野生の思考
https://www.nhk.or.jp/meicho/famousbook/60_yaseinoshikou/index.html 【野生の思考】より
「悲しき熱帯」「神話論理」等の著作で知られ、「二十世紀最大の人類学者」と呼ばれるフランスの文化人類学者レヴィ=ストロース(1908~2009)。構造主義という全く新しい方法を使って、未開社会にも文明社会に匹敵するような精緻で合理的な思考が存在することを論証した代表作が「野生の思考」です。しかし、これは単に文化人類学の研究書ではありません。現代人たちが陥っていた西欧文明を絶対視する自文化中心主義を厳しく批判し、「人間の根源的な思考」を明らかにしようとした野心的な著作でもあるのです。「100分de名著」では、この「野生の思考」から現代に通じるメッセージを引き出していきます。
レヴィ=ストロースは、社会学教授として赴任したブラジルで人生を一変させるような出会いをしました。調査で出会ったアマゾン川流域の先住民族たち。そこには、想像もしなかった豊かな世界がありました。友人のヤコブソンに言語学を学ぶ中で、あらゆる現象を言語学的構造から解明する「構造主義」という方法を手にした彼は、先住民たちの習俗や儀礼、神話の数々が決して野蛮で未熟なものではなく、極めて精緻で論理的な思考に基づいていることを発見します。彼はそれを「野生の思考」と呼びました。
それだけではありません。未開民族の思考を「前論理的」だとする見方は西洋近代の「科学」にのみ至上権を置く立場からの偏見でしかないといいます。幅広いフィールドワークと民俗誌の渉猟の果てに、「野生の思考」こそ科学的な思考よりも根源にある人類に普遍的な思考であり、近代科学のほうがむしろ特殊なものだと結論づけ、「精密自然科学より一万年も前に確立したその成果は、依然としてわれわれの文明の基層をなしている」と喝破したのです。
人類学者の中沢新一さんは、この「野生の思考」が現代にあって、科学的思考と共存しながら、日常世界の中で作動し続けているといいます。あるいは芸術創造の中に、あるいはサブカルチャーの中に、あるいは最先端のIT技術の中に、生き生きと「野生の思考」は脈動しているのです。その思考の基本構造を目にみえる形で取り出した「野生の思考」は、私たちが自らの文化の可能性を切り開く上で示唆に富むといいます。
西欧近代の科学や合理性に呪縛され、自然と文化の間を厳しく分離する思考法に慣らされてしまった私たち現代人。レヴィ=ストロースの著作を深く読み解くことで、自然と文化のインターフェイス上に働いているとされる「野性の思考」を復権し、私たちの社会のあり方や文明のあり方を見つめなおす方法を学んでいきます。
朗読を担当した田中泯さんからのメッセージ
もう本当に遠い昔、レヴィ=ストロースの名前を知ったのは。アントナン・アルトーやジル・ドゥルーズに興味を持ち始めた頃ですから本当に遠い昔です。あんな時代があったことが夢のような...なんて言えないか!まさかの朗読を私がやるなんて。
そういえば、NHKのドキュメンタリー「ヤノマミ ~奥アマゾン・原初の森に生きる~」のナレーションを頼まれたとき、実は、南インドの山中の(アンダーカーストの村の)巨大な菩提樹の下で踊る直前でした。「それって、レヴィ=ストロースの…引き受けます!」でした。縁には因がある、なんて格好良すぎますが、嬉しかった!
レヴィ=ストロースの言葉を身体から一語一語出していく、本当に楽しかった! 中沢新一さんのお話を楽しみにしております。
第1回 「構造主義」の誕生
【指南役】
中沢新一(明治大学特任教授・野生の科学研究所所長)
…「チベットのモーツァルト」「アース・ダイバー」等の著作で知られる人類学者。
【朗読】
田中泯(舞踊家)
長い間未熟で野蛮なものとして貶められてきた「未開社会の思考」。近代科学からすると全く非合理とみられていたこの思考をレヴィ=ストロースは、「野生の思考」と呼び復権させようとする。「野生の思考」は、非合理などではなく、科学的な思考よりも根源にある人類に普遍的な思考であり、近代科学のほうがむしろ特殊なものだと彼は考える。それを明らかにする方法が「構造主義」というこれまでにない全く新しい方法だ。第一回は、レヴィ=ストロースがどのようにして「構造主義」という方法を手にしたかその背景に迫るとともに、彼が「具体の科学」と呼んだ「野生の思考」とはどういうものかを明らかにする。
第2回 野生の知財と「ブリコラージュ」
最初から完全な設計図を前提とするエンジニアの思考のような「近代知」。レヴィ=ストロースは、人間にとって本源的な思考は、そのような「知」ではなく、「ブリコラージュ(日曜大工)」といわれる、ありあわせの素材を使い、様々なレベルでの細かい差異を利用して本来とは別の目的や用途のために流用する思考方法だと考える。そこには近代化の中で私たちが見失ってしまった、理性と感性を切り離さない豊かな思考の可能性が潜んでいる。その代表的例がオーストラリアの先住民族ムルンギンの神話だ。気象現象や動植物など経験的な素材を使って精緻な知の体系を築き上げる彼らは、神話によって「宇宙の中で人間はどんな意味をもつのか」といった哲学的な問題を問うているのだ。第二回は、近代知と神話を対比しながら、「ブリコラージュ」と呼ばれる思考法の豊かな可能性を明らかにしていく。
https://www.nhk.or.jp/meicho/famousbook/60_yaseinoshikou/guestcolumn.html 【◯『野生の思考』 ゲスト講師 中沢新一人類の思考を変える起爆力】より
明治大学野生の科学研究所所長
プロフィール
1950年山梨県生まれ。人類学者。東京大学大学院人文科学研究科宗教学専攻博士課程修了。ネパールでチベット密教を修行、帰国後は東京外国語大学、中央大学、多摩美術大学を経て現職。『チベットのモーツァルト』『森のバロック』(ともに講談社学術文庫)、『カイエ・ソバージュ』全5巻(講談社選書メチエ)、『アースダイバー』(講談社)、『ポケモンの神話学 新版 ポケットの中の野生』(角川新書)など著書多数。レヴィ゠ストロースとの共著に『火あぶりにされたサンタクロース』(KADOKAWA)が、レヴィ゠ストロースの著作の翻訳に『パロール・ドネ』(講談社選書メチエ)がある。『別冊NHK100分de名著「日本人」とは何者か?』(NHK出版)では鈴木大拙『日本的霊性』について考察。
◯『野生の思考』 ゲスト講師 中沢新一
人類の思考を変える起爆力
フランスの民族学者・人類学者クロード・レヴィ゠ストロース(一九〇八~二〇〇九)の著書『野生の思考』が一九六二年に出版されるとたちまち、フランスの知識人や学生たちの大きな話題となり、大ベストセラーとなりました。その影響は、いち早く日本にも波及しましたが、数年のうちに世界的な書物となります。戦後ヨーロッパに大きな思想的変動を発生させた火付け役となったのがこの本です。原題はLa Pensée sauvage (ラ・パンセ・ソバージュ、「野生の思考」)。そこには「野生のパンジー(三色スミレ)」という意味も掛けられており、表紙はその花の美しい絵で飾られています。
私はこの本を、二十世紀後半にあらわれた思想的書物の中の最も重要な本の一つであると考えています。ふつう思想の本というのは哲学者などによって書かれることが多いのですが、『野生の思考』は南アメリカの先住民文化を研究する一人の民族学者によって書かれた本です。そういう本が現代思想の方向を変えてしまったのです。そして、その変わっていった先に、いまの世界があるとすらいえます。
私たちはいま、コンピュータを身近に持つようになりましたが、この本が刊行された当時はまだ電子計算機と呼ばれて大学や研究所で開発の真っ最中にあった機械で、このコンピュータがいずれは世界を変えるだろうという予感が持たれ始めていました。『野生の思考』は、いわゆる「未開人」と呼ばれた人々の思考について書かれた本でありながら、まさにいま私たちが生きている時代についての本でもあります。コンピュータとそのネットワークがつくりだそうとしている世界の本質を、いちばん深いところでとらえようとしている本でもあります。なぜならその本は人類の思考能力を、根本で考えなおそうとしているからです。
『野生の思考』という本にひめられた起爆力が全面開花するのは、ほんとうはこれからなのではないかと私は思っています。この本で論じられていることは、さまざまな機械と共生しながら普遍的な思考能力を生かしつつ、これから形成されていく世界の姿にかかわっています。しかし私たちの中にはいまだに、十九世紀以来の古い形態の思考法が残っています。それは特に政治の領域にみられ、現代の世界に危機をもたらす原因をなしています。
『野生の思考』が戦いを挑んだのは、十九世紀のヨーロッパで確立され、その後人類全体に大きな影響力をふるってきた「歴史」と「進歩」の思想です。レヴィ゠ストロースは近現代をつくりあげてきたこれらの思想に反旗を翻し、「歴史」に対して「構造」という考え方を打ち出しました。これから先私たちの世界が向かっていかなければならない原理を、五十年以上前に見通していたのです。
「歴史」の思考方法は、現在でも変わらずに大きな影響力を持ち続けています。右の考えを持つ人々も左の考えを持つ人々も、根底では同じ「歴史」の思考によって動かされています。この点では右も左も同じなのですが、彼らはこのことに気づいていません。しかし世界の底流には、見えないところで大きな地殻変動がおこりはじめているようにも感じられます。
ところがアメリカをはじめ、ヨーロッパでも、ロシアでも、中国でも、そして日本でも、人々の頭上を巨大な古い瘡蓋のようなものが覆ってしまっている。そんな状況を生きなければならない現代の若者たちと、一九六〇年代当時「構造」という考えをとおして「歴史」の思想に対して「否」を突きつけた若者たちが考えていたことは、多くの点で重なっています。
「名著」というものは繰り返し、ゼロから読み返すべきものなのでしょう。いま『野生の思考』という本を読み返してみると、私たちの世界を行き詰まらせているものの正体は何なのか、それを打破していくにはどのように思考を転換していったらよいのか──が具体的に記されていることに驚きます。現代に直結し、未来にも大きな力を持つであろう思想を『野生の思考』は内蔵しています。十九世紀にそうした意味を持った本がマルクスの『資本論』であるならば、二十世紀はレヴィ゠ストロースの『野生の思考』がそれにあたるのではないでしょうか。その意味でこの本は、いまだ完全には読み解かれていない、これから新しく読み解かれるべき内容をはらんだ、二十一世紀の書物です。
第3回 神話の論理へ
西欧の近代科学は、自然と文化を厳しく分離し、全てを計量的に組み上げる抽象的な思考を成立させた。しかし、レヴィ=ストロースは、それが人類の長い歴史の中では極めて特殊なものだと考える。むしろ自然と文化のインターフェイス上に働く根源的な知性作用こそ重要であり、人類を基層から動かしてきたという。例えば「サンタクロース」という伝承は、さまざまな外部のインパクトを受けながら大きく意味を変容させることで、人類が直面してきた巨大な変化を受け止めるインターフェイスとして働いてきた。こうした「神話的な思考」は基層で常に働き続け現代人をもつき動かし続けている。第三回は、一見非合理なものとして排除されがちな「神話的な思考」が、むしろ自然と文化の対立を回避し結び合わせる巧妙な知恵であることを明らかにする。
第4回 「野生の思考」は日本に生きている
レヴィ=ストロースは晩年、日本を訪れた。伝統の技を守り続ける職人たちや豊かな恵みが集まる市場を訪ねるなど、精力的に日本各地を巡った彼は、その豊かな文化、世界観に驚き、「野生の思考は、日本にこそ生きている」と述べた。「構造・神話・労働」、「月の裏側」といった著作で詳しく展開される彼の洞察を読み解くと、日本の文化の中に、今後の社会を変えていく大きな可能性を見つけることができるという。第四回は、彼が提唱した「野生の思考」が、どのような形で日本の中に生きているのか? また、私たちはそれをどう生かしていけばよいのかを考える。
こぼれ話。
「野生の思考」を「変革の起爆剤」に!
レヴィ=ストロースとの出会いは大学三年生(1986年)の頃のことでした。大学の哲学科で、メルロ=ポンティというフランスの現代哲学者を研究していた際、彼がたびたび引用する「レヴィ=ストロース」という名前と彼の「構造」という概念に魅惑されました。すぐさま手にとったのが「野生の思考」という一冊の書物。「第一章 具体の科学」「第二章 トーテム的分類の論理」「第九章 歴史と弁証法」の三つの章は比較的スムーズに読み進めることができたのですが、それ以外の章にはまるで歯が立ちませんでした。
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「何かとてつもないことが書いてある」といった予感だけはあったのですが、徹底して「民族学」「文化人類学」の最新成果を渉猟しながら、具体物に即して思考を展開するレヴィ=ストロースの精緻な論理に自分の頭がついていけなかったのかもしれません。また、彼の思考には、高度な数学的な知性、言語学的な知性が働いていて、このあたりも専門外の自分にはどうしてもアクセスできない部分がありました。
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いつかは読み通してみたい……と思い続けてはや三十年近く。絶好の機会が訪れました。2015年1月。「100分de日本人論」という新春特番に出演していただいた御礼に中沢新一さんの研究室を訪れたとき、ダメもとで、「先生、レギュラー・シリーズで、『野生の思考』をやってみませんか?」とお願いしてみたのです。「100分de日本人論」で解説いただいた鈴木大拙「日本的霊性」があまりにも面白く、その中でお聞きした「無分別智」という概念と「野生の思考」がどこか通じ合っている気がして、思いきって切り出してみたのです。今、この時代に読み返すべきだという直観もありました。
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「構造主義の時代のすぐあとにポスト構造主義という思潮がやってきて、レヴィ=ストロースはもう終わったなんていう人達がいるけど、冗談じゃないと思っているんですよ。レヴィ=ストロースはいまだにきちんと読み解かれていないし、『野生の思考』なんかは20世紀で最も重要な書物といっていいと思っているんです」
私の言葉に対して、こんな風に熱のこもった言葉を発した中沢さんの表情を今も忘れることができません。自らが所長をつとめる「野生の科学研究所」も「野生の思考」にちなんだものだということも教えてくださいました。そして、最後に「やってみようかな」という力強い言葉をいただくことができました。
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ただ、多忙を極める中沢さんに、テキストの執筆も含めた番組講師をつとめていただくのには、スケジュール調整も含めて、およそ2年近くの時間を要しました。その間、私のほうでも少しずつ「野生の思考」を読み進めていきました。もちろん理解不能なところは多々ありましたが、今回は、一通り読みとおすことができました。
番組化する上で、最大の問題は、この難解な部分も含めて、一般の視聴者にどうわかりやすく伝えるかということ。しかも100分という限られた時間で。担当ディレクターも、アニメ制作を担当するアニメーターもいつも以上に頭を悩ませました。
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一例をあげると「ブリコラージュ(日曜大工)」というレヴィ=ストロースのキー概念をどう解説するかという難問。「野生の思考」は、あらかじめ準備した設計図などは一切使わず、与えられた条件の中でありあわせの素材を使って見事にその時その場に最適なものを作り出す「ブリコラージュ」をその特徴としますが、原文に忠実に未開人が行っている思考法のみを例に説明すると、現代の私たちにはピンときません。
私は、個人的に「野生の思考」を読みながら温めていた例をおそるおそる中沢さんに当ててみました。「たとえば、ぼくのおふくろは、料理を作るのに一切レシピを使いません。冷蔵庫の中にあるありあわせの素材を実に巧みに組み合わせて、ときどきちょっとしたレストランでもかなわないような料理を作ってしまうことがあります。それも、その日の湿度や気温などに合わせて微妙に塩加減や入れる調味料を変えてしまう。こういうのってブリコラージュといっていいんでしょうか?」
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中沢さんは「そうそう、それそれ!」と共感してくれて、次々に面白い例をあげてくれました。例えば「女子高生のファッション」や「現代アートの作品」。実は、科学の最前線でも、本当の意味で新しい発見や発明は、設計主義的に行われるのではなく、ブリコラージュ的に行われるということも。こうしたキャッチボールの中で、難解なレヴィ=ストロースの思想が徐々にくっきりとした像を結んでいきました。実際にこれらの例は、番組でもご紹介していただきました。
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今、振り返ってみると、ちょっとしたきっかけをつかんで、巧みな喩え話を直観的に組み合わせながら、一つのユニークな解説を作り上げていく、こうした作業自体がある種の「ブリコラージュ」であり、中沢さん自身が「ブリコラージュ」の優れた使い手ではないかということに気づかされました。また、実際の番組で繰り広げられる、中沢さんと伊集院光さんのトークがクロスオーバーして、概念のイメージが大きく広がっていく瞬間も、「あ、これもブリコラージュだな」と強く感じました。
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さて、もう一つご紹介したいのが、中沢新一さんのレヴィ=ストロースに対する並々ならぬ思いです。特に今回のテキストに関して、中沢さんが「レヴィ=ストロース入門の決定版にしたい」と力強くおっしゃっていた声が今も耳の奥に残っています。テキスト作成のプロセスの中でも、尋常ではないほどの中沢さんの熱量を感じる瞬間が多々ありました。もちろんレヴィ=ストロースに関する解説書はたくさん出ていますが、どちらかというと「民族学者」「文化人類学者」としてまとめられたものです。20世紀の思想の流れを大きく変え、しかも現代に生きる私たちにも思考変革の大きな起爆剤になりうる思想書……というスケールの大きな視点で書かれた入門書は未だないと思います。書籍としてはとても薄い本ですし、番組としてもわずか100分の長さですが、中沢新一さんのおかげで、「レヴィ=ストロース入門の決定版」にすることができたのではないかと、スタッフ一同、密かに自負しています。
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この番組とテキストをきっかけにして、特に、若い世代の人達が、レヴィ=ストロースの思想を、自分たちの思考や表現活動、創造活動、科学研究などの分野での変革の起爆剤にして、この21世紀を生き抜く智恵を育んでくれることを願ってやみません。