのである
久々に会った祖母は
また一段と小さくなっていた
少しの距離も歩けなくなっていて
母親曰く、施設ではほとんど車いすで移動しているからだと言っていた
私たちのことを
分かっているのか いないのか
ふわふわと宙を浮いたような表情はずっと空を漂っていて
私は少し胸がギュっとなった
みんなが集まって
大人子供合わせて20人近くの人間と
犬や猫
大きな部屋の誕生日席に
背もたれの椅子が用意され
祖母の子供(私の父親やおっちゃんやおばちゃん)が近くに座って祖母を囲む
その中で相変わらず
ふわふわと漂っている祖母の目は
昔と変わらず温かかった
痴呆症になってから
一緒に住んでいた時は
祖母は変わったと
いつもやっていたことが出来なくなったと
失望と苛立ちがいつも襲いかかっていた
でも
少し距離があき改めて祖母を眺めると
祖母の芯は何も変わっていなかった
私たちを温かい目で見つめて
小さくなった手は
むかしに私の肩を撫でてくれた
温かな手のままだった
祖母の忘れゆく恐怖感や
果てしない不安感を想うと
更に胸がギュッとなるけれど
それを認め
周りは優しく
見守るべきなのだろう
家で飼っている犬を見て
いつもと変わらない笑顔で撫でているときや
安心した表情で空間を楽しむ祖母の姿は
まさしく
昔から動物が好きなことや
ずっと住んでいた家の空間を
忘れてないからに違いない
答え合わせのように
ピタリと当てはまっていく本の回答は
2、3年前に買ったときから
いつかこの日がくるのを
どこかで分かっていたから
かもしれない
また次
ばーちゃんに逢ったら
あたしは
昔の話をしてみよう
飼っていた犬と散歩をしたこと
家の向かいの畑で作業をしてたばーちゃんと
大きく手を振り合ったこと
歯医者さんに連れて行ってもらったこと
ばーちゃんの作るカレーが大好きだったこと
車はいつもゆっくり走行だったこと
体調が悪いあたしの背中をずっとさすってくれたこと
戦争の話をしてくれたこと
そんなばーちゃんが
あたしはずっと大好きなこと
祖母は変わってない
変わってしまったのは
あたしのほうだ
Warmly
MINAel Yoga