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Rei.Kikuchi_ Re:Life

術後2週間目の記録(後編)

2019.01.23 14:12


(前編は現状報告で、後編は気持ちの記録です。)


身体は順調に回復してきているのに、

反比例するように、

珍しく珍しく、

丸 1週間くらい、

ものすごーく落ち込みました。

ビョーキ発覚したときは、不謹慎なくらいに、まったく落ち込まなかった自分なのに、ここにきて、自分としては、かなり底の方まで、落ち込みました。



でも、いまから2日前くらいに、

やっと復活しました。

なので、

とりあえず、大丈夫!



何が起こったかと言うと、







「本当に、とうとう、自分の足じゃなくなっちゃった。」


と感じて、恐ろしくなったからです。





痛みと、むくみが、日に日に引いてきたら、感覚が戻ってきました。

でも、膝周辺は、いまもまだ、まったく感覚がありません。(膝がなくなったんだから、そりゃそうなんですが 。)この感覚は、少しは戻るらしいけど、どこがどこまで、どんなふうに戻るかは、わからない。こんな状態で、歩けるようになるなんて、いまはまったく想像出来ませんが、先生たちは、歩けるようになると口を揃えて言うのだから、歩けるようになるのだろう。



主治医の先生たちが、傷の確認や消毒のためにギプスを開けて、術後、はじめて、意を決して、自分の足を覗き込んだ時。あの日のあの景色のことは、一生忘れないと思う。

泣かなかったけど、本当にキツくて、グロかった。足は、想定通り、めちゃくちゃになっていた。違う生き物の、足みたいだった。自分では動かせられないけど、


「あ、膝がない。膝がどこにあるか、わからない。こういうことかー。」


と、これまでずっと想像していたことが現実になり、想像と現実をすり合わせようと、のうみそはくるくる回り、心臓はバクバクした。



この骨肉腫というビョーキは、

10代の発症例が非常に多いビョーキです。

思春期、反抗期の10代の子たち。

足を残すことが出来る手術をした子たちは、自分とだいたい似た手術をしているはずなんだけど、

この手術は、

あまりにもグロすぎると、

心底思った。

ツライや、痛いに、年齢は関係ないけれど、

少なくとも、自分が、10代の頃にこの手術や治療を受けていたら、大変なことになっていたと思う。こころの痛みと悔しさとツラさと苛立ちで、病院の窓ガラスとかを、割っていたと思う。本当に。



珍しく、1週間くらい、毎晩、めそめそと泣きました。

身体の痛みよりも、こころの痛みって、なんて厄介だろう、と思いました。

自分史上もっとも、こころがツラい、1週間でした。

これまで生きてきて、

ツラいとか、キツいとか言っていた出来事なんて、

本当に、蚊に喰われたってくらいの、かわいいもんだった、って思えました。

一番ツラかったし、今後、あまり思い出したくない数日間です。



でも、

こころの痛みは、

自分で解決していくしかないと、

しみじみしました。

サポートをしていただけるとしても、

結局は、自分で自分のこころを、どうにかするしかないのだ。

なので、それはわかっていたので、誰かの助けを求めていたわけではなく、自分自身と、がっぷりと、戦った数日間でした。



たぶん、わたしは、手術を実際にするまで、どこか他人事だったんです。他人事だと言う気持ちが、ほんの少し、どこかにきっと、在ったんです。自分のことなのに、自分のことじゃないかのように。そんなふうに、自分のビョーキのことを捉えていた部分が少なくとも、どこかに在ったんだと思います。



しかし、

手術をしたら、本当に、ぜんぶぜんぶ、 " 自分事 "と成りました。

しみじみ「あぁ、自分は、ホントーに、ビョーキなんだな」と実感しました。

強烈に痛い思いをしてやっと理解するなんて、あいかわらず馬鹿だなぁと思いますが、本当に、やっと。やっと。



長期入院のおかげで、

担当外のリハビリの先生ともずいぶん仲良くさせて頂いている。だいたい、顔馴染みとなった。

その中でもとくに仲良しの、女性同士なんでも話す、お姉さんのような先生が居るのですが、

担当外なのに、わざわざ術後、会いに来てくれた。



「思ってたより大変で、ヤバくてツラくて凹んでます。」と泣き笑いで言ったら、


「いのちと引き換えになるような、そんだけ大きな手術をしているからね、そりゃ、ある程度大変だよ。いのちを選んで、それでいて生かされたんだから。でも大丈夫、玲ちゃんは乗り越えられるよ。」



と、カツを入れてくださった。

大好きだけど、鬼で有名なその先生。

でも、そのときは、チープな励ましではない、現実的な、その厳しい言葉に、ちからをもらった。初心に戻れた。




そうだった。わたしは "生きる" を選んで、"生きる" ための方法にのっとって、いままさに、実践しているんだ。

いのちとこの痛みを、トレードしたんだ。いのちと引き換えになるくらいだから、そりゃ大きな痛みだ。



と、素直に、納得できたのです。



それでもウジウジと、数日間過ごしていました。毎日楽しそうに踊る SNSは、見たくもない。(見たくなければ見なければ良い。笑) みんなが敵に思える。うるさい、うざい、ほっといてくれ。ピリピリピリ。



なんとか時間が過ぎてほしくて、思いついて、映画を観始めた。映画はもともと好きだけど、こういうとき、助かった。現実逃避できるし、時間も経つし、寝転がって出来るし。

そんなわけで、ウジウジ君は、映画を一日中観ていた。5日間で、13本もの映画を観た。



映画を観て現実逃避して時間が経つのはいいけれど、いつまでもこのままでは居られない。このウジウジを、どうにかしないとなぁ…と、また悩みはじまってしまう。

そんな日が続いたある朝、目が覚めた瞬間に、






「いつまでも、病人ぶってんじゃねーよ」




という、もうひとりの自分のセリフが聞こえた。(ま、病人なんですが 笑)

出た、マイ悟り。俺による俺へのメッセージ。それは突然やってくる。





はっとした。

ウジウジといつまで悲劇のヒロインぶってるんだ、と。

ダッセー自分、と。

変わらなければ、はじまらない、と。

弱っ!小さっ!自分、と。



出来なくなってしまったことばかりに目を向けるのではなく、

出来てることに目を向けて、褒めてあげようと。

不自由になった点は、受け止めなければならないから、目を背けてばかりはいられない。

だけど、そっちに目を向けすぎて、悲しみに支配されては、とてもやっていけない。



悲しみを背負いつつも、「それでもこんなことは出来る」という喜びを噛み締められれば、喜びは、こころの肥料になる。

喜びがあれば、わたしの場合は、顔を上げて、笑って生きていける。

人によっては、悲しみや怒りが、生きるパワーになる人も居るのかもしれないけれど、少なくとも、わたしはこうだ、と自分をまたひとつ、よく理解できた。





いまは悲しみはお腹いっぱいなので、

喜びを、たくさん作っていきたいと思う。

馬鹿みたいな小さなことでも、いちいち喜びたいと思う。





そう思えたら、

世界がまた、いろどって見えた。

寝転ぶベッドから細目でながめた、

大きな冬の快晴の空に、

ほそい飛行機雲が浮かんでいた。

本当に、うつくしい、冬の空だった。




photo by 「よあけ」

ユリー・シュルヴィッツ 作・画 

瀬田 貞二 訳

福音館書店