Ameba Ownd

アプリで簡単、無料ホームページ作成

依代

2024.12.22 14:10

https://blog.goo.ne.jp/junko-f2/e/13b6f7d4c34baf3df737b1302ff789a0 【だいだら坊の背負い石】より

だいだら坊の背負い石(だいだらぼうのせおいいし)。

場所:茨城県桜川市平沢。「大神台遺跡」(前項)から道なりに北へ、約1km。「平沢高峯展望台」に行く途中。入口に案内板あり。駐車場なし。

関東地方には「ダイダラボウ」という巨人の伝説が多い(「大串貝塚」2018年7月14日記事参照)。特に、茨城県では「筑波山」と関連付けられた伝説があり、例えば「ダイダラボウが筑波山に縄を掛けて持ち上げたところ、縄が切れて落っこちた。そのとき、山が2つに割れたので、筑波山は男体山と女体山の2峰になった」とか。

「だいだら坊の背負い石」も、そうした伝説の1つで、石造の現地説明板によれば「だいだら坊が背負ってきた巨石の縄がここで切れ、足で蹴って動かそうとしたが動かないので、そのまま置いて立ち去った。巨石には、そのときの縄目と蹴った時にできた足跡が今でも風化せずにくっきりと確認できる」ということである。よく見ると確かに、縄目のような線(浮き彫りだが)と足跡のような窪みがある。説明板では「大神台遺跡」付近に住んでいた人々も、この巨石に神が宿るものとして畏敬の念をもっていだろうとしている。この巨石がいつ頃から知られていたかはわからないが、整備されたのは最近(説明板は平成21年銘)のようで、今もこうした事物が大事にされていることに感銘した。

写真1:「だいだら坊 背負い石」入口


http://an-hana.com/662 【神社の起源!神様が宿る「依代」】より

古代の時代から、人間は自然とともに生きてきました。

古代の人々は、人間や動物などの生物だけではなく、植物、天体、無機物のものまで、すべてのものに霊魂が宿っていると考えていました。

このような自然信仰の考え方を「アミニズム」といい、人々は自然を神様として崇敬し、その崇敬の心から祭る(祀る)ようになっていきます。

そして、祭りのたびに、神様をお招きすることで、神様が山や木、岩に宿り、それが依代(よりしろ)となると考えられてきました。神様が降臨し、依代に神が宿ることで、その場所は聖地となる。これこそが、神社の起源であると考えられてきたのです。

今回は、聖地には欠かせない「依代」(よりしろ)について、考えていきます。

山を神様として考えた聖域「神奈備」

神道において、神が宿る依代を擁している森など、その領域のことを「神奈備」(かむなび・かんなび・かみなび)といいます。

そして、「神代」(かみしろ)として自然環境をご神体とするものも神奈備であり、ここでいう自然環境とは、山のことです。

日本では、古来から山岳信仰という言葉があるように、山をご神体として信仰を深めてきた痕跡が地方でいくつも確認され、今もその姿を残しています。

山の中でも、特に神は籠る聖地として相応しい山々は、信仰の対象として人々から愛されてきたのです。

代表的な山といえば、富士山。そして、奈良県の三輪山などがあります。

神様が降臨する場所と考えられた「磐座」

山の次は、岩です。昔から、石や岩は神様が降臨する依代として考えられてきました。

その依代となった岩のことを磐座(いわくら)といいます。磐座は、岩石が扁平で、神座にふさわしいような形のものを指すといわれています。

また、同じく岩を依代とした磐境(いわさか)という言葉もありますが、磐境は神域を分けるために使われています。

他にも、巨大な「巨石」から小ぶりなもの、変わった形をした「奇石」など種類は様々ですが、今もそれらが数多く残されていることで、私たちは古代からの神様のメッセージを受け取ることもできるのです。

神様が宿る「磐座」と、その神様の領域を分ける「磐境」の違いを知ると、岩や石には様々な使い方があることまで、教えてくれているのがわかります。古代の人はちゃんと、石や岩は間違えた使い方をしてはいけないものだと認識し、それらをしっかり使いこなしていたのではないでしょうか。

氣の流れをコントロールする案内役「神籬」

最後は、木です。

神様が宿る木は、「神籬」(ひもろぎ)といいます。

磐座が「神様が宿る場所」だと考えると、神籬は「神様が宿る場所だと教えてくれる案内板」のようなものだと考えると、わかりやすいかもしれません。

自然の栄養素(氣)をいっぱい吸い込み、成長することで天に向かって大きく伸びる木は、神様を導くものとして信仰されてきたのです。

成長すればするほど、木はどんどん高くなり、そして太くなり年輪を重ねていきます。

人々は、それらを生命力の象徴だと捉えるようになりました。

天に向かってどんどん成長する木は、天と地をつなぐ柱でもあると考えられていました。

その柱が神籬であり、今でも地鎮祭などでは神籬を祭壇として設置し、祈願を行っています。

依代を、探すだけでも面白い!

ここでは、神奈備・磐座・神籬について書きましたが、

自然信仰の名残として残る依代を探すだけでも、神社参拝はもっと面白くなります。

日本の神社では、山・岩(石)・木の他にも、いろいろな依代を見ることができます。

そして、山の雰囲気、いろいろなサイズや形の岩、木が植えられている場所や大きさ、さらにその周辺に何があるのかなどをチェックしてみると、これまで以上に楽しい神社参拝になるでしょう。

神社にお参りしたら、神様が祀られている社殿だけではなく、依代も探してみてください。

古代の人々が大事にしてきた自然の魅力を、きっと感じ取ることができると、「あん・はな」は思います。


https://www.nippon.com/ja/guide-to-japan/gu009001/ 【山形「出羽三山神社」:山岳修験の伝統を継承】より

羽黒山の山頂に三山の神々を合祭

山形県中央部にそびえる月山(がっさん、1984メートル)、その西側の湯殿山(ゆどのさん、1504メートル)、月山から峰続きの北端にある羽黒山(はぐろさん、414メートル)を合わせて「出羽三山(でわさんざん)」と言う。

ひときわ秀麗な月山は、古くからカンナビ(神の山、霊山)としてあがめられ、山中には神が降臨するイワクラ(霊験のある巨大な岩など)が点在する。湯殿山のご神体も赤褐色の巨大なイワクラで、羽黒山には神を迎える依り代(よりしろ、神霊が寄りつくもの)となるヒモロギ(古木、深い森)がある。日本では縄文時代より、山や海、木々、植物などあらゆるものに神が宿ると考えられてきたが、出羽三山はそうした信仰の典型といえる。

三山にはそれぞれに月山神社、湯殿山神社、出羽神社(いではじんじゃ、羽黒山山頂)があり、それらを総称して「出羽三山神社」と呼ぶ。標高の高い月山と湯殿山は、冬季になると雪に覆われて閉山してしまう。そのため、出羽神社には三山の神々を一緒に祀(まつ)る「三神合祭殿(さんじんごうさいでん、山形県鶴岡市)」がある。羽黒山山頂には有料道路を使って車で上ることもできるが、徒歩で参拝すれば、古来より人々が信仰した神々しい山の雰囲気に触れることができ、修験者の気持ちに近づけるはずだ。

巨杉に囲まれた参道

東北最古、国宝の五重塔

羽黒山参詣道の入り口となる随神門をくぐると、その先には約1700メートル、2446段の石段が待ち構える。江戸時代に13年がかりで敷設されたもので、山頂までは約1時間を要する。

最初は急な石段下りから始まる。樹齢数百年といわれる杉の古木に囲まれた参道を進むと、約600年前に建てられた東北地方では最古の五重塔が現れる。高さは29メートルもあり、杮葺(こけらぶき)屋根で素木(しらき)造りという伝統的な手法による塔が美しく、1966年に国宝に指定された。

そのすぐ近くには樹齢1000年、根回り10.5メートル、幹囲8.25メートルの爺杉(じいすぎ)と呼ばれる巨杉がある。こちらは国の天然記念物に指定されている。

国宝に指定された五重塔

その後は、ひたすら上りが続く。石段には瓢箪(ひょうたん)や徳利(とっくり)など33個の彫り物が刻まれていて、全て見付けると願いがかなうとされる。これを探しながら上っていけば、つらさが紛れるかもしれない。途中には、休憩のための茶屋もある。

長く険しい石段を上り切ると、そこに三神合祭殿が姿を現す。中央に月山神社、右に出羽神社、左に湯殿山神社を祀る日本屈指の巨大な社殿で、厚さ2.1メートルの分厚い茅葺(かやぶき)屋根、総漆塗りの内部は見応えがある。月山神社の主祭神は、月の化身とされる月読命(つくよみのみこと)で、「月を読む」の名前の通りに暦をつかさどる。出羽神社は、出羽の地主神である伊氏波神(いではのかみ)、湯殿山神社は大いなる山の神である大山祇命(おおやまつのかみ)を祀る。

合祭殿前にある鏡池は、平安時代から参拝者が銅鏡を奉納し、数百枚が埋納されていることからそう呼ばれるようになった。1年間を通して水位があまり変化しないため、神秘的な力を持つ池として古くから信仰を集めていたという。