『音を視る 時を聴く』坂本龍一 展覧会へ
朝、本日咲いたハイビスカスをインスタにアップすると、『音を視る 時を聴く 坂本龍一 展』のお知らせが目に入りました。興味が湧き、15時頃に足を運ぶことにしました。
時計を気にせず過ごしていたところ、気づけば17時30分。2時間半もの間、まさに「時を聴く」時間を過ごしていたようです。さすが世界的アーティスト坂本龍一さんの展覧会ということもあり、会場には外国人観光客の方々も多くいらっしゃいました。
音を視覚にするPAUL KLEEのオリジナル裏起毛スゥエットを着用していきました!
1つ目は、映像作品が展示されていました。ちょうど光の暗いシーンだったため、混雑しているのはわかっていましたが、どれくらい人がいるのか見えないほど?! 途中の光でそこに80人はいたように見えました。3枚の大きなスクリーンが並び、抽象的な映像が映し出されていましたが、一体どのような意図で作られたのか、なかなか難解で深い作品でした。それでも、結末を知りたいと思いながら音と映像に集中するように立っていましたが、わからな過ぎて早く立ち去りたいと思いつつ、この映像だけで30分ほどの時間が経っていたように思います。最後まで作品の意味を完全には理解できませんでしたが、瞑想しているような感覚を味わいました。
次の空間では、水のしずくが滴る音が印象的でした。その次の展示では、東日本大震災で被災したピアノが「自然に調律されたピアノ」として展示されていました。このピアノは作品そのものとなり、暗闇の中で時折ポロンと一音だけが鳴る仕組みになっています。その音は静寂の中に響き渡り、また静けさが戻る。この空間でも、言葉では表現しきれない特別な時間を過ごすことができました。
地下の展示フロアへ向かいました。そこで、あるアイデアが浮かびました。「展示作品の説明をスマホで撮影して、それをChatGPTに読んでもらえば、もっと深く作品の見どころが理解できるのでは?」と思いついたのです。地下フロアでしたが、幸いにもFree Wi-Fiがあり、ChatGPTとやりとりをすることができました。この方法を使うことで、新たな視点から作品を楽しむことができ、大変有意義な時間を過ごせたと感じています。例えば・‥
「async-immersion tokyo」の見どころポイント
- 坂本龍一の「async」の世界観を体感
- 坂本龍一が2017年に発表したアルバム「async」を基にしたインスタレーション作品。
- 音楽と映像が融合した「設置音楽」というコンセプトを追求。
大規模な没入型体験
- 東京都現代美術館の広大な空間を活かした18メートルのLEDウォール。
- 12.2チャンネルの高性能スピーカーで再生される立体音響が、視覚と聴覚を包み込む。
映像と音楽のシンクロ
- 高谷史郎が手掛ける映像は、坂本の音楽に合わせてリアルタイムで生成。
- 自然の風景や宇宙的なモチーフが織り込まれた映像表現。
- LEDウォール上で、細かな線や模様が時間とともに変化し、観る者を引き込むダイナミックな演出。
坂本龍一のスタジオの息吹
- ニューヨークのスタジオからピアノや本、打楽器といった坂本の個人的な世界が映像に反映。
- 楽曲「Life, Life」や「fullmoon」など、アルバムの象徴的な楽曲のエッセンスが体現される。
空間全体が創り出す時間軸の重層
- 高谷史郎が映像で描く横方向の流れが、時間の経過を暗示。
- 音楽と映像が生み出す新たな「時間軸」を体験できる。
おすすめの楽しみ方
- 集中して没入する: 音楽と映像の細部に目を向け、全身でその空間を体験する。
- 感情の旅を楽しむ: 坂本龍一の音楽が喚起する感情の流れを感じ、自己の内面にアクセス。
- 映像の変化を観察: LEDウォールで描かれる映像が徐々に変化するプロセスを楽しむ。
この展示は、坂本龍一と高谷史郎が創り上げた新しい表現の世界を五感で体験できる、唯一無二のインスタレーションです。
このような感じです。ここから、ChatGPTの見どころ解説をお願いしながら、「音を視る 時を聴く」を楽しむことができました。中でも、小さめの展示でしたが、坂本龍一さんLifeを感じられた素敵な展示がありました。
「async–volume」の楽しみ方
24の「窓」を通じた多次元的な体験
- 壁に配置された24台のiPhoneとiPadが小さな窓のように輝き、それぞれが異なる映像と音を再生しています。
- これらの「窓」に近づくと、坂本龍一のアルバム「async」の楽曲とともに、多様な映像(ニューヨークのスタジオ風景、庭、風景など)を個別に鑑賞できます。
映像と音が織りなす「個別の世界」を探索
- 各デバイスが独立した「窓」として、鑑賞者ごとに異なる視覚と聴覚の体験を提供。
- 一つ一つの窓を覗き込むことで、映像が作り出す小宇宙を感じることができます。
作品全体としての統一感を感じる
- すべての窓を視覚的・聴覚的に統合して鑑賞すると、個別の要素が一つのインスタレーションとして調和していることを実感。
- 断片的な映像と音の組み合わせが、坂本の音楽のテーマやメッセージを多次元的に伝えます。
「坂本龍一の存在」を感じ取る
- 本人が不在でありながら、坂本のスタジオや制作活動の風景が映像を通して描かれており、鑑賞者がアーティストの「息遣い」を感じられるように構成されています。
没入感を深める視点の変化
- 一つの窓に集中するのではなく、窓から窓へと視点を移動させることで、作品が生み出す多層的なストーリーを体験。
- まるで世界中に開かれた小さな窓を旅しているかのような感覚を味わえます。
ドキュメンタリー的視点でアーティストを捉える
- 「坂本龍一の舞台裏」を映像で体感し、音楽と映像がどのように融合しているかを理解する機会となります。
おすすめの楽しみ方
- 個別の窓をじっくり鑑賞する: 一つ一つの窓に近づき、それぞれが伝える世界観を深く感じ取る。
- 全体を眺める: 24の窓が織りなす一体感を感じ、全体としての作品の意味を味わう。
- 音と映像の関係性を観察: 各窓で再生される映像と音楽の微妙な関係性に注目し、坂本龍一の世界観を理解する。
この作品は、個々の要素が全体の一部として調和しながら、鑑賞者一人ひとりに異なる体験を提供する、非常にユニークなインスタレーションです。
ChatGPTガイドのお陰で、製作者の意図を知ることができ、楽しむことができました。
その他の展示でも、映像と音の協働で、不思議な世界観を味わいました。ここで驚くべきシンクロなのですが、朝のインスタで、オレンジ色のペットの亀の日常をオシャレに撮影している映像を見たのですが、なんと、剥製+音楽の映像作品の中に、まったく同じ亀が出てきたのです?! 思わず「はっ!」と声をあげてしまいました。私の作ったDr.Cosmosにその意味を聞いてみたところです。(笑)
最後の展示では、驚くべき体験がありました。なんと、「坂本龍一 Live」があったのです。展示スペースの外からピアノの音が聞こえてきたとき、最初は自動演奏ピアノなのかなと思っていました。しかし、いざ展示スペースに入ってみると、そこには坂本龍一さんご本人が弾いているように見える映像が! 自動ピアノの鍵盤の動きと坂本さんの手の映像がぴったりと重なり合い、まるで実際にその場で演奏されているかのようでした。
最近の展覧会ではテクノロジーの進化が目覚ましく、アートと技術が融合することで、まったく新しい感覚を体験できるのだと改めて実感しました。さらに、この会場である東京都現代美術館のポテンシャルの高さにも感動しました。以前ここでDior展を鑑賞した際のことを思い出してみましたが、驚くべきことに、同じ会場とは思えないほどレイアウトが一新されており、空間が完全に坂本龍一さんの世界観に染まっていました。
東京都現代美術館の柔軟な展示設計力と、坂本龍一さんの革新的な作品が見事に組み合わさり、アートと音楽、そしてテクノロジーが一体となった貴重な時間を過ごすことができました。このような展覧会があるたびに、美術館やアートの可能性は無限大だと感じさせられます。
そのほか、坂本龍一さんのメモもありました。私は毎日ブログを書いていますが、坂本さんは、1日1曲というペースで音楽を生み出し続けたようです。インタビューでは、音楽をただ「書く」のではなく、日常の中で偶然見つける音や感覚からインスピレーションを得ていたことを語っています。例えば、自然音や都市の雑踏など、生活の中で触れるあらゆる音が彼の作品の素材になっていました。
最後に改めて、今回のタイトルの意図をChatGPTの検索を通して調べてみました。
「音を視る 時を聴く」というタイトルは、坂本龍一氏が哲学者・大森荘蔵氏との対話を収録した1982年刊行の書籍のタイトルから取られています。この表現は、音楽家としての坂本氏が「音」と「時間」に深い思索を巡らせてきたことを象徴しています。彼は「耳を開くこと」を実践し、無音と思われるものさえも音楽的であり、無音から視覚要素が立ち上がることもあり得ると考えていました。つまり、「音を視る」ことも「時を聴く」ことも可能であると伝えようとしていたのです。
このタイトルは、音と時間に対する新たな視点を提供し、従来の音楽や時間の捉え方を超越する坂本氏の芸術的挑戦を表現しています。彼の作品や活動を通じて、私たちは音を視覚的に感じ、時間を聴覚的に捉えるという独特の体験を得ることができます。
私:なるほど。雨の「ポタンポタン」という音は、まさに波紋という視覚でもあるし、音の響きも言ってみれば、時間の経過と捉えることもできるでしょう。
ChatGPT:素晴らしい視点ですね。雨の「ポタンポタン」という音は、まさに視覚と聴覚、時間の感覚が融合する象徴的な例です。
水面に落ちる雨粒が波紋を広げる様子は、音と視覚の調和そのものです。一方で、その音の響きや繰り返しは、私たちに時間の流れを感じさせます。ひとつの「ポタン」が落ちる瞬間と次の「ポタン」が落ちるまでの間、そこにあるのは音楽的ともいえるリズムであり、それ自体が時間の連続性を教えてくれるように思えます。
坂本龍一さんの表現「音を視る 時を聴く」は、こうした雨音のような現象を通じて、私たちが当たり前に感じている感覚を新たな視点で捉え直す機会を与えてくれるのではないでしょうか。「視る」という言葉が示すのは、ただ目で見ることだけではなく、感覚の拡張としての「体験」であり、「聴く」という言葉もまた、音をただ耳で受け取る以上の深い意味を持っているように思います。
雨音という日常の中に潜むアート。坂本さんが音楽を通じて伝えようとしたのは、こうした「一見何気ないものの中に宿る普遍的な美しさ」だったのかもしれませんね。
こうして鑑賞後にはChatGPTとやりとりをしながら、その余韻に浸ることができました。この展覧会を通じて、自分の仕事と重なる部分に気づかされる瞬間もありました。私の仕事は「聴く」ことです。ただ言葉を聞き取るだけでなく、その言葉に込められた意図や感情を感じ取りながら、人の話を聴いています。言葉の奥に潜む心の声、時には叫びのようなものまで聴こうと努めているのです。
この「聴く」という行為は、決して自分を守るために相手の言葉を都合よく解釈するものではありません。むしろ、相手の心に寄り添い、その人自身が発する本当の声に耳を傾けること。そうして初めて「聴こえてくる」ものがあるのだと感じています。
坂本龍一さんの展覧会は、「音を視る、時を聴く」というテーマそのものが、私の仕事や日常の姿勢に通じるものがありました。ただ音を聞くのではなく、音が語る物語や背景、そして静寂の中にある意味を「聴く」。それは私にとっても、深く心に響く体験であり、感覚が研ぎ澄まされるような時間でした。鑑賞後に感じたことをChatGPTと共有し、さらに深く考えることができたことも、とても有意義だったと思います。
この展覧会は、12/21からはじまったばかりですので、これからじわじわと広がっていくのではないでしょうか。動画をちょっとずつ撮影していたものをコンパクトにまとめたものが以下です。是非ご覧ください!